第201話 ヤー
目の前の光景がじわじわと焼きついていくような、眼球の奥に熱を帯びていくような感覚。
頭では目の前の光景を理解しようとしているのに、感情がそれを許さなかった。
「ね、ねぇ、皆も心配してるだろうし早く帰ろうよ?」
ボクはエイブン、ビッケス、シータの三人に声を掛ける。
……だが、返事は返って来ない。
「ね、ねぇ? へ、返事してよ……あっ、そ、そうか!
流石に裸じゃ恥ずかしいよね。だから無視しちゃったんだよね?
ちょっと待ってて! 今、僕の外套と上着を貸してあげるからね?」
一糸纏わぬ姿で虚空を見つめる三人。
その瞳からは、色というものを感じる事が出来ない。
「ダ、ダンテ、外套を貸して貰っても良いかな?」
三人に服を羽織って貰うには、僕の服だけでは明らかに足りない。
そのように考えた僕は、外套を貸して貰えないかダンテに尋ねる。
「アル……そんな事しても意味ねぇよ……なぁ、分かるだろ?」
しかし、返ってきたのはダンテらしからぬ冷たい言葉で、思わず頭に血が上っていくのが分かった。
「意味無いってどういう事? 三人とも何も着てないんだよッ!?
こんな恰好じゃ寒いだろうし、可哀想だと思わないのッ!?」
僕は強い言葉で反論する。
「馬鹿言ってんじゃねぇよ……アル! 良く見ろッ!
お前にはコレが生きているように見えんのかよッ!? そんなことしたって無駄なんだよッ!」
「無駄!? 無断なんかじゃないッ! それにコレって言い方は無いんじゃないかな!」
「――ッ! 勘弁してくれよッ! こっちだって一杯一杯なんだからよッ!」
ダンテは悲痛な表情を浮かべ、叱咤の言葉を並べる。
そんなダンテの姿を見た僕は、話にならないと考え、今度はソフィアへと視線を向けた。
「ソフィア――」
「アル、辛いのは分かる。仲の良い後輩だったもんね……
だけど……お願いだから……お願いだから現実を見て……」
しかし、ソフィアの口から吐いて出たのは、僕を否定するような言葉だった。
「み、皆……どうしたのさ……」
皆の反応を見て、思わず落胆の言葉が漏れる。
「アル……」
「アル……」
そして、そんな僕に向けられるのは気遣うような、憐れむような眼差しだった。
「な、なんでそんな目で見るのさ……な、何でッ――」
普段向けられる事の無い皆の眼差し。
なにも、この場、この状況でそんな眼差しを向けることは無いだろう。
そう考えると共に、再度頭に血が上ってしまった僕は思わず語気を荒げそうになってしまうのだが――
その時だった。エイブンの身体がモゾモゾと僅かに動く。
「み、見たよね!? 今動いたの見たでしょ! 早く服を渡してあげなきゃ!」
僕は嬉々としてエイブンの元へと駆け寄ろうとする。
「お、おわっ!」
しかし、エイブンの身体の下から鼠が飛び出したことで驚きの声を上げてしまう。
それと、同時に鼠が飛び出したことでバランスが崩れてしまったのだろう。
頂上に横たわっていたエイブンの身体が傾き、転がり落ちそうになる。
「エイブン!?」
「アルッ! 駄目!」
僕は慌てて抱き止めようとするのだが、ソフィアに腕を掴まれたことで阻まれてしまう。
「ソフィア離してッ!」
「嫌だ! 絶対に離さないッ!」
「な、なんで!? このままじゃエイブンが――」
ソフィアの手を振りほどこうと腕に力を込めようとしたその時。
ベしゃリ――
そんな音が耳へと届き、僕は慌てて振り返った。
そこには床に転がったエイブンの姿があり、僕は、何故か力の入らない足でフラフラと歩み寄る。
「エイ……ブン?」
そして、エイブンの元へと歩み寄よると、豚肉の期限を切れさせてしまったときのような、腐敗臭が鼻をついた。
だが、それでも僕は話し掛ける。
「ねぇ? エイブン……? 僕だよ? アルだよ?」
顔を覗きこんで話し掛けるのだが、やはりエイブンから返事は返って来ない。
「エイブンッ! 起きてよッ! ねぇったら! 悪い冗談だよッ!?」
僕は、自分の顔が酷く歪むのを感じながら、エイブンの肩を揺する。
「馬鹿な事してんじゃねぇッ!! 死体をこれ以上辱めるなッ!」
しかし、その僕の行動は、オーフレイムさんに羽交い絞めされる事によって止められることになった。
「死体……?」
「ああ、死体だ! 良く見ろッ! これが生きてるように見えんのかッ!?」
羽交い絞めされたままに頭を掴まれ、無理やり、乱雑に積まれた少年少女たちへと向けられる。
「見ろッ! どいつもこいつも胸が裂かれてるだろうが!
それにこの腐敗臭! どう考えたって生きてるようには見えねぇだろうが!?
お前は【黒白】のリーダーなんだろ!? しっかりしろよ!? 仲間達を安心させてやれよッ!」
「生きて無い……」
オーフレイムさんの力強い言葉が、僕の頭を僅かに冷静にした。
そうだ……僕は分かっていた。
ただ受け入れられなかっただけで、死んでいる事なんてとっくに分かってる筈だったんだ。
だけど……胸が苦しくて、頭が混乱して、感情が制御できなくて……
「オーフレイムさん……僕は……僕は……――」
眼球の奥にあった熱が、涙と共に溢れ出る。
そしてその瞬間、胸を満たしていた何かが溢れだしたような気がして――
パリィン。
僕の中で何かが割れた様な音がした。
「あはっ、あははっ、あはははっ」
「おいアルッ!?」
「アルッ!?」
耳元で呼びかけられている筈なのに、何故か友人達の声が遠い。
しかし、その代わりに――
『そんなに辛いなら、代わってあげようか?』
頭の中にハッキリとした声が響く。
その声が誰のものかは分からないが、聞き覚えが無いようで、よく知っているような声だった。
そして、そんな誰のものかも分からない声だというのに……
「……」
藁にも縋りたいという思いから、僕は無言で頷いてしまう。
『分かった。後はボクに任せてゆっくり休んでよ――おやすみ【僕】』
そして、そんな優しい声色に身を委ねると共に、僕の意識は深く――深く沈んでいった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「あはっ、あははっ、あはははっ」
狂ったように笑い声を上げるアル。
私は、このまま放って置いては、アルが壊れてしまうと思った。
「アルッ! お願いだから落ち着いて!」
だから私は声あげた。
何の手助けになるかも分からないけど、私の声で少しでも正気に戻ってくれるなら――
そんな思いから声を上げ、繋ぎとめるようにしてアルの手を強く握る。
「アルッ! お願い……お願いだから……」
そんな私の願いが通じたのだろうか?
「あははは……――」
アルは笑い声をピタリと止めた。
「……アル?」
「ごめんねソフィア? 【僕】が迷惑かけちゃったみたいだね」
「えっ……いや……う、うん」
いつもと変わらない様子で微笑みかけるアル。それ事態は喜ぶべき事なのだろう。
だけど、先程までの取り乱し様を見ていたからか、それが不自然に感じてしまう。
「アル……だよね?」
馬鹿なことを口にしていると自覚している。
「へぇ……やっぱりソフィアは凄いな」
しかし、私の言葉を聞いたアルは、肯定とも取れる言葉を口にする。
それと同時にアルは再度微笑みかけるのだけど……何故か違和感が増していくばかりだった。
「本当にアル……なんだよね?」
何の根拠も無い、只の違和感だ。
こんな言葉を口にすること自体、私自身、置かれている状況に混乱しているのだろう。
口にしたものの、やはり馬鹿馬鹿しく思えた私は、僅かに憶えた違和感を捨てる事にした。
捨てることにしたのだけど……
「いや、ボクはアルじゃないよ?」
目の前のアルは、捨てた筈の違和感を肯定した。
「ど、どういう事? ……そ、それとも、まだ混乱してるの?」
「いや、混乱はしていないかな。言葉どおり僕はアルであってアルじゃない。
【邪神像】に触れた経験があるソフィアならこの意味が分かるだろ?」
「【邪神像】……――まさか? アンタは!?」
私が確信に触れる前に、アルは正解だといわんばかりに笑顔を浮かべる。
「そう。ボクはアルの記憶であり感情さ」
「じ、じゃあ本物のアルは!?」
「アル? アルならゆっくり眠ってるよ」
「眠ってる? ア、アルを返しなさいよッ!」
「それは出来ないかな? 何故なら、それはアルが望まなければいけない事だから」
「アルが望まなければ……?」
「うん。形こそ違えど【邪神像】の試練と同じようなものだからね。
アル自身が己と向きあい、打ち勝たなければ、アルは眠ったままって訳さ」
正直眉唾だ。だけどその言葉には、否定できない何かがあった。
「今のアルじゃ……どうしてこんな事に……」
万全の状態で挑んだ私でさえ【邪神像】の試練には苦労させられたのだ。
今のアルの精神状態はきっとボロボロで、自分と向き合う余裕なんてある筈がない。
そのように考え、不安を感じたからだろう。思わず弱音を溢してしまう。
しかし、そんな私を他所にもう一人のアルは淡々とした口調で説明を始める。
「どうしてかって? 実はあの時、アルも【邪神像】に触れていたんだよね。
でも、この身体は少しばかり特別でね。なんて言えば良いのかな? 一つの身体に魂の器が二つある様な感じだからさ。
アルは催眠状態に陥ることも無く、ボクという存在が上手いこと器に収まっちゃったんだよね」
「……器?」
「まあ、その辺はボクから話すことじゃないから伏せておくけど……
つまりは、仮初ではあるものの、二つの魂がアルの中には存在することになっちゃったんだよね。
それで、精神の負担が許容範囲を超えそうだったから、仮初の存在であるボクが身体の主導権を得ることで、アルには少し休んで貰おうとボクは考えた訳さ」
「……アンタがなに言ってるか、私には理解出来ないわ……」
理解出来ない訳ではない。
私の場合で例えると、もう一人の私に身体を乗っ取られてしまったという話なのだろう。
まあ、正確に言えば乗っ取られたとは違うみたいだけど……私からすれば同じようなものだ。
「アンタ……どうにか出来ないの?」
「さっきも言っただろ? それはアル次第だ。
と言うかアンタって……一応はボクもアルなんだけどな……
でも、ソフィア達の心境を考えれば、素直にアルって呼ぶのにも抵抗があるか……」
私の質問ににべもない答えを返すもう一人のアル。
顎に手をあて、なにやら逡巡するような素振りをすると――
「じゃあ、こうしよう。ボクはアルの裏の感情ともいえる存在だろ?
だから【アル】【アール】【R】という事で、それを反対に表記して【Я】――ヤーって呼んでくれないかな?」
そのような提案をし、ヤーはアルの顔で、アルと同じ笑顔を浮かべるのだった。
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