第192話 ウルフからの課題

 合宿三日目の朝。

 ウルフに連れられ、森の奥にある開けた場所へと辿り着いたダンテ、ソフィア、ラトラの三人。

 その三人は額に汗を浮かべながら、ウルフの出した課題に取り組んでいた。



「私がソフィアの面倒を見るのは今回が初めてだけど、少しは慣れた?」


「な、慣れませんよ! 身体の一部を拘束された状態で手合わせとか、無茶苦茶じゃないですか!?」


「そう? 魔力の流れを把握するのにはこれが手っ取り早いのよ?」


「そ、それは分かってるんです。分かってるんですけどぉぉお……」



 頭では必要な事だと分かっていても、受け入れられるかといえば別問題である。

 腕を拘束された状態で手合わせをさせられたり、足を拘束された状態で川を泳がされたともなれば、ソフィアが声を荒げてしまうのも仕方が無い事なのかも知れない。


 しかし、それを指示したウルフはというと?



「アルが五歳の時にやっていた授業なんだけど……もう少し優しくした方が良いのかしらね?」


「うぐっ……」



 特に悪気がある訳では無く、天然故に煽ってしまうのだから質が悪い。


 そして、ウルフから聞かされた言葉を『五歳のアルでも泣きごとを言わなかったのに』と、勝手に脳内変換してしまったソフィア。



「泣き事を言ってる場合じゃないわね……アルには負けるもんですか!」



 そう声に出す事で自分を奮い立たせるのだが……ソフィアは大きな勘違いをしていた。

 実際、当時のアルは泣きごとを言っていたし、仮病を使って授業から逃れようとした回数も両手の指では足りない程だ。


 しかし、こと授業に関しては厳しいメーテとウルフ。

 泣きごとを言ったところで問答無用で授業へと連れ出し、仮病を使おうとしても簡単に見抜かれてしまう。

 言うなれば、やっていたというよりかは、強制的にやらされていたというのが正解なのだが……



「ウルフさん! もう一度手合わせをお願いします!」



 その事を知らないソフィアは、並々ならぬやる気を見せる。



「どうやら、やる気は充分みたいね。

今のソフィアに必要なのは単純な身体能力。それを補うために『循環する身体強化』や、その先にある『身体強化の重ね掛け』を憶える必要があるわ。

それを理解したうえで自分の魔力の流れを意識しながら、もう一度手合わせをしましょうか」


「お、お願いします!」



 そうして、勘違いしたままに手合わせを再開させるソフィア。

 その手合わせは小一時間ほど続き、ソフィアが立ち上がれなくなるまで続けられるのであった。







「ダンテ? 体調はどう?」


「まだ筋肉痛が少し残ってる感じっす……」


「魔人化の副作用が抜け切れていないみたいね」


「そうっすね……数分程度の魔人化だったらそこまで影響は無い感じっすけど……」



 前日の訓練で、魔人化を披露する事になったダンテ。

 今後の合宿に影響が出ないように僅かな時間だけ魔人化を行ったのだが、やはり影響が出ないということはなかったようで、筋肉痛に顔を歪めている。


 その様子を見たウルフは、ダンテの体調を気遣う様な優しげな視線を送り。

 また、そんなウルフを見たダンテは、今日の訓練は休むことが出来るかも知れないと、淡い期待を抱くのだが……



「それは大変ね……じゃあ、訓練を開始しましょうか?

今日は重りを用意しておいたから身につけて貰えるかしら? 準備が出来たら筋力トレーニングを始めましょう」


「お、重りをっすか……?」



 ……どうやら、甘い展開など待ち受けていなかったようで、ダンテの期待は早々に打ち砕かれてしまう。



「そう、ちなみに重りっていうのはコレね」



 しかし、そんなダンテを他所に、ウルフは腕輪のようなものを取り出すと、指先でくるくると回す。



「へ? それが重りっすか?」



 あまりにも重さを感じさせない動きを見て、重りという言葉に疑問を抱いてしまうダンテ。

 だが、腕輪を手渡された瞬間、その疑問は霧散する事になる。



「お、重っ!?」



 ダンテを襲ったのは、腕輪という見た目からは想像できないようなズシリとした重量。

 その重さといったら、思わず前のめりになってしまい、倒れてしまいそうになる程の重量であった。



「な、なんすかコレ!? めちゃくちゃ重いじゃないっすか!?」


「え? だって重りだって言ったじゃない? 重くて当たり前でしょ?」


「そ、それはそうなんすけど……腕輪の重さじゃないっすよ!? まるで岩みたいな重さじゃないっすか!? なんなんすかコレ!?」



 ダンテが言うように、その腕輪の重さは一抱えほどの岩と同等であり、腕輪が持つ重量から逸脱していた。

 それ故にダンテは疑問を口にした訳なのだが……

 そんな焦りを見せるダンテとは対照的に、ウルフは淡々と疑問に答える。



「その腕輪が何かと聞かれれば、答えは魔道具といったところかしらね?

まぁ、あんまり詳しい事は分からないんだけど、メーテが言うには重量を変える鉱石?

それを加工して作った、筋力を鍛える為の魔道具らしいわよ? ダンテの訓練に調度良さそうだからメーテから借りて来たって訳ね」


「こ、これが魔道具? そう言われればこの重さにも納得出来るっすけど……

っていうか……俺の課題って、重りをつけての筋力トレーニングがメインって感じすか?」



 ウルフの説明を聞き、一応は納得した様子を見せるダンテ。

 しかし、その顔を見てみれば、喜びが半分、落胆が半分といった複雑な表情を浮かべていた。


 だが、それも仕方ない事なのだろう。

 嫌だと嫌だと言いながらも、結局は参加する事になった今回の合宿。

 それは、辛いと思う反面で、合宿に参加すれば確実に今より成長できると考えていたからに他ならない。


 だというのに、ウルフが出した課題というのは単純な筋力トレーニングであることに加え。

 確かに腕輪の重量には驚かされたダンテではあったが、身体強化さえ使用すればどうとでもなる重量であり、たかだか岩一抱え程度の重りを加えたトレーニングであるのだから肩透かしもいいところである。


 だからだろう。

 楽な合宿である事を喜ぶべきか?

 それとも、成長を見込むことが出来ない今回の合宿に対して落胆するべきか?

 そのような心の葛藤をする事になった結果、ダンテは複雑な表情を浮かべて見せた訳なのだが……



「なんか拍子抜けしたって顔をしてるわね?」


「うぐっ!?」



 そんなダンテの心境は筒抜けだったようで、容易に見透かされてしまったようだ。


 そして、少しばかり落胆した様子のダンテを見て、自らの説明不足を反省するウルフ。

 確かに、これだけの説明ではダンテも納得してくれないだろうと考えると、足らなかった部分の補足をする事にした。



「単純な課題に思えるかも知れないけど、筋力トレーニングは重要なのよ?

ちなみにだけど……魔人化を長時間維持することが出来ないのは何でだと思う?」


「なんでって……慣れていないからっすか?」


「それも正解だけど、答えはもっと単純で、身体が出来上がってないからなの」


「身体が……っすか?」


「そう、要は単純な筋力不足。

魔人化による身体機能の向上――それに身体が追いついていないから長時間維持することが出来ないし、翌日にその反動が出ちゃう感じなのよね。

それじゃあ、どうすれば良いか? その答えが筋肉をつけるということで、魔人化に負けないだけの身体を作りあげるという事なの」



 ウルフはそう補足すると「分かって貰えたかしら?」とダンテに尋ねた。



「そう言うことだったんすね……」



 ウルフの説明を聞き、納得するように頷くダンテ。


 しかし、納得したは良いのだが、課題内容自体が変わった訳ではない。

 むしろ納得しただけに、なおさら課題内容が甘いように感じてしまい、やはり少しだけ落胆してしまうのだが……



「じゃあ、説明も済んだことだし――両手両足に一個ずつ、まずは計四個から始めましょうか」


「へっ?」



 ウルフから告げられた言葉に、思わず間の抜けた声を返してしまう。



「き、聞き間違えっすかね? 四個とか聞こえた気がするんすけど?」


「聞き間違いじゃないわよ? 両手両足に一個ずつの計四個ね」


「ま、まじっすか?」



 先程まで課題内容が甘いように感じていたダンテであったが、岩程の重りが四個となれば流石に事情が変わって来る。

 一つ程度ならどうとでもなるが、手足に一つずつでは碌に身体を動かせないだろうし、難易度も桁違いになるであろうことが予想出来た。

 だからこそダンテは、疑問の言葉を口にした訳なのだが。 



「まぢよ?」



 どうやら「まぢ」だったようで、腕輪型の魔道具を取り出すと問答無用でダンテの両手足に装着していく。



「ぐほッ!? くっそ重めぇッ!!」



 そして、両手足に魔道具を装着する事になったダンテは、その重さに耐えられず思わず膝を着いてしまう。

 そんなダンテの様子を涼しい顔で眺めていたウルフ。



「それじゃあ、まずは軽いランニング――その後で腹筋と背筋、腕立て伏せを三十回。

それを初日だし――五セットほどやりましょうか?」



 涼しい顔を崩さないままに悪魔のような課題を出し、それを指示されたダンテはというと?



「うん……甘いなんて考えた俺が馬鹿だった……」



 少しでも甘いだなんて考えたのが間違いであった事に気付くと、己の浅はかさを呪うのであった。


 ちなみにだが……

 「計四個から始めましょうか」という言葉の頭に「まずは」という言葉が付いていることに気づいていないダンテ。

 その言葉の意味に気付いた時、ダンテは絶望というものを知ることになるのだが……

 御冥福を祈るばかりである。







「どうラトラ? そろそろきつくなって来たかしら?」


「んにゃ……そろそろ一時間くらい経つし、流石にきつくにゃって来たにゃ……」



 そう言ったラトラは獣化を使用しているようで、その腕を見てみれば、黄色と黒のまだら模様の体毛に覆われている。



「あら? 一時間も獣化を維持できるなんて、ラトラは獣化の才能があるみたいね」


「ほ、褒められたにゃ! そうにゃ! ラトラちゃんは凄いんだにゃ!」


「じゃあ、そんな凄いラトラちゃんにはご褒美をあげなきゃね」


「ご、ご褒美!? も、貰うにゃ! ご褒美貰うにゃ!」



 休憩させて貰えるのか? それとも夕食にデザートが追加されるのか?

 ご褒美と聞かされたことで、そのような想像をし、目を輝かせるラトラ。



「ご褒美として、ラトラには次の段階に進んで貰いましょうか」


「ご、褒美ぃ……」



 しかし、現実というのは残酷なモノなのだろう。ラトラの目の輝きは一瞬にして奪われてしまう。


 そして、そんなラトラを他所に自分のペースを崩さないウルフ。

 次の段階とやらの内容について説明を始める。



「今回の合宿でラトラに身につけて貰いたいのは、長時間の獣化と『瞬化』の二つよ。

まぁ、正直に言うのなら、一時間というのはまだまだ足らないんだけど、これについては習うよりも慣れろと言うのかしら? 継続して獣化を続けていけば少しずつ維持出来る時間が伸びていくわ。

それよりも問題なのは『瞬化』の方ね。

こっちは細かな魔力操作が必要になるんだけど、それよりも重要なのは切っ掛けが必要という事なの」


「切っ掛け?」


「そう、切っ掛け。そこで質問なんだけど、ラトラは驚いた時に髪が逆立つような感覚とか、肌が粟立つような感覚を感じた事は無い?」


「んにゃ! 母ちゃんの焼き菓子を勝手に食べたのがバレた時はそんな感じだったにゃ!

本当、あの時は死を覚悟したにゃ〜」



 ラトラはその時の事を思い出したようで、ブルリと身体を震わせた。



「あら、死を覚悟したの? だったら『瞬化』は使えるのかしら?」


「んにゃ? どういうことにゃ? そもそも『瞬化』っていうのが良く分からにゃいですにゃ……」


「ああ、ごめんなさいね。

えっと、本来の獣化って言うのはメキメキメキメキって感じで、徐々に変化するじゃない?

それに対して『瞬化』の場合は、メキーって感じで一瞬で獣化をすることが可能なの。

要するに『瞬化』っていうのは『瞬発的な獣化』の略で獣化するまでの時間を縮める技術な訳ね。


それで、その『瞬化』を憶える為の切っ掛けなんだけど――言ってしまえば生存本能。

さっき髪の毛が逆立ったことがあるかって質問したでしょ?

その時と似たような身体的反射。それを生存本能が働くレベルで行うことで瞬化を身につけることが出来るという訳ね」


「にゃんか良く分からにゃいけど……「吃驚したら髪が逆立った」よりもっと凄い感じで「吃驚したら獣化しちゃった」って感じなのかにゃ?」


「まぁ、そんな感じかしらね」



 要点は抑えているものの、いまいちピンと来ていないラトラは僅かに首を傾げる。



「まぁ、ピンとこないのも仕方ないし、説明するよりも体感した方が早そうね。

それじゃあ、早速だけど体感してみましょうか?」



 そして、ウルフはそのような結論を出すと、ラトラの正面へと立つ。



「ウ、ウルフ師匠?」


「じゃあ、今から始めるけど気をしっかり持ってね? じゃないと意識が飛んじゃうから」


「んにゃ? どどど、どういうことにゃ?」


「それじゃあラトラ。全力で構えなさい?」


「ふぎゃ! わわわ、分かったにゃ!」



 やはりピンと来ていないラトラであったが、真剣なウルフの表情から只ならぬ雰囲気を感じ取り、試合に臨む前――或いは魔物と相対した際と同様の身構えと心構えに切り替える。


 そして次の瞬間。



『ラトラ――今から貴方を殺すわ』



 ウルフは魔力を込めた殺気をラトラへとぶつけ――



「フゥギャァアアアアアアアアアアアゥッ!!」



 殺気をぶつけられたラトラは猫が威嚇するような声を喉から鳴らすと、一瞬にして獣化された爪を振りかぶり、ウルフへ向かって叩きつけた。


 爪と腕が衝突したことでガツンといった鈍い音が周囲に響き。

 その音が響いたことで、少し離れた場所に居たソフィアとダンテが驚きの声を上げる。


 しかし、その声に気付けない程の恐慌状態に陥っているラトラ。

 二撃目を加える為に再度、大きく振りかぶるのだが……



「はい、そこまで」



 そう言ったウルフに後ろから羽交い絞めされしまう。



「フウゥゥゥゥゥウウウッ!! ウウウッ!!」



 羽交い絞めにされてしまったラトラであったが、それでも暴れ回り、ウルフの腕に幾つもの引っ掻き傷を作る。



「ごめんねラトラ。怖かったわよね? もう怖い事はないから落ち着きましょ?」



 そして、ウルフの腕に深い噛み痕が付き、血が滲み、地面に滴り落ちようとした時――



「う、ウチ……なにをしてたんだにゃ? ああッ!? こ、これウチがやったのかにゃ!?」



 漸くラトラは恐慌状態から戻ったようで、傷だらけのウルフの腕を見て、泣きそうな表情を浮かべた。



「こうなる事は予想出来ていたから気にしなくていいのよ?

むしろ、意識が飛んじゃう可能性もあったんだから、殺意に反応して反撃までした事を褒めるべきだと私は考えているわ」


「で、でも……」


「本当に気にしないで? これくらい唾でもつけておけば治るし、メーテに頼めばすぐに治っちゃうんだから」



 ウルフはそう言うとラトラの頭をクシャリと撫でる。

 その事によって、少しは精神が落ち着いたのだろう。

 ラトラは申し訳なさそうにしながらもポケットを漁り、包帯を取り出すとウルフの腕に巻いていく。



「ありがと。それで『瞬化』の方はどうかしら?」


「えっと……おおっ!! 本当にゃ! ウルフ師匠が言ってたみたいにメキメキメキメキじゃなくて、メキーって感じで獣化したにゃ!」


「良かった。どうやら成功したみたね。

本当に殺そうとしている相手で『瞬化』の切っ掛けを作る訳にもいかないものね。

ちょっと荒療治になっちゃったけど、『瞬化』を身につけることが出来て本当に良かったわ。

ああ、でも、魔力操作次第ではもっと速く獣化が可能になるから鍛練を怠らないようにしてね?」


「わ、分かったにゃ! そ、それと本当にごめんにゃ……」


「もう、本当気にしなくていいんだからね? それより……もうこんな時間なのね」



 ウルフが周囲を見渡すと、日は傾き始めており、西日を受けた木々の影が曖昧になりつつあった。

 その様子を見て今日の訓練を切りあげる事にしたウルフ。



「それじゃあ、アルとマリベルが用意してくれた夕食を食べに帰りましょうか」



 そのように告げると、三人は「はい」と返事を返し、その返事を聞いたウルフはコクリと頷く。

 そうして横並びになって歩きだす四人。会話を交わしながら帰路につくのであった。

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