第184話 お散歩ウルフ 後編
それから暫く歩いた所で学園へと辿り着く事になったウルフ。
辿り着いたのは良いものだが、どうやら今は授業中のようで、ちらほらとしか人の姿は見受けられない。
「さて、どうしましょう?」
ウルフはメーテやアルに会いに行こうかと考える。
しかし、今が授業中だという事を考えれば、会いに行った所で迷惑をかける結果になってしまうだろう。
流石のウルフでも、そう考えるくらいの良識はあり。
そのように考えた結果、二人に会いに行く事を断念する事にした。
「あら? お外で何かしてるのかしら?」
そうして断念したウルフの耳に届いたのは、子供たちの声や木剣を打ち合せるような音。
その音の正体は、生徒達が体術の授業を行っている際に生じる声や音なのだが、ソレを知る由も無いウルフ。
「なんだか面白そうな事をやってそうね」
そのように呟くと、音の鳴る方へと歩き始める事にした。
「体術の授業ってヤツかしら?」
音を手掛かりにして辿り着いたのは、綺麗に均された運動場。
実際、ウルフが言ったように今は体術の授業の真っ最中で、担当の教師と二十名ばかりの生徒達が体術の授業に励んでいる最中であった。
そんな生徒達の姿を、遠目から眺め――
いや、何を考えたのか運動場まで降り立ち、割と近い距離で見学を始めるウルフだったのだが……
流石にそんな事をすれば生徒達から怪訝な視線を向けられてしまうし。
教師という立場を考えれば、生徒達の安全を守る為にも放って置ける筈も無い。
「貴様……何者だ? 学園の関係者……って訳でもなさそうだが……」
現に、体術の授業を担当している男性教師――バルゴ=バイゼンは、ウルフに対して不審者を見るような眼つきを向けいた。
「学園の関係者……じゃないわね?」
ウルフはバルゴの質問にどう返すべきか悩んでしまい、僅かに言い淀む。
何故なら、家族と呼べる存在であるメーテは学園で教鞭を振るっているし。
同じく、家族と呼べる存在であるアルも学園に通う生徒だったからだ。
そして、その事実を考慮すれば、間接的ではあるが関係者であると言えるだろうし。
更に付け加えれば、テオドールやミエルといった学園関係者とも面識があるので、あながち間違いであるとも言い切れない。
だがしかし。
「ウルフ自身」が学園に関係しているのかと問われれば、今一つ確定する要素が足りないのも事実で。
その為、ウルフは一瞬だけ言い淀んだ後に関係者では無いことを伝えた訳なのだが……
どうやら、バルゴにとって言い淀んだという事実。
その事実は目の前に居る獣人の女を――侵入者を疑うのには充分な判断材料だったようで。
「怪しい奴め……貴様が誰なのかはこの際どうでも良い。
捕縛した後で、じっくりと事情を聴けば良いだけだ」
そう言うとバルゴは、強い眼差しでウルフを睨んで見せた。
「あ、あら? どうしてそうなるのかしら?」
「生徒達! お前達にも危険が及ぶかも知れん! 安全な場所まで下がっていろ!
それと、何人かの生徒は他の教師や職員にこの事を伝えに行くんだ!」
そして、ウルフが困惑するのを他所に、バルゴは生徒達に指示を出すと戦闘の構えを取った。
「ち、ちょっと? わたしはそんなつもりじゃないんだけど……」
「問答無用!!」
それが開戦の合図だった。
バルゴは身体強化の重ね掛けを使用すると同時に、ウルフとの間合いを詰めに掛かる。
その踏み込みは地面が爆ぜる程に強力な踏み込みで、バルゴの後方に土煙が舞う。
更には、突き出される右の拳。
その拳には、岩程度ならやすやすと粉砕できる程の威力が込められており。
並みの相手であれば戦闘不能――もしくは致命傷になりうるほどの威力が込められていた。
込められていたのだが……
本来のバルゴであれば、ここまで威力を込めた拳を放つことは無かったに違いない。
何故なら、バルゴという人物は昔堅気な性格故に、女子供は男が守るべき存在であると考えており。
己の拳は、決して女子供に向けて良いような代物ではないと理解していたからだ。
だというのに、致命傷になりうるほどの拳をバルゴが放ってしまった理由。
それは、本能的にウルフの実力を理解してしまった結果で、自衛にも近い本能が加減を忘れさせてしまったというのが真相であった。
しかし、その事に気付いていないバルゴ。
バルゴの放った拳は空気を裂き、今まさにウルフの腹部へと届こうとしていたのだが――
「んもぅ、物騒ね~」
「なっ!?」
バルゴからすれば加減したつもりではあったが、それでもそれなりの威力を込めた筈の拳を、まるで撫でられるような優しい手つきで止められてしまう。
そして、その事により「嘘だ」「何故」「どうして」。
そんな言葉がバルゴの頭の中をグルグルと掻きまわすのだが。
バルゴは深く息を吐く事で無理やり落ち着かせると、警戒の度合いを最大限にまで引き上げて見せた。
「よもや、このような化け物とこのような場所でやり会う事になるとはな……
出し惜しみは無しだッ!! 全力で行かせて貰うぞッ! 『破砕!!』」
バルゴは体術を突きつめた先にある一つの境地で、所謂『遠当て』とも言われる技。
目の前の空間を殴り、離れた相手に衝撃を伝えるという技を放つ。
「あら、珍しい。『遠当て』じゃない」
ウルフはそう言うと左に大きく飛び、事も無さげに避けて見せるのだが……胸の内では僅かに驚きを憶えていた。
何故ならこの技。常人であればまず辿り着く事が出来ないような境地にある技で。
もし会得するのであれば、毎日を武に捧げ、毎日のように武を思い。
それでも尚、会得するまで数十年の歳月を要する技であったからだ。
そして、それ程の歳月を要して身に付けた技。
それを使いこなす者が居るという事実にウルフは驚いた訳なのだが……
ある意味、『遠当て』を使用したのはバルゴにとっての悪手であり……分岐点だったとも言える。
「ふふっ、貴方良いわね? 少し楽しくなって来たわ」
要するに、ウルフが本気になってしまったのである。
「さて、何手耐えられるかしら?」
ウルフはそう言うと身体強化の重ね掛けを使用し――消える。
「は?」
バルゴは一瞬にして消えたウルフの姿に思わず間の抜けた声を漏らすのだが――次の瞬間。
「そこかっ!?」
「あら? お見事ね」
バルゴが武に捧げた時間。その時間は彼を裏切らなかったのだろう。
ゾクリと言う気配を真横から感じたバルゴは、咄嗟に首を振る事でウルフの攻撃を避けて見せた。
「じゃあ、次いくわね?」
その瞬間。もう一度バルゴの視界からウルフの姿が掻き消える。
「馬鹿なッ!? 又も見失うだと!?」
だがしかし、やはり武に捧げた時間はバルゴを裏切らない。
目視が不可能な状況でも、確実にウルフの存在を感じ取り、今度は左から襲いくる拳を後方にのけ反る事で避けて見せた。
「二手も避けるのは本当に大したものね? じゃあもう少し速度上げましょうか?」
「な、なんだとッ!?」
バルゴが驚いてしまうのも無理の無い話だ。
今の状況でも目視する事が不可能だというのに、獣人の女は更に速度を上げるというのだ。
バルゴからすれば、にわかに信じられない――いや、信じたくない話ではあったが……
今の状況を考えれば虚言と切り捨てる事など出来る筈も無く、獣人の女の言葉が真実であると判断したバルゴは、改めて警戒のレベルを引き上げる。
「ぐっ!?」
「くっ!?」
「なっ!?」
気配だけを頼りに死角から遅い来る拳を、苦悶の声をあげながらどうにか避け続けるバルゴ。
薄皮を割かれ、所々血が滲み始めているものの、今だまともな一撃は受けていない。
そして、その事実がバルゴの心を支え。
それと同時に、一撃当てる事が出来れば流れを変える事が出来る筈だとバルゴは信じていた。
いや、そう信じる事で自らを奮い立たせ、無理やり心が折れるのを防いでいた。と言った方が正解に近いのかもしれない。
「化け物めッ!! 生徒達には絶対に手を出させんぞッ!!」
バルゴは声を張る事で、更に自らを奮い立たせて見せるのだが……
「本当凄いわね? もう一段上げるわよ?」
「……は?」
絶望的とも言える言葉が耳へと届き、その瞬間、心が折れ掛けてしまう。
――しかし。それでも負ける訳にはいかない。
もし自分が負けてしまった場合、生徒達に危害が及ぶ恐れがある。
そう考えたバルゴは、折れ掛けた心に無理やり一本の芯を通すと、ウルフに強い視線を向ける。
……それでも。
いや、武に身を捧げて来たからこそ、その圧倒的な格の差を本能で理解させられてしまったのだろう。
バルゴの動きは本人の意識しない所で鈍っていき。
「がはっ!?」
ついにはウルフの一撃をまともに受けてしまう事に。
「貴方、本当に凄いわね? 合計で二十手。
もう少し耐える様だったら、もう一段階速さを上げるところだったわよ?」
「ま……まだ上がるのか……」
ウルフは、予想以上の実力を見せたバルゴを労うつもりで、そのような言葉を掛けたのだが。
バルゴからすれば、格の差を突きつけられているような心境であった。
そして、格の差を理解してしまったバルゴ。
「俺の実力では、到底敵いそうにない……
残念だが、俺の武の道は此処までのようだ……だがッ!!
俺の命に代えてでも、生徒達が逃げる時間は稼いでみせるッ! この命が尽きるまで付き合って貰うぞッ!!
さぁ、お前達、俺がこの化物を引きつけてる間に早く逃げるんだ!」
格の差を理解したからこそ、命を賭してでも生徒達が逃げる時間を稼いでみせると誓う。
だがしかし……
「何言ってるの? そんな物騒なことする訳無いじゃない」
「え?」
そもそもの話。ウルフには生徒達を傷つけるつもりなんて微塵も無いのだ。
言ってしまえば、生徒達を守らければいけないという責任感からくるバルゴの早とちりであり、その所為で戦う羽目になってしまった訳なのだが……
ウルフもウルフで、事情の説明をせず、戦いを楽しんでしまったのだからどっちもどっちだと言えるだろう。
「ほ、本当に……本当に生徒達に手出しはしないのか?」
「する筈ないじゃない。そんな事したらメーテに殺されちゃうわよ」
「メーテ……もしかしたらメーテ先生と知り合いなのか? なら何故、先にソレを言わんのだ……」
「だ、だって、攻撃する気満々だったじゃない? それに……戦うのが楽しくなっちゃったから……」
そうしてウルフとバルゴ。
何となく気まずい空気を漂わせてしまっていると――
「ウ、ウルフさん!? 何をしていらっしゃるんですが!?」
騒ぎを聞き付けたのであろうミエルが運動場へと駆けつけ、疑問を口にする。
「あらミエルじゃない? どうしたの?」
「ど、どうしたのではなく……何しにいらしたんですか?」
「暇だったから遊びに来たんだけど、この場所から楽しそうな声が聞こえたから見学しようかと思って」
「見学……ですか? その割にはバルゴさんが憔悴している様子ですけど……」
「ああ、それなら手合わせをしていたからじゃないかしら?
というか、このバルゴって子は凄いわね? 手加減したとはいえ私相手に二十手も持つとかかなり優秀よ」
「……え? バルゴさんを相手にして、ウルフさんが二十手も持った。の間違いで無くてですか?」
「私相手によ?」
「ほ、本当ですか? バルゴさん?」
「ああ……まるで子供扱いだったよ……完敗だ」
ミエルは二人から聞かされた情報に驚きを隠せないでいた。
それもその筈。ウルフが子供扱いしたというバルゴ=バイゼンという人物。
教職に就く前は冒険者を生業にしており、元はAランク冒険者――しかもAランクでも中位に位置する冒険者で、折り紙つきの実力を持つ人物であった。
だというのに、バルゴ自身は負けを認め、ウルフもバルゴに勝ったかのような物言いをするのだから、ミエルが驚いてしまうのも仕方がない事だと言えるだろう。
まぁ、実際の話。
メーテとアルの家族という事で、ウルフも相当な実力者であるとミエルは予想していたのだが。
元Aランク冒険者を子供扱いしたともなれば、自分の予想が甘かったとしかいいようが無く。
改めてウルフに対する認識――もとい、アルとその家族の異常性を認識し直す羽目になってしまったミエルは小さな溜息を吐いた。
そして、そんな非現実を突きつけられたミエルは僅かに瞑目してみせると――
「ウルフさん? 普段、お仕事とかは何していらっしゃいます?」
そんな質問を口にするのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「そう言えば、僕達が課外授業を行ってる間に新しい教師が赴任にして来たらしいな」
「新しい教師? 妙なタイミングで赴任して来るもんなんだな」
「まぁ、何かしらの事情があるんじゃないか?
ちなみにだが、聞く話によれば体術を担当するようだが、中々の実力者らしいぞ?」
「体術を担当ねぇ~。つーか、体術の授業ならバルゴ先生が居れば充分な気がするけどな」
「確かにな。バルゴ先生の授業は正直厳しい部分もあるが、親身になって丁寧に教えてくれるからな。
ああ、それとコレはあくまで噂だが……どうやら、その教師というのはバルゴ先生に勝ったという噂があるぞ」
「そりゃあ嘘だろうな。バルゴ先生って元Aランク冒険者だぜ? 噂に尾ひれが付いたんじゃねーか?」
運動場へと移動している途中、そんなやり取りを交わすのはベルトとダンテ。
聞く話によると、僕達が課外授業に言ってる間に新任の教師が赴任してきたようである。
「でも、火の無い所に煙はたたないとも言うし……相応の実力はありそうだよね?」
「まぁ、そうだな。もし本当にバルゴ先生に勝ったのであれば、相当な実力者だ。
そんな教師の授業ともなれば……少しは覚悟しておいた方が良いかもしれないな」
僕が尋ねると、顎に指を添え、難しそうな表情を浮かべるベルト。
そんなベルトに対してダンテはと言うと。
「覚悟ねぇ~。確かにそれなりの覚悟は必要かもしれないけどよ。
皆が付いて行くのに必死なバルゴ先生の授業も、なんだかんだいって俺達はついて行けてるしな。
それによ。あの合宿を乗り越えた俺達だったらどうとでもなるんじゃねーか?」
「まぁ、あの合宿と比べたらな……」
ダンテは随分と楽観的に考えているようで、自信に満ちた笑みを浮かべると軽い口調で話す。
……話すのだが……なんだろう?
こんなやり取りを少し前にしたような気がするのは気のせいだろうか?
そして、そのような考えに至ったのは僕だけでは無かったようで――
「あ、あれ? なんか……こんなやり取りをした覚えがあるんだけど……気のせいだよな?」
「あ、ああ、そうだな……きっと気のせいだろう」
二人は不安げな表情を浮かべると、自分に言い聞かせるような言葉を口にする。
「ま、まぁ! 深く考えても仕方が無いしよ! ドンと構えておこうぜ!」
「そ、そうだな! まさか、そんな筈は無いだろしな!」
更には、不安を振り払うように、願いにも似た言葉を口にするのだが――
「えっと、今日から体術を担当する事になったヴェルフよ。皆はウルフって呼んでね?
あっ、アル〜! 私も先生になったわよ~! ……わふふっ」
嬉しそうな表情を浮かべ、ブンブンと手を振るウルフ。
そして、そんなウルフの姿を見たのであろうダンテとベルトは、魂が抜けたかのような呆けた表情を浮かべ。
僕は僕で、思わず頬が引き攣るのを感じると、引き攣った笑顔を浮かべたまま、小さく手を振り返してしまうのだった。
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