第183話 お散歩ウルフ 前編
ウルフは暇を持て余していた。
どれくらい暇を持て余していたかというと、メーテが暇潰しにと用意した積み木。
それを咥えては、十段ほどに積み上げては崩し。
また十段ほど積み上げては崩しを、八往復するくらいには暇を持て余していた。
では何故? それほどまでにウルフが暇を持て余しているかというと。
それは、いつも行動を共にしていたメーテが働き始めてしまったからで。
学園で教鞭を振るう為、家を留守にする機会が増えてしまったからだろう。
「わふっ……」
通算九回目となる積み木崩し終えたウルフは、詰まらなそうに鳴き声を漏らし。
そうすると同時に、マリベルの部屋にでも遊びに行こうかと考えるのだが……
実際、マリベルとて毎日暇を持て余している訳ではない。
大家としての仕事や、大家組合が開く定例会議への参加。
それに、これはあまり知られていない事ではあるが。
マリベルは薔薇に対して深い造詣を持っており、ご近所の主婦や園芸仲間に頼まれ、それなりの頻度で講演会のようなものを開いたりしていた。
そして、丁度この日は講演会が行われる日で。
マリベルは午前中から家を留守にしており、ウルフ自身もマリベルが留守にしている事を知っていた。
だからだろう。
ウルフは面白くもない積み木遊びをして、どうにか気分を紛らわせていた訳なのだが……
「わふっ!!」
どうやらそれも限界のようで、ウルフは徐々に苛立ちを感じ始めてしまう。
そもそもだ。
メーテはウルフの事を考えて積み木を用意したつもりなのだろうが。
大の大人が、積み木で暇を潰せるかと問われれば答えは否で。
本気で暇を潰せると考えているのであれば、ウルフを馬鹿にしてるとしか言いようがない。
それに加えてだ――
『ウルフの暇潰しは……適当に積み木でも買っておけばいいか』
なんなら、そのような考えさえ透けて見えるのだから、ウルフが苛立ってしまうのも理解出来るというものだ。
そして、そんなメーテの適当さに苛立ちが増していくウルフ。
「ワフッ!!」
『憤慨だわ!』そう言わんばかりにひと吠えすると、考えを巡らせる。
正直、暇を持て余しているのであれば、街にでも繰り出せば問題は解決する。
『人化の術』を使用し、買い物や食べ歩きでもすればある程度時間を潰せる事だろう。
だが、ウルフがそれをしないのは『人化の術』を使用する為に相応の魔力を要することに加え。
そもそもに、人の形を取るのがウルフにとって窮屈だからに他ならない。
それなら、我慢するしかないというのも事実なのだが……
「わふぅ……」
ウルフは思案する。
今までのウルフであれば、暇を持て余したところでこんなに思い悩む事は無かっただろう。
メーテとウルフ。一人と一匹で過ごしていた時は、暇だなんて感情を抱く事なんて殆ど無かった。
穏やかに流れる時間の中で、食事をし、庭を駆け、そして眠る。
そんな生活が好きだったし、それで満足していた。
だが、『魔の森』で人間の赤ん坊。
アルディノという名の赤ん坊を拾ってからというもの、ウルフの生活は徐々に変化して行き。
共に暮らし、その成長を見守る中で、ウルフ自身も外の世界との関わりを持つようになっていった。
その結果。
ウルフにとってモノクロの概念であった『人との繋がり』。
メーテとウルフだけ完結していた世界に他人というに彩りが少しずつ添えられていく。
そして、その彩り――『人との繋がり』というのはウルフにとっても大切な物となっていき。
知らず知らずの内に『人との繋がり』というのを楽しいと思うようになっていった。
だからだろう。
今までのウルフであれば、「暇」と「窮屈」を天秤に掛ける事すらしなかった筈なのに。
一人で留守番していようが「暇」だなんて――人恋しいだなんて――
そんな事は思いもしなかった筈なのに。
「んもぅ。私も随分と人間臭くなっちゃったみたいね……」
ウルフは自分の身に起きた変化。
心の変化に対して戸惑うような言葉を呟くと、街に繰り出すのを決めるのだった。
「さて、どうしようかしら?」
『人化の術』を使用し、街へ繰り出したは良いのだが。
特に当てが無いことに気付いたウルフはコテンと首を傾げてみせた。
「お腹もすいてきたし、取り敢えずご飯かしら?」
しかし、小腹がすいている事に気付いたウルフ。
取り敢えず食事をしようと決めると、ぷらぷらと商店街の散策を始める。
「というか、こうやって一人で出歩くのは始めてかしらね?
いつもメーテかアルが居たから、付いて行くだけで済んだけど……一人で街を出歩くとなると、何して良いのか分からないものね」
ウルフはそんな言葉を呟き、キョロキョロと周囲を見渡しながら更に商店街の散策を続ける。
すると――
「あら、良い匂い」
ウルフは通りの角に店舗を構える一件のパン屋を発見し。
そのパン屋から漂うパンの焼ける匂いや、脂がとろける香ばしい匂い。
そんな食欲をそそられる匂いにつられてしまうと、フラフラとパン屋の前へと足を運んでしまう。
そして、パン屋の店先へと立ったウルフ。
そこに置かれた看板に目を通して見れば『肉汁たっぷりサンド』という商品名が書かれており。
更に店内を覗きこんでみれば、薄切りにされた何枚もの肉を焼きたてのパンで挟んでいる商品が目に映った。
「多分だけど、アレが『肉汁たっぷりサンド』ってやつね」
ウルフの予想は当たっており。
このパン屋の名物でもある『肉汁たっぷりサンド』は。
その名に恥じぬ輝き。肉汁をたっぷりと吸って、テラテラと妖しい輝きを放っていた。
もし、アルがこの光景を見たのであれば、思わず胃もたれしそうな光景に「うわぁ……」といった言葉を漏らしていたに違いない。
だが、流石はウルフといったところなのだろう。
そんな妖しい輝きに怯むこと無く目を輝かせると『肉汁たっぷりサンド』に狙いを定めて見せた。
見せたのだが……
「……そう言えば……お金、持ってきてないわ……」
盲点である。
ウルフは『もしかしたら?』という思いで胸ポケットや腰のポケットを探るのだが。
残念ながら、銅貨の一枚すら入っていないようで落胆の声を漏らす。
「一旦お金を取りに戻ろうかしら? ……でも」
ウルフはそのように考えるも、一度家に戻ったら外出したという事実に満足してしまい。
今日はもう、家から出る事は無いだろうという謎の確信を持っていた。
……だがしかし。『肉汁たっぷりサンド』をも食べてみたいという思いも確かで。
ウルフがそのような葛藤をし、どうするべきかに頭を悩ませていると――
「どうした姉ちゃん? 財布でも落としたのか?」
涎を垂らし、食い入るようにして『肉汁たっぷりサンド』を見つめるウルフの姿が気になったのだろう。
野太い声が不意に尋ねた。
「……いいえ、財布を落とした訳じゃないわ。忘れただけ」
「ははっ! 見た目だけならシッカリとした姉ちゃんって感じなのに、案外ドジなんだな。
つーか、姉ちゃんの視線からするに、狙いは『肉汁たっぷりサンド』だろ?
肉を愛する者同士ってことで、今回は俺が奢ってやるよ」
声を掛けたのはオーフレイム。
学園都市にある冒険者ギルドのマスターで、アルとの親交も深い相手ではあるのだが。
お互いに初対面という事もあってか、その事実には気付かない。
「貴方も……肉を愛する者なの?」
「ああ、俺ほど肉を愛する者はそうは居ないんじゃねぇか? 見ろよこの筋肉?
肉を愛していないとこうは育たないだろ? それに、あんたもそうだ。
その立派に育った胸。肉を愛してなきゃそうは育たないだろうし、その馬鹿デカい胸を見た瞬間、俺は理解しちまったんだわ。
あんたは俺の同類……だって、な」
完全なセクハラである。
こういう事を平気で、尚且つ無神経に口にするから未だに独身であり。
陰で、ギルドの女性職員から『知能を持ったハイオーク』と呼ばれ馬鹿にされてしまうのだろう。
ちなみに、コーデリアとの一件があってからというもの。
『オーフレイムたん』という皮肉を含んだあだ名が定着しつつあるのだが、オーフレイム自身は気付く素振りも見せていない。
「あら、それを見抜くなんて中々やるようね。
それに、その大胸筋の隆起の仕方にハリやツヤ……言葉に見合うものは持っているようね。
ふふっ、貴方も肉を愛し、肉に愛された者……って事かしら」
ウルフもウルフで大概である。
傍から見たら頭のおかしい人達のやり取りにしか聞こえない事だろう。
しかし、それに気付く様子の無い二人。
常人では踏み込めない領域とノリで、暫くの間、肉に対する愛情について語り合うのであった。
「俺はそこのギルドで働いてるからよ、機会があれば肉について語り合おうぜ! んじゃ、またな!」
「御馳走さま。機会があれば語り合いましょう」
その後、お目当てであった『肉汁たっぷりサンド』を奢って貰ったウルフ。
目を輝かせて『肉汁たっぷりサンド』にかぶりつくウルフの姿を見届けたオーフレイムは、その食いっぷりに満足したようで、追加でお土産を持たせると仕事へと戻っていった。
そうして、再び一人になったウルフ。
「さて、次は何処に行こうかしら?」
そのように悩むも、知り合いの少ないウルフにはあまり選択肢が無い。その結果。
「学園でも行けば誰かしらに会えるわよね?」
そのような結論を出すと、『肉汁たっぷりサンド』が入った紙袋を揺らしながら、学園へと向かうのであった。
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