第4001話 異世界から



 ピピピッ ピピピッ



 強い自己主張はしないが、妙に耳をくすぐる電子音が鳴り響く。


 そして、私はこの音を良く知っている。


 この音は、私の安眠を妨げる音であり、覚醒を急かす音。

 毎朝のように聞かされる一日の始まりを告げる音だからだ。


 私は枕に顔を埋めながらも、音の出所を探るように枕元を探る。


 すると――



 ゴツン



 そんな音が耳に入り。

 それが『すまほ』を落とした音だと気付くと慌てて飛び起きる。



「ひ、ヒビは!? ……良かった……入ってないみたいだな」



 フローリングに落ちた『すまほ』を拾い上げた私は。

 ヒビが入っていない事にホッと息を吐くと、『スマホ』から響く電子音を止める。



 時間を見れば8時を過ぎた頃。


 私の職場はこの安アパートから自転車で10分と言ったところなので。

 9時までに出勤することを考えれば充分に時間はある。


 それに加え、私は化粧などもあまりしないので。

 髪を軽くとかし、軽めの朝食を取る程度の時間しか必要としない事を考えれば、十二分に時間はある。


 あるのだが……



「はぁ、今日も仕事か……実に行きたくないなぁ……」



 そんな心持でいる為か、ダラダラと身支度をしてしまい。

 結局は時間いっぱいまで時間を要してしまうのが日課となっていた。


 私は「はぁ」と息を吐き。

 とりあえずは朝食の準備でもしよう。

 そう考えると、キッチンへ向かおうとするのだが――



「メーテ? 我儘言っちゃ駄目よ?

こうして、異世界人である私達が仕事に着けること自体、ありがたい事なんだから?」


「それは分かっているんだが……中々、この生活に慣れなくてな……

それに……上司のせくはら? と言うヤツが酷くて、どうにもやる気が……」



 同居人であるウルフから注意をされてしまい。思わず愚痴を漏らしてしまう。


 だが、それも仕方い事だろう。


 勿論『せくはら』も問題ではあるのだが……


 ウルフの言葉からも分かる通り、私が今いるのは所謂、異世界と言うヤツで。

 私達が居た世界とは違い、魔法など無ければ魔物も居やしない。

 その代わりと言ってはなんだが、科学と言うものが異様に発達している異世界なのだ。


 当然、そんな世界では私の常識など一切通用しないし。

 この世界に来て二カ月足らずでは、馴染む筈も無い。


 本当、魔法陣の調整を失敗しなければ、こんな場所に来る事も無かったのに。

 そう思うと悔やんでも悔やみきれないが、こうなった以上は受け入れるしかないのだろう。


 だが、受け入れようと思っていても、実際に適応できるかと言えば別問題で……



「はぁ、仕事行きたくないな……」



 やはり、そんな言葉を漏らしてしまう。



「もう、しっかりしなさいよ? 朝ご飯は私が作っておいたから、これ食べたら元気出すのよ?」



 そんな私の弱音を聞いたウルフは、手に持ったナニカを目の前に差しだすのだが……



「……これ、徳用のハムにマヨネーズかけただけじゃないか?」


「ハムのマヨネーズ添えよ?」


「添えと言われると料理と言う気もしなくはないが……

流石にこれは作ったとは言えんだろ……まぁ、いただくが……」


「まったく、メーテは文句が多いわね〜」



 ウルフはそう言うと、ハムにマヨネーズを阿呆程かけ。

 口の周りを白くしながらもっちゃもっちゃと頬を膨らませる。


 その姿を見て若干引いてしまった私は、流石にこのまま食べるのもどうかと思ってしまい。

 厚切りのパンを半分にスライスすると、トマトとレタスを挟み。

 それらしい見た目にしてから食べる事にした。



「さて、私は日雇いのバイトに行ってくるから後はよろしくね」



 ウルフはハムを食べきると、そう言い残し玄関から出て行く。


 ウルフから聞いた話では、どうやら引っ越しや工事現場などを斡旋して貰っているようで。

 自分の長所を活かした仕事である為、特に苦にもならないようだ。


 むしろ、最近では日雇い仲間から『姉さん』などと呼ばれ、楽しくやっているみたいで。

 なんとも適材適所な仕事場を見つけたものだと思い、感心もするのだが。

 そう思う反面。ウルフの順応能力の高さに引いてしまってもいた。


 だって、異世界だぞ!?


 しかも、この世界に来て2ヶ月そこらで友達まで作った上に。

 この前なんか――



『飲み会に誘われて『からおけ』って場所に言って来たわ〜』



 お前は『てれび』で言ってた『リア充』か!?


 なんだ『からおけ』って!


 私なんか――



『あら、『がいじんさん』も休憩? 邪魔しちゃ悪いわよね? おほほほほ』



 なんか『がいじんさん』とか言う訳の分からないあだ名を付けられてる上。

 他の社員さんと妙な距離を感じてると言うのに……



「何が違うんだろうな……はぁ」



 ウルフと比べ、現状に差がある事を感じてしまい。

 朝から何度目か分からない溜息を吐いてしまう。


 そして、そうしている間にも時間は流れていたようで。



「くっ!? もうこんな時間か!?」



 時計を見れば8時40分を過ぎており。

 私は急いで用意し終えると、慌てて家を出るのであった。







「おはようございます」


「あら、おはよう『がいじんさん』。今日も綺麗ねぇ〜」



 私の仕事先である、スーパー。

 その裏口から入り挨拶をすると、ベテラン社員のサカグチさんがそんな挨拶を返す。



「おはようメーテさん、今日も本当、綺麗だねぇ、ぐふぅ」



 次いで挨拶を返したのは、店長であるタナダさん。

 恰幅の良い体格をしており、まだ肌寒いと季節だと言うのにやたら汗をかいている。


 正直、人を見た目で判断するのは良くないと思っているのだが。

 『せくはら』の件も相俟ってか、非常に暑苦しく感じてしまい、少しばかり不快だ。


 その様に感じながらも、更衣室へと向かった私は制服へと着替え。

 準備が整った私は品出しの業務へと着くのだが――それからは多忙であった。


 慣れない仕事である事もそうだが。

 このスーパーと言うのは恐ろしい程に商品が充実しており。

 この世界の常識の無い私にとっては、商品を覚えるのも一苦労で。

 2ヶ月程経った今でも、半分も憶えられていない。


 その為、業務の合間には商品名を覚える為にメモを取り。

 メモを取ったことを反芻しながら、業務に励むのだが――


 そうこうしている間にも、あっという間に時間は流れて行き。

 お昼の休憩時間を迎える事になる。と言うのが私の日常であった。


 そして、それは本日も変わらず。

 休憩に入るように告げられた私は、最近のお気に入りである、『あんぱん』と『こーひぎゅにゅー』を購入すると、休憩室へと向う。


 そうして『あんぱん』を頬張りながら、メモ帳に目を通していると――



「あら『がいじんさん』も休憩? あっ、お邪魔しちゃ悪いわね」 



 サクグチさんが姿を見せるのだが、そう言うとそそくさと休憩室から離れようとする。


 だが――


 ウルフが人間関係を構築していると言うのに、私はこのままでいいのだろうか?

 そんな疑問が過ると、思いきってサクグチさんに声を掛ける事にした。



「じ、邪魔ではないです!」



 そんな一言ではあったが、サクグチさんには届いていたようで。



「そ、そう? なら、昼食を御一緒させて頂こうかしら?」



 そう言うと、対面の椅子へと腰を下ろした。


 そうして、昼食を一緒に取る事になったサカグチさんと私。


 

「なんか『がいじんさん』いつも難しい顔して、メモ帳と睨めっこしてるでしょ?

だから、話しかけちゃ悪いかな〜なんて思ってたのよ」


「い、いえ、邪魔だなんて……むしろ、色々と教えて貰えたら嬉しいです」


「あら、そうなの? じゃあ、今度から休憩が被った時はご一緒しましょうか?」


「ぜ、是非! ……そ、それと、気になっていたんですが。

『がいじんさん』と言うのは私のあだ名なんでしょうか?」


「あ、あら。ごめんさいね。

名前で呼ぶのも馴れ馴れしいと思ったんだけど、考えたら外人さんて呼ぶ方が失礼よね……

じゃあ、今度からメーテ……メーテちゃんって呼んでも良いかしら?」


「そ、それでお願いします!」


「ふふふ、私の事は名前でもおばちゃんでも好きに読んでね。

改めてよろしくね、メーテちゃん」


「は、はい! サカグチさん!」



 どうやら、距離を感じていたのはお互い様だったようで。

 少しばかり勇気を出す事で、距離は縮まると言う事を実感した私は。

 この異世界と言う場所で、新しく人間関係を築けた事に思わず頬を緩めてしまう。


 そして、サクグチさんと雑談に興じている間にも休憩時間は残り僅かとなっていたようで。



「それじゃあ、午後も頑張りましょうね!」


「はい!」



 そんな挨拶を交わすと、サクグチさんと私は業務へと戻ることになった。



 




 午後の業務が始まって暫く経ち、業務時間も後僅かになった頃。


 私は新しく人間関係を築くことが出来た余韻に浸り。

 頬を緩ませながら店内の商品を陳列していた。



『今日は、良い気分のまま帰れそうだ』



 だが、そんな風に思ったのが良くなかったのだろう。



「メーテさん、この仕事には慣れた?

おおっと、この商品はラベルが正面を向くように並べなきゃ駄目だよぉ〜ぐふっ」



 店長のタナダは、姿を見せると同時に間違いを指摘する。

 まぁ、それだけなら私の落ち度なのだが……



「ほ、ほらぁ〜、こうやるんだよぉ〜」



 タナダはそう言うと、商品を持った私の手に短く毛深い指を添える。


 それは、指導の体を成しているようにも見えるが。

 無駄に這う指からは指導以外の目的が感じられ、ハッキリ言って不快でしか無い。


 要するに、これが私の身に日常的に起きている『せくはら』と言うヤツで。


 『重槌』でも使用して潰れたトマトみたいにしてやろうか? 


 そんな欲求に駆られてしまうのだが……一応、これでも店長であり雇い主だ。

 その欲求をぐっと堪えると引き攣りながらも笑顔を浮かべて見せた。


 しかし、黙って受け入れていたのが悪かったのだろう。


 タナダの指が、私の手では無く尻の方へと伸びようとし。

 流石にそれは看破出来ないと考えた私は、お灸を据えてやろうと考える。


 だが――



「ああっと! す、すみません!」


「おおっ!? お、お客さん! 何してるんですか!?」



 タナダの指が尻へと伸びようとしたその瞬間。


 高校生と言うヤツだろうか?

 豪快に転んだ黒髪の少年。その少年が卵のパックをタナダの足元へと落とし。

 その事により、タナダの指が引っ込む事になる。



「す、すみません! 妹からの連絡を見てたらつまずいてしまって……」


「勘弁して下さいよお客さん……取り敢えず玉子は弁償して貰いますけど、問題無いですよね?」


「は、はい! 弁償します! 本当すみませんでした!」 



 そして、玉子の料金を弁償する為に、黒髪の少年はタナダに連れていかれる事になるのだが――


 そんな、2人の姿を眺めていると、黒髪の少年はチラリと振り返り。

 優しく微笑むと、ペコリと頭を下げた。



 そんな黒髪の少年の姿を見た私は。

 もしかしたら、『せくはら』から私を庇ってくれたのだろうか?


 そう思うと、私の勘違いかもしれないと言うのに、思わず笑みが零れてしまった。





 その後は、特に問題も無く業務が進み。

 あっという間に定時を迎える事になる。


 サカグチさんや、タナダに挨拶を済ませた私は裏口から出ると帰路につく。


 しかし、その道中。

 ふと『こんびに』が目に入り――



『今日は、嬉しくなる事が2つもあったしな……少しだけ贅沢でもしてしまおうか』



 そんな風に言い聞かせると、寄り道をする事に決め。

 『こんびに』にあるお酒コーナーへと向かう。


 私は500mlと表記された銀色の缶ビールを2本と、果物の書かれた甘いお酒を2つを選んでカゴへと放り込み。

 お酒の肴として、甘辛い鶏肉の缶詰と4個入りのチーズも購入する。


 そうして購入が済むと、軽い足取りでアパートの前へと向かい。

 アパートへと辿り着くと私達の部屋に明かりが付いている事に気付くのだが。


 それと同時にウルフが帰宅している事も理解し――



『折角だし、ウルフにも振舞ってやる事にするか』



 そう思うと踵を返し、『こんびに』でウルフの分のお酒や肴を購入すると、急いでアパートへと帰る。



「おかえりメーテ。 あら? 沢山買って来たのね?」



 出迎えたのはやはりウルフで、私の持った袋を見て、興味深そうに覗きこんだ。



「ああ、今日は少し良い事があってな。

ちょっとしたお祝いだ。勿論、ウルフの分もあるから安心しろ?」


「良い事? 何があったのかしら?」


「ふふっ、それは飲みながらゆっくり話そうじゃないか」


「それじゃあ、ゆっくり聞くことにしようかしら」



 そんなやり取りを交わすと、ウルフと私は準備を始め――



「実はな、今日こんな事があったんだ――」



 なんでもない日でもあり。

 ちょっとした嬉しい出来事があった日を祝い始める。




 正直、常識の通じない異世界で暮らすのは不安しかなく。

 出来る事なら早く元の世界に帰りたいと言うのが本音だ。


 ――だが。

 だが、こんな日がたまにあるのであれば――


 もう少しだけ、この異世界で頑張ってみるのも悪くないんじゃないかな?



 冷たいビールで喉を潤しながら、私はそんな風に思うのだった。





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エイプリルフールと言う事で書いてみました。

急に思い立ったのでギリギリ間に合ったと言う感じですね……


楽しんで頂けたら嬉しいです!

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