第156話 観客の居ない試合

  

「どうしてこうなったのか……」



 自分の置かれている状況に、思わずそんな言葉が吐いて出る。


 僕が立たされているのは会場にあるリングの上。

 数時間前の喧騒が嘘のように静まり返っており。

 あれだけ人で埋め尽くされていた観客席には人影すら見当たらない。


 僕は「はぁ」と息を吐くと、現実を直視する為に観客席から視線を切った。


 夜の帳が降り、魔石灯の淡い光に照らされたリングの上。

 僕の正面には腰まである黒髪が特徴的な女性の姿があり。

 女性が黒髪を気だるげに梳いて見せると、魔石灯の光を浴びた黒髪がキラキラと揺れる。


 その光景に一瞬見惚れてしまいそうになるが。

 頭を振って雑念を払うと正面の女性へ声かけた。



「……ミエルさん、本当に戦うんですか?

僕としては、戦わないで済むのならその方が良いんですけど……」



 黒髪の女性――ミエルさんは気だるげに溜息を吐いた後に言葉を返す。



「まぁ、戦わずに済むのなら越した事はありませんが……

私達が拒否したと所でお互いの師が納得するとは到底思えませんね」



 そう言ったミエルさんの視線の先にはメーテとテオ爺の姿があるのだが――



「アル! テオドールの弟子より凄いと言うところを見せてやれ!」


「ミエル! メーテ様の弟子より凄い所を見せつけてやるんじゃ!」



 などと言って、興奮した様子を見せているのだから手に負えそうにない。


 それに加え――



「そうじゃ! もしミエルに勝てたなら嫁として迎えてくれても構わんぞ?

ミエルが負ける筈もないが……

じゃが、万が一負けたとして嫁の貰い手が出来るとなればそれも悪くないのう」  


「ミエルが嫁!? それは面倒……じゃなくて!

テオドール! そう言えば私が書いた魔道書を昔欲しがっていたよな?

か、賭けるのであればそう言うのにしたらどうだ? なんなら禁忌経典などもあるぞ!」


「禁忌経典!? それにメルワ―ルの魔道書ですと!?

そうなると……ミエルが負けた場合、それ相応の嫁入り道具も付けないといけませぬのう……」


「そ、そうじゃない! 一度ミエルから離れて考えてみよう! な?」



 賭け事まで始めてしまうのだから本当に手に負えそうにない……


 と言うか、テオ爺は何を言ってるのだろうか?

 普段、テオ爺とミエルさんの間でどんなやり取りがされているかは分からないが。

 賭けの対象として扱われては、ミエルさんとしても良い気はしないだろう。 


 そう思っていたのだが……



「私はそれでも構いません。無論、負けるつもりは毛頭ありませんが」



 あろうことか受け入れる姿勢を見せるミエルさん。


 そんな軽いノリで良いのだろうか?と首を傾げたくなるが。

 本人が良いと言っている以上は、口を挟んだ所で余計なお世話でしかないのだろう。


 まぁ、僕が勝ってしまった場合の対応に困るので、断って欲しかったと言うのが本音ではあるのだが……

 最悪、ある程度実力を見せてから負けて見せれば丸く収まるだろうし。

 それに、メーテには度々振りまわされているので、たまには痛い目を見て反省した方が良いだろう。


 メルワ―ルの魔道書や禁忌経典やらにどれほどの価値があるかは分からないが。

 今回はメーテにも痛い目を見て貰う事にしよう。

 そう決めると、頃合いを見て降参する事に決めたのだが―― 



「ミエルが嫁にと言う件は兎も角。

ミエルであれば全力を出したところでどうにか対処してくれる筈だから全力でやるんだぞ?

わざと負けるようなことをした場合……その時はゴーレムの時以上の苦行を用意するからな?」



 メーテの一言により、一瞬にして絶望へと叩き落とされる。


 ゴーレムを相手にした修行の日々から随分と時間が流れてはいるが。

 あの日々を思い出すだけで、未だに軽い動悸が襲うくらいにはトラウマであり。

 二度とやりたくない修行第一位でもあった。


 それだけでも全力で避けるべき案件ではあるのだが。

 あろうことかメーテはそれ以上の苦行と言う……


 正直、信じたくない言葉ではあるのたが。

 今までの経験上、こう言った時のメーテの言葉には嘘偽りが無く、苦行を用意すると言ったら間違い無く用意するだろう…… 


 一転して負けられない状況に追い込まれてしまった訳なのだが。

 僕達が本気で戦えるように人払いを済ませていることや。

 僕が闇属性魔法を使えるように、僕の素養を知るもの以外――メーテとテオ爺、それにウルフ以外は帰していることを考えれば。

 元より追い込まれている状況で、僕に選べる選択肢など始めからなかったのだろう。


 その事に気付いた僕は、余計な考えは一旦頭の隅に追いやり。

 「負ける訳にはいかない!」と自分に強く言い聞かせ、ミエルさんに勝つ為に意識を切り替えるのであった。






 ◆ ◆ ◆






 どうしてこうなったのか……



 どうしてこうなったかと言えば、テオドール様とメーテ様の言い争いが加熱した結果だろう。

 そう理解しており、テオドール様が戦えとおっしゃている以上、断る余地など無いのだが……


 目の前の少年。確かアル君と言ったか?

 後期組の一年と言うことは12か13歳の筈で。

 私より5歳も年下の少年と戦わなければいけないと言うのだから、少しばかり面倒にも感じてしまう。


 まぁ、メーテ様が師事し、Bランク相当と評している事からも、相応の実力がある事が予想出来るのだが……

 やはり、年齢差を考えると、気が引けてしまう部分が有り。

 その所為か面倒にも感じてしまう。 


 それにだ。

 メーテ様はアル君の実力をBランク相当と評し。

 闇属性魔法を使用できる状況での実力をAランクと評していると思うのだが……

 ……正直、本当にAランク相当の実力があるのかと言えば疑わしい所でもある。


 確か、私がアル君と同じ年齢だった頃と言えば。

 中級魔法の殆どを憶え、その中の幾つかを無詠唱で放てるようになった頃で。

 出来る事だけで言えば、Aランク冒険者相当の実力があったと言っても過言ではないだろう。


 しかし、あくまで「出来る事だけで言えば」の話で。

 実際に魔物と戦うとなると「出来る事」が「出来なくなる」と言うのはよく聞く話だし。

 私自身、戦闘の空気に当てられてしまい十全に力を発揮できないと言う経験が何度もあった。


 要するにAランク相当と言う言葉に、経験と言う中身が伴っていない場合。

 強さの指標として意味を成さない場合がある訳なのだが……



「……ミエルさん、本当に戦うんですか?

僕としては、戦わないで済むのならその方が良いんですけど……」 


 

 そう言ったアルからは覇気と言うものが感じられず。

 とてもじゃないが、経験と言う中身が伴っているようには思えない。


 メーテ様の評価自体、師匠の贔屓目と言うヤツなのではないだろうか?

 そんな風に思うと、この場に立たされたアル君の事を少しだけ不憫に感じてしまうのだが……

 ふと「テオ爺」と呼ぶ姿を思い出すと苛立ちを覚えてしまう。


 このアルと言う少年。

 『賢者』であり『学園長』であるテオドール様の事を、有ろうことか「テオ爺」などと呼ぶのだ。

 まるで近所のお爺さんに接するのと同じようにテオドール様に接するこの少年。


 実に羨まし――では無く不敬以外の何物でもないだろう。

 私だってテオ爺などと呼んで甘えて――では無く、もっと敬意を持って接するべきなのだ。


 それなのにテオドール様ときたら、テオ爺と呼んでもらえる事が嬉しいようで。

 「アルとお話をした」「アルとお茶を飲みに行った」「アルと良い子じゃ」

 などと言ってアルの話ばかりしするのだから嫉妬しそうに――では無く、もっと威厳を示す……


 ……いや、誤魔化すのはよそう。

 正直、私が出来ない事を簡単にやってのけるこの少年が羨ましいのだ。

 だから、テオ爺と呼ぶ事に対して注意した際。

 我ながら大人気ないと感じながらも、睨みつけるような真似をしてしまったし。

 それ以前も冷たい対応――いや、嫌がらせのような対応をしてしまった。


 その事を思い出すと、アル君に対して悪い事をしたな。

 そう思うと同時に、自分の拙さに嫌気がさしてしまい――



「自分の感情なのにままならないな……いや、自分の感情だからこそか……」



 思わずそんな言葉が漏れてしまったのだが。

 そうして一人自嘲している間にもテオドール様とメーテ様のやり取りは熱を帯びて行き。

 どうやら賭け事にまで発展してしまったようだ。


 そして、賭けの対象はどうやら私らしいのだが……


 正直、これはいつもの事だ。

 テオドール様は、私に良い相手が居ない事を心配されているようで。

 何かに付けて、私に男性を宛がおうとする。


 まぁ、15歳の成人と共に結婚する者も少なくは無い世の中だ。

 18歳で相手が居ないどころか、交際経験の一つも無ければ心配されるのも当然で。

 実際問題、私としてもテオドール様に心配を掛けてしまうのを心苦しく思っている部分もあり。

 テオドール様の憂いを払う為にも、良い相手が居さえすれば、交際するのもやぶさかではないのだが……


 しかし、幼い頃からテオドール様の姿を見ていた所為だろうか?

 男性とは強い者であると言う印象が強く。

 最低でも私より強い者でなければ交際相手として見る事が出来ないのだから仕様が無い。


 とは言え、幼さが残る少年にまでこのような話を持ち出すとは……

 本当、私の男性問題はテオドール様にとって大きな問題なのだろう……


 そう改めて実感すると、心労を掛けてしまっている現状に申し訳ない気持ちが込み上げ、少しばかり情けなくなるが。

 それを表情に出さないようにし――



「私はそれで構いません。無論、負けるつもりは毛頭ありませんが」



 賭けの対象になる事を受け入れる。


 テオドール様の提案とは言え、嫁になるなんて賭けを受け入れる私も私だが。

 こんな賭けに巻き込まれてしまったアル君は本当に災難だな……


 そう思った私は、私が賭けを受け入れた今、アル君がどの様な表情をしているの気になり。

 アル君の表情をチラリと覗き見る。


 すると、アル君は視線を私へと向け、心配する様な表情を浮かべており。

 なにか考え事をしているのだろうか? コロコロと表情を変えて見せた。


 眉根に皺を寄せてると思ったら、次の瞬間には閃いたかのように目を開き。

 目を開いたかと思ったら、今度は何かを企んでいるかのように口角をあげる。


 まぁ、私の主観であり、実際どのような事を考えているかはまったく分からないのだが。

 その表情を見ているのは何となく面白い。


 極めつけはメーテ様が「ゴーレムの時以上の苦行を用意する」と言った後の表情。


 ゴーレムの時と言うのが分からない私でも、相当辛い思いをしたのだろう。

 そう察する事が出来るくらいに目を見開き顔を青褪めさせるアル君。


 正直、悪いとは思ったものの、その分かりやすい表情の変化に思わず噴き出しそうになってしまった。


 ――だがしかし、そんな表情を見れたのも数瞬の出来事で。


 きっと、戦う覚悟を決めたのだろう。

 アル君の纏う雰囲気が先程までとガラリと変わる。


 そんなアル君を見た私は雑念を振り払うと、勝つ為に意識を切り替えるのだった。

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