第146話 エレナと言う少女の話


「本当、にゃにやってるんだか……」



 席位争奪戦の会場。そのリングの上に立つラトラは呆れたように呟く。


 ラトラの視線の先にあるのは、観客席の一角。

 そこには見知った人たちの姿があるのだが、何故だかやけに騒々しい。


 ラトラとしては、彼らが騒々しいのはいつものことであり、特別珍しいことではないのだが……


 こんな広い会場でもすぐに見つけられるくらいに目立っているともなれば。

 ラトラが少しばかり呆れてしまい、溜息を吐いてしまうのも仕方が無いことなのかも知れない。


 まぁ、実際のところは、呆れたと言っても本当に呆れている訳では無く。

 「仕方にゃいな〜」と言った感じの笑みを含んだもので、ラトラ自身、彼らの作る空気が好きだったりする訳なのだが。


 ラトラが、そんな風に呆れるような笑みを零していると――



「試合を前にして笑みを零すとは随分と余裕じゃないか? それとも諦めから出る笑みかい?」



 ラトラの眼前に居る対戦相手。

 第六席と言う実力の持ち主であるグランベール=スルノアから声が掛かる。


 そして、声を掛けられたことでラトラは緩んだ空気を霧散させると、グランベールへ視線を向けるのだが……

 その視線は普段のラトラからは想像出来ない程に厳しい。



「おお、怖い怖い。

女性はそんな怖い顔より、笑っていた方が似合うと思うよ?」



 ラトラの厳しい視線を受けて尚、飄々とした態度を崩さないグランベール。

 それだけでもラトラの神経を逆なでるのだが。

 それに加え――



「これから僕と試合な訳だけど――どうだい?

試合が終わった後に僕とデートしてくれるのなら少しばかり手を抜いたって構わないよ?

第六席の僕といい勝負が出来たとなれば審査員に良い印象を与える事が出来ると思うし、悪い取引じゃないだろう?」



 そんな事を宣うのだから、ラトラの視線も一層険しくもなると言うものだ。


 ラトラからしてみれば、グランベールのこの提案は一考の価値も無い、実に下らないものではあったのだが。

 グランベールからしてみれば、至極真面目な提案であった。


 何故なら、この席位争奪戦本戦。

 総勢16名で行われる為、一回戦を勝ち抜いたその時点で第八席以内が確定する。

 では、残りの第九席と第十席はどうやって決めるのかと言えば、一回戦で負けた者の試合内容を加味し、審査員の下す評価によって決められることになる。


 準決勝も同様で、勝ち抜いた者は無条件で第四席以内が確定するのだが。

 第五席から第八席までは試合内容によって席位が決められてしまう。


 そうなると当然、負けるにしたって試合内容が良い方が審査員に対する印象も違ってくるだろうし。

 上手いこと善戦することが出来れば、一回戦で負けたとしても第九席、或いは第十席を与えられる可能性だって無い話では無い。


 それを知っているからこそ、グランベールはデートを条件に手を抜くことを提案した訳なのだが……   


 当然、ラトラからすれば受け入れられる提案でも無く。

 こう言った場ですら平気で女性を口説こうとするグランベールは嫌悪の対象として映ることになる。


 それにだ――


 ラトラは下らない提案をされる前から、グランベールに対して思うところがあり。

 有り体に言ってしまえばラトラは怒っていた。


 では、何故ラトラは怒っているのか?

 その原因を知るには、今朝ラトラに起きた出来事、それを知る必要がるだろう。






 ◆ ◆ ◆






 それは、ラトラにとって朝の日課である軽いランニングを終え。

 寮生が利用する訓練場で木製の的を相手に軽い組手をしている時だった。



「君……ラトラちゃんだよね?」



 そう声を掛けてきたのは同じ寮に住む女子生徒で、後期組の2つ上の先輩であるとラトラは記憶していた。


 同じ寮で生活していると言うこともあり、顔こそ見掛けたことのある人物ではあったのだが……

 接点らしい接点など今まで一度も無く、何故声を掛けられたのだろう?

 そう疑問に思うと、ラトラはコテンと首を傾げて見せる。


 そして、疑問に思うと同時に、友人が罠に嵌められた経緯を思い出したラトラ。

 このタイミングで接点の無い相手から声を掛けられたことを不審に思い、女子生徒へ向ける視線を僅かばかり厳しいものにするのだが。


 どうやら女子生徒にも引けない理由があるようで。

 ラトラの視線を受け、ビクリと肩を跳ねさせながらも、恐る恐ると言った様子ではあるが言葉を続けて見せた。



「す、少しだけで良いから時間を貰えないかな?」


「時間にゃらあるけど、何の用にゃ?」


「え、えっと、此処では話し辛いと言うか……」


「此処じゃ駄目ってなんでにゃ?」 



 ラトラは女子生徒と会話を交わすのだが、やはり警戒は解かない。


 ノコノコと着いて行って、友人同様に一服盛られてしまっては堪ったものでは無く。

 そのような考えからラトラは幾分冷たい対応をして見せる。



「え、えっと……」



 此処じゃ駄目という言葉を聞いて、目に見えて狼狽えて見せる女子生徒。

 やはり、何か小細工でも要して、失格になるよう仕向けるつもりなのだろう。

 そう思ったラトラが、この場から離れる事を決め、行動に移そうとしたその時――



「ありがとう、ルゥちゃん。気を使わせちゃったね」



 そんな言葉と共に訓練場の扉の向こうから女子生徒が姿を見せ――



「ちょっ! エレナは『身重』なんだから部屋で休んでなさいって言ったでしょ!!」



 ルゥと呼ばれた女子生徒の言葉に自分の耳を疑い、足を止める事になった。


 もしかして聞き間違いだろうか?

 自分の耳を疑いながらもエレナと呼ばれた女子生徒のお腹を見てみると、僅かだが丸みを帯びていることが分かる。 


 恐らくだが、エレナと呼ばれた女子生徒のお腹には新しい命が宿っているのだろう。

 そう思ったラトラは、思わず警戒を解きそうになるのだが……


 そんな相手が何故声を掛けて来たのだろう?

 再度疑問に思うと改めて警戒し、その上で話だけは聞くことにした。






 ――そうして2人から話を聞き終えたラトラ。


 話の内容を端的に言ってしまえば、エレナがグランベールに孕まされたと言う話なのだが……

 話を聞き終えたラトラが思わず顔を顰めてしまうくらいには酷い内容であった。


 では、どのような内容であったかと言うと――


 このエレナと言う女子生徒。ルゥと同じく後期組の最高学年なのだが。

 辺境の地を任されている貴族の娘と言うことで、貴族と言ってもあまり裕福では無く。

 一般的な家庭よりも多少ばかり裕福と言えるような、言えないような、そんな家庭で育ってきた少女であった。


 そして、そんなエレナが住む領地なのだが。

 川の整備が整っておらず、雨季には川が氾濫し農作物に被害を及ぼす事が多々あるような場所で。

 土属性の素養があったエレナは、雨季が近付くと、度々駆り出されては氾濫を防ぐ為に土属性の壁を作る事をしていた。


 まぁ、独学である為に土嚢を幾つか積み上げた程度の壁でしか無いのだが……

 それでも、領民はエレナに感謝していたし、エレナも領民の力になれる事を嬉しく感じていた。 


 だからだろう。

 エレナは魔法をしっかりと学び、両親や領地の民の為に自分の力を役立てたいと考えるようになり。

 領民が安心して過ごす為に、学んだ魔法で川が氾濫しないように整備するのが目標となっていた。


 ……しかし、エレナの家は言ってしまえば貧乏貴族と言うヤツで。

 エレナを学園に通わせるには金銭面で随分無理をする必要があったのだが。

 エレナの両親は幾つかの私財を処分することで学費を捻出し。

 エレナの目標を知っているからこそ、両親たちも無理をしてまで学園へ通わせて見せた。


 そんな両親の期待に答えるべくエレナは勉学に励み。

 素晴らしい成績こそ残せていないが、上位より少し下の位置で必死に頑張ってきた。


 そして、後期組として学園へと通い始め3年目――

 今年一年通いきれば卒業と言うところまで漕ぎつけることが出来ていたのだが……

 最高学年へと進級する前の休みの時期に両親から一通の手紙が届くことになる。


 その手紙の内容はいつも通りの近況報告や頑張れと言った応援の言葉が綴られていた。

 だが、いつもの手紙と違ったのは「何があっても負けるなよ」と言う、普段ならあまり見られない一文が綴られている事だった。


 エレナは、少し不審に思ったものの。

 『今年で卒業だし、激を飛ばしてくれているのだろう』そう思い深くは受け止めなかったのだが……

 その一文の意味を知ることになったのはそれからひと月も経たない頃だった。


 エレナが友人たちと食堂で食事をしていると、隣の席の会話が偶々耳に入る。

 会話の内容はとある貴族が地方の貴族に圧力を掛けられており、その所為で領地の内政が立ちいかず、窮地に瀕していると言う情報だった。


 それで会話が終わっていたら、きっとエレナは聞き流していた話だろう。

 しかし、続いて聞こえてきたのは『その所為でサクスの実が都市まで流れて来ないらしい』と言う会話だったのだから他人事では無い。


 何故なら、この会話の中に出てきた『サクスの実』と言うのがエレナの両親が治める領地の名物であり。

 甘く酸味のある果実である『サクスの実』を名物にしているのは、周辺ではエレナの両親の領地以外は記憶にない。


 圧力を掛けられている領地と言うのが両親の領地だと知ったエレナは、確認を取る為に急いで両親に手紙を書いた。

 だが、返ってきた手紙に書かれていたのは『余計な事は考えずに勉学に励みなさい』と言った内容で。

 エレナの両親は決して自分たちの現状を話そうとはしなかった。


 ――しかし、それが悪かったのだろう。

 エレナは自らの足で情報を集め始め、程なくしてある情報へと辿り着いてしまう。


 その情報とは、エレナの両親にの領地に圧力を掛けているのが、スルノア子爵家と言う情報。

 そして、圧力を掛けている理由はエレナに関係していると言うことだったのだが……


 真相を知ったエレナは思わず「そんなことの為に……」と零してしまった。


 スルノア子爵家が圧力を掛けた理由。

 それは、エレナのことを気に入ったグランベールが、子爵家の権力を振りかざし。

 使用人としてエレナを差し出すように告げた所、エレナの両親が断ったのが理由だというのだから理解が追いつかない。


 しかも、使用人とは言っているが、恐らくこの場合はそのままの意味では無く。

 言ってしまえば妾――いや、そんな良いものではなくグランベールの性的な欲を満たす為だけにエレナを寄こせと言っているのだろう。

 それを理解した瞬間、エレナは嫌悪感から嘔吐することになったしまったのだが……


 領地の問題を解決できるのは自分しかいない。

 そう決意したエレナはすぐにグランベールの元を訪ねることになる。


 正直、会いたくは無いと言うのが本心ではあるし、どんな要求をされるか分かったものでは無かったが……

 両親や領地の人々の事を考えれば――何をされようが受け入れる。

 そんな覚悟の元にエレナはグランベールの元を訪ねた。


 そして、そんなエレナの覚悟を読み取ったのだろう。

 エレナが訪ねると、グランベールは己の欲望を隠すこと無く醜悪に笑い――






 夜が明けた次の日。エレナの心境は最低だった。

 執拗に這う舌も、無遠慮にまさぐる指先も――思い出す度に吐きそうになるが。

 それでも、それでも、これで子爵家からの圧力が無くなると思えばどうにか耐える事が出来た。


 ――しかし、弱者が損を見るのは世の常なのかもしれない。


 それから度々呼び出されては乱暴に求められ、嫌悪感に耐えながらもそれに耐えていたエレナだったのだが……


 何度か両親に手紙を送っているものの、返ってくる手紙からは状況が好転した兆しが窺えない。

 本当なら詳しく状況を聞きたいエレナであったのだが。

 自分のした事……グランベールに身を差し出したなど両親に伝えられる筈も無く。

 歯がゆい思いをしながらも成り行きを見守るしかなかった。


 グランベールの元を訪れた際には、口を酸っぱくして両親や領地の事を伝えていたし。

 グランベールも了承していたので、何処か安心している部分があった。


 だがしかし、こうも好転の兆しが見えなくては、流石に不安にもなる。

 本当に両親や領地に圧力を掛けるのを辞めてくれたのか?

 エレナは不敬覚悟で、グランベールへ強く問い詰める事にしたのだが……



「ああ、忘れてた」



 返ってきた言葉にエレナは言葉を失う。



「それと、もう此処には来なくていいよ? 飽きちゃったから」



 そして、追い打ちを掛ける様に告げられた言葉で絶望に叩き落とされることになった。 


 それは、自分に価値が無いと言っているのと同義。

 両親や領地への対応をしていないと言う状況で、自分に価値が無いと言われてしまったらエレナに打つ手は無い。


 だから、エレナは声を荒げた。

 「なんで!?」「どうして!?」「約束したじゃない!?」

 そんな言葉を並べ、グランベールの情へ訴えかけるのだが……


 グランベールは興味を失った玩具を見る様な視線を向けると、何も言わずに――ただ、鼻で笑った。


 その瞬間エレナの心は折れてしまった。


 どうやって寮まで帰ったのかの記憶も無く。

 ルームメイトであるルゥの帰宅が一時間遅ければ、手首から流れる血で命を落としてしまっていた程に……


 それからのエレナの様子は酷いものだった。

 ルゥが学園に通ってる間も自室に閉じこもり、一切外に出る事は無かった。

 それだけでも重症と言えるのだが……

 更にはルゥが目を放した隙を見ては自傷を繰り返し、夜になると子供のように泣きじゃくる。

 それを宥めるのがルゥの役目で、ルゥに優しくあやして貰うことでエレナは漸く眠りにつくと言う生活を送っていた。


 そして、そんな生活が続いたある日の事。


 洗濯物などは纏めて寮に頼むことが殆どで、生理時に当てがう布などは自分で洗濯するのが常識であったのだが。

 此処二ヶ月ほどエレナが生理用品を洗濯している姿を見掛けていなかった。


 人によって数ヶ月遅れるなんてこともある話ではあるのだが。

 事情を知っていたルゥは万が一の事を考え、病院に行き診察することを強く薦め。

 エレナはそれを了承することにした。


 そうして診察を終えたエレナ。

 エレナから聞かされた言葉はルゥにとって衝撃的なものだった。



「お腹に赤ちゃんがいるみたい」



 正直、ルゥは最悪だと悪態をつきたくなった。

 本来、命を授かると言う事は喜ばしいことだとルゥだって理解していた。


 だが、事情が事情なだけに今回ばかりは喜べない。

 エレナは漸く以前の生活を取り戻し始め、休みがちではあるが学園に通う日も増えて来ていた。

 アレだけ苦しんだのに、また思い出させる様な事をするなんて、神様はエレナに恨みでもあるのだろうか?

 そう思うと怒りのせいか強く拳を握りしめてしまい、ルゥの掌にうっすらと血が滲む。


 だがしかし――


 ルゥの心境とは裏腹に、この出来事によってエレナの意識は前向きなものへと変わって行く。


 皮肉なことだが、お腹に新しい命があること知ったことで。

 自分の命は自分一人だけのものでは無いと言う意識が芽生え。

 自分の命はお腹の子の為にも無碍に扱うことは出来ないと言う意識がエレナの中で芽生えたのだ。


 それからは、徐々に以前のエレナを取り戻して行き。

 少しづつだが笑うようにもなったし、普通に会話も楽しめるようになっていった。


 それに加え、グランベールがエレナから興味を失った所為だろうか?

 スルノア子爵家からの圧力はあるものの、エレナの両親の領地に対する圧力も幾らかは弱まり。

 非常に厳しい状況ではあるものの、どうにかやっていけそうだと言うことを両親からの手紙で知らされる事になる。


 その事により。

 『ただ無意味に弄ばれた訳では無く、自分のした行動に意味はあったのだ』

 そんな風にエレナは自分に言い聞かせることが出来た。


 そして、気持ちを整理出来たこと。

 それに加え、ルゥが献身的に支えてくれたお陰で、エレナは急速に以前の日常を取り戻して行くことになる。


 正直、お腹の子供の事を両親には言えていないし。

 これからお腹が大きくなれば、学園に通うことも難しくなるかも知れない。

 他にも問題はまだまだ山積みだが――


 ――それでも、今、エレナは笑うことが出来るようになっていた。






 ――今朝、ラトラに起きた出来事。

 それは、エレナと言う少女の話を聞いた事だった。

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