第95話 お引っ越し
部屋を借りることになってから数日経ち。
お世話になった篝火亭の皆に別れを告げることになった。
まぁ、僕が借りた部屋と言うのは篝火亭からさほど離れていない上に、今ではお気に入りとなった杏子のジャムを購入しに篝火亭には足繁く通うつもりなので。
お別れを告げると言うのは少々大袈裟な表現かも知れないのだが。
「マリベルに何かされたら私に言うんだよ?」
「アル君の為に杏子のジャムを作り置きしておかなきゃな」
現に、女将さんや旦那さんはお別れと言った雰囲気を感じさせず。
いつもと変わらない態度で接してくれている。
「本当に引っ越しちゃうんですか?
宿代も払わなくていいし、ジャムも食べ放題の方法があるんですよ?」
そんな中、アイシャだけは少し寂しそうな表情を浮かべていたのだが。
「その方法と言うのは、私と結婚して婿に入れば――んがっ!
な、何すんのよ! ママ!!」
続く言葉の所為で、女将さんに拳骨を落とされる羽目になっていた。
いつもと変わらない、そんな二人のやり取りを眺めていると、思わず頬が緩んでしまい。
篝火亭から離れるのを少しだけ寂しく感じてしまうのだが。
会おうと思えばいつでも会えるんだから。
そう言い聞かせて寂しさを誤魔化すことにした。
そうしていると。
「おっす、引っ越しの手伝いにきたぞ」
引っ越しの手伝いを頼んでおいたダンテが姿を見せ。
篝火亭の店内からは「すみませーん」と呼ぶ、お客さんの声が届く。
「あら、呼ばれたみたいだね。
それじゃあ、私達は仕事に戻るけど、引っ越し頑張るんだよ。
それと、昼食を包んでおいたから、お腹がすいたら食べな。
もちろんお友達の分もあるから心配しなくていいからね」
女将さんはそう言って昼食の包まれた包み紙を手渡すと、パチリとウィンクをして見せたのだが……
「だからママ……
そう言う仕草は美人さんがやらなきゃ決まらないんだって……」
アイシャの無慈悲な一言に顔を真っ赤にすると――
「アイシャ!!」
そう声を荒げ、逃げるアイシャを追って店内へと駆けこんで行った。
そんな様子をいつもの事だと思いながら眺める僕と、2人のやり取りに着いて行けず、呆けた表情を浮かべるダンテ。
同じように2人のやり取りを眺めていた旦那さんは、呆れたような表情を浮かべ。
「最後まで騒がしくてすまないね。
まぁ、これに懲りず、また顔を出してくれれば嬉しいよ」
そう言って困ったような笑顔を浮かべた。
「これで懲りるくらいなら、とっくに違う宿屋にお世話になってますよ?」
僕が冗談交じりにそう返すと。
「ははっ、確かにアル君の言う通りだな」
旦那さんは妙に納得した様子で頷き、珍しく声を上げて笑うのだった。
その後、篝火亭を後にした僕達は、袋に詰められた荷物を担ぎ、引っ越し先へと向かう事になった。
学園都市に着いてから篝火亭で生活していたので、私物はそんなに無いと思っていたのだが。
流石に一ヶ月以上も同じ部屋でお世話になっていれば、それなりに私物が増えていたようで、一抱えはある袋で4つ分の荷物が出来上がってしまった。
篝火亭から引っ越し先まではそこまで離れていないのだが。
一人で運ぶとなると何往復かする必要があり。
それを手間だと思ったのと、その他にも生活必需品を買いだす必要があったので、ダンテに引っ越しを手伝って貰うことにしていた。
まぁ、身体強化や魔法を使えば一人でも問題無く運べるので、本当ならダンテに手伝って貰う必要も無いのだが……
こう言った作業は一人で黙々とやるよりも、誰かと会話しながらやった方が楽しいと言う印象があったので。
そんな身勝手な印象に、ダンテは付き合わされてしまったと言う訳だ。
そうして、荷物を担ぎ引っ越し先に向かったのだが。
ダンテは僕の引っ越し先である建物の前に着くと、急に笑いだした。
「くっくっ、お前中々洒落た名前の所に住むことになったんだな」
そう言ったダンテの視線の先には建物の名前が記されている看板があり。
その看板には『薔薇の眠る庭』と書かれていた。
「うっ、わ、笑わないでよ。
僕だって少し照れくさいんだから……」
年季の入った建物にしては随分と少女趣味な名前が付けられており。
建物名を口にすることに少しばかりの抵抗があったのだが、そこをダンテに突かれてしまい、思わず口ごもってしまう。
そんな僕を他所に。
「アルは女顔してるし、趣味も読書とか絵を描くことだろ?
それに料理とかもするんだっけ?
女が好きそうな趣味ばかりのアルにはお似合いの名前かもな」
そんな言葉を口にしクツクツと笑う。
「ダンテ、馬鹿にしてるでしょ?」
「馬鹿にしてねぇよ、只、アルにはお似合いの名前だな〜って思っただけだ」
「嘘だね! 絶対馬鹿にしてるよ!」
「おいおい、俺がアルのことを馬鹿にする訳無いだろう? ……くっくっ」
「ほら! やっぱり馬鹿にしてる!」
僕も一応は男なので、暗に女の子みたいだと言われてしまえば、反論の一つもしたくなり。
そんなやり取りをダンテと交わすことになったのだが。
「あんた達! 建物の前で騒がないでくれるかしら!?」
建物前で騒がしくしていた僕達を見兼ねたのだろう。
マリベルさんが窓から顔を出し、僕達に注意をする。
僕は慌てて、騒いだことを謝ろうとしたのだが……
「ん? 誰だ? あのちびっ子は?」
ダンテはマリベルさんを見た目だけで判断したようで、そんな言葉を漏らす。
そして、ダンテの言葉はしっかりとマリベルさんの耳に届いてしまったのだろう。
「あんた達、そこから動くんじゃないわよ?」
笑顔でそう言ったマリベルさんの手には何故か木の杖が握られており。
手のひらに何度か打ちつけると、小気味良い音が耳へと届いた。
恐らくだが、後数秒もすれば杖の打ちつける先が僕達に向くのだろう。
その事を察した僕は、こっそりとダンテの背後に周り、ダンテを生贄として捧げることを決めたのだが……
「アルも同罪だからね?」
どうやらそんなに甘くはなかったようで。
ダンテと僕は、マリベルさんにこってりと絞られる羽目になった。
どうにかマリベルさんから解放された僕達は、4階にある引っ越し先の部屋。
今日からは自室なる部屋に着くと、適当な場所に荷物を置き、何も置かれていないリビングに腰を下ろした。
「アルのところの大家さんおっかねぇな……」
そう口にしたのはダンテで、その声色から恐怖のような物を窺えた。
実際、マリベルさんは見た目だけなら美少女なのだが。
それなりに歳を重ねているだけあって、表情や仕草と言うものからはそれなりの年齢を感じさせられる。
なので、怒るにしても普通の美少女が見せないであろう表情で怒るので。
そのギャップが妙に恐怖を感じさせるのだ。
そんな事を思いながらダンテの言葉に頷いていると。
「まぁ、とりあえずさっさと荷解きを済ませちまうか」
ダンテは床から腰を持ち上げ、荷物の一つを解いていき。
「お前……道理で重いと思ったら殆ど本ばっかじゃねーか」
荷物の中身を見たダンテは呆れたように呟く。
確かに荷物の中身は殆どが本で、後は衣服やちょっとした日用品があるくらいだ。
「てか、こんな状態じゃ荷解きしても意味が無さそうだな」
その言葉に部屋を見渡してみれば、部屋の中には家具の類は一切無く。
荷解きをしてもそれを収める棚などが無い状態だった。
「確かにそうだね……
先に家具とか生活必需品を揃えた方がいいかも」
「そうした方が良いかもな。
んじゃ、どうする? 家具とか見に行くか?」
僕はダンテの言葉に頷くと。
僕達は家具や生活必需品を揃える為に商店街へと繰り出すことになった。
そうして、学園都市の商店街を見て周り。
ベッドや本棚、テーブルや椅子などを購入して行き。
テーブルなどは、皆がが来ることを考えて大きめの物を購入する。
どうやら、台車を貸し出してくれるようで購入した家具は自分達で運ぶことも可能らしいのだが。
後日であれば配送をしてくれるらしく、少し手間だと思った僕は配送して貰えるようにお願いした。
こうして家具を買い揃えて行った訳なのだが。
凄い勢いでお金が減っていくことに驚いてしまう。
迷宮都市で予定より多くお金を稼いでおり、まだまだ懐には余裕はあるのだが。
これから学3年間学園に通うことを考えれば、その余裕もいつまでもつか分かったものでは無い。
少し軽くなった財布を見て、今後の事を考えるのであれば節約する必要がありそうだと考えていると。
「この木製のコップ名前彫れるらしいぜ?
俺の名前を彫って貰うからアルの家に置いといてくれよ」
まるで彼女のようなことを言いだすダンテ。
その発言に引いてしまい、それが露骨に態度に出ていたのだろう。
「お前何考えてるんだ?
どうせ遊びに行くこともあるんだから、有った方が便利だろ?」
そう言うことかと納得し、ホッと胸を撫で下ろしたのだが……
「この食器とか、俺の分も有った方が良さそうだな」
「泊まることもあるだろうし、部屋着なんかも必要かもな」
「どうせ泊まるんなら布団も有った方が良いな」
ダンテは僕の家に置くのであろう私物を購入していく。
その様子を見た僕は。
「なんなの? ダンテは僕の彼女なの?」
言わないでおいた言葉を口にしてしまう。
「ば、馬鹿言ってんじゃねーよ!
さ、さっきも言っただろ? どうせ遊びに行くんだから有った方が便利だって!」
いやいや、流石にもう騙されない。
これは前世で見たドラマのように、徐々に私物を増やして行き、済し崩し的に同棲まで持ち込むヤツだ。
そう思った僕は。
「買った物を返してきなさい!」
心を鬼にして、そう伝えたのだが。
ダンテはその言葉に絶望的な表情を浮かべる。
「わ、分かった! 調子に乗りすぎた!
だ、だから週に一日で良いから泊めてくれないか!?
お願いだアル……」
その悲痛な叫びに何か深い事情があるのだろうか?
そう思い、詳しい事情を訪ねることにしたのだが――
「お世話になってる家には女しかいないって話はしただろ?
そこの下の女の子にはお兄ちゃんと結婚する、とか言って付きまとわれるし。
上の姉ちゃんはいつも薄着でなんかねちっこい視線送ってくるしで、全然休まる時間がねぇーんだよ!!
だからお願いだ! 週に一日で良いからアルの家に泊めてくれ!!」
なんだ。只の自慢か。
そう思った僕は一切の躊躇も無く、買ってきた物を返してくるよう伝えると。
ダンテの悲痛な叫びが店内に響くことになるのだった。
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