第92話 女将と大家

 学園の試験に無事合格したことを篝火亭の皆に伝える為。

 早い時間にダンテと別れると、僕は篝火亭へ足を向けた。


 そうして篝火亭の前へと辿り着き。

 カランコロンと鳴る鈴が付いた扉を開けると、頬杖を付きながら書きものをしている女将さんの姿が目に入った。


 女将さんはお客さんが来たのだと勘違いしたのだろう。

 慌てた様子で居住まいを正し。



「いらっしゃいませー。

お客さんは何名――って、アルちゃんじゃないかい」



 接客用の声を出したのだが。

 途中まで口にしたところで、扉の前に立っているのが僕だと気付いたようで。

 普段の声色に戻すと頬杖を付き直した。


 そんな様子を見て、一応僕もお客なんだけどなー。

 などと思ったが、こういった態度が別に嫌な訳では無く。

 むしろ好ましく思っていたので、野暮なことは言わないでおくことにした。


 そんな風に思っていると。



「随分と早く帰ってきたみたいだけど……

まさか、アルちゃん……駄目だったのかい?」



 僕が早く帰ったのを見て、どうやら女将さんは悪い想像をしてしまったようで。

 恐る恐ると言った様子で尋ねられてしまう。


 そうやって気を使う女将さんを見て、誤解させたままでは申し訳ないと思い。



「だ、駄目じゃないですよ! しっかり合格して来ました!」



 僕は慌てて試験に合格したことを伝える。



「そうかい、そうかい、おめでとうねアルちゃん!

アイシャ〜! あんた〜! アルちゃん合格したってよ!」



 そして、それを伝えられた女将さんは、その愛嬌のある顔をくしゃっと崩し。

 お祝いの言葉を贈ってくれると、受付の奥へと振り返り、裏で作業しているのであろうアイシャと旦那さんに声を掛けた。


 その瞬間、タタタタと駆けるような足音が聞こえ、受付の奥から勢いよくアイシャが飛び出してくる。



「アルさんおめでとうございます!」



 アイシャはそう言うと、飛び出してきた勢いのまま僕に抱きつこうとして来たのだが。

 その行為は女将さんに首根っこを掴まれることで未遂に終わることになり。

 その上、拳骨まで貰っているのだから、なんとなく不憫に思えてしまう……


 そうしていると、受付の奥から旦那さんも顔を出し。



「そうか受かったか。おめでとうなアル君」



 お祝いの言葉を贈ってくれた後に、ポンポンと僕の肩を叩き。

 僕はお礼の言葉を口にして頭を下げる。



「ありがとうございます。

おかげ様で無事試験に合格することが出来ました」


「あたし達は何もしてないよ。アルちゃんが今まで頑張って来た成果さ」


「そうだな。そう言われて悪い気はしないが、

何かした訳ではないから少し困ってしまうな」


「そうですね! 私のおかげですね!

だからどうです? 私の彼氏になっ――いったーい!」



 篝火亭の皆は照れくさそうな困ったような表情を浮かべ、各々がそんな言葉を口する。

 中には少し様子のおかしいことを言って拳骨されている人もいたが……


 そんな暖かい言葉を贈ってくれる篝火亭の皆の姿を見て。

 この宿でお世話になることを決めて本当に良かった。

 そう思うと、その反面。寂しさが込み上げてくる。


 試験に受かったと言うことはこれから3年間は学園都市に住むと言う訳で。

 金銭的な問題から、篝火亭のお世話になり続けると言うのは流石に無理があり。

 どこか借家を借りるか、学園の寮に入る必要が出てくる。


 そうなると当然、篝火亭を離れることになるのだが……

 今までお世話になった上に、居心地が良い場所なだけに寂しく思ってしまう。


 だが、こう言った話は後伸ばしにしても仕方が無いと言うのは分かっているので。

 僕は意を決してその事を伝えることにした。



「あの、合格が決まった事でお話があるのですが」


「ああ、ここを出て行くって話かい?」



 だが、その内容を女将さんに先に言われてしまい驚いてしまう。



「おや? その様子だとどうやら当たりだったようだね。

アルちゃんがここに来た時に脅かし損ねちゃったけど、今回は成功したみたいだね」



 驚いてる僕を見て、女将さんはいたずらが成功した子供のように笑うと話を続けた。



「受かるにせよ落ちるにせよ、試験が終わったらここを出ていくと思っていたからね。

このタイミングで話があるとか言われたら予想はつくさ。

でも、今すぐにって訳じゃないんだろ?」


「は、はい。借家を借りるか寮に入るかをまだ決めていないので、もう少しお世話になろうかと思ってるんですが」



 女将さんは「なるほどね」と頷いた後。

 何かを思いついたように手をポンと叩くと僕に一つの提案をした。



「それだアルちゃん。

もし必要なら、大家をしてる人を何人か知っているから紹介しようか?」


「いいんですか!? 良ければ詳しい話を聞かせて貰いたいのですが?」 



 僕はその提案に興味を惹かれ、女将さんに詳しいことを尋ねると。

 女将さんは受付から金属の板を取り出し、それを僕に手渡した。


 手渡された金属の板を見ると、金属の板には篝火亭と刻まれており。

 その他にも篝火亭の看板に描かれているものと同様の絵が刻まれていることが分かった。


 そんな金属の板を手に持ちながら、これにどう言った意味があるのだろう?

 そう考えていると、そんな疑問に答えるように女将さんは口を開く。



「この金属の板は紹介状みたいなものだね。それと、これ」



 そう言うと女将さんは幾つかの住所が書かれた紙を僕に手渡した。



「その紙に書かれているのが私の知っている大家の住所だね。

この金属の板を大家に見せれば、悪い様には扱われない筈さ。


まぁ、中には癖の強い大家も居るけど……

人柄なら私が保証するから、安心して借家の間取りやらを見せて貰っておいで」



 女将さんはそう言うと愛嬌のある顔でぱちりとウィンクして見せたのだが。



「ママ……? そう言うのは美人さんがやるから決まる仕草なんだよ?」



 酷い言われようだった。


 そして、それが照れなのか怒りなのかは分からないが、女将さんは顔を真っ赤にすると。



「アイシャ!!」



 大声を上げアイシャを追いまわし、アイシャは捕まるものかと逃げ回る。


 そんないつもの篝火亭の風景を眺めながら、僕と旦那さんは渇いた笑いを浮かべるのだった。



 ――ちなみに、その日の夕食にはいつもなら見ない焼き菓子が追加されており。

 それを見た僕は頬を緩ませると、ゆっくりと味わいながらいただくことにした。






 そして、その翌日。


 女将さんに手渡された紹介状と住所の書かれた紙を握りしめ。

 住所に書かれた大家さんを訪ねることにした。


 そうして、大家さんの元を訪ねてみたのだが。

 行く先々で、紹介状はもの凄い効力を発揮することとなった。


 僕は何気ない感じで篝火亭の女将さんに紹介されたことを伝え、その証拠である金属の板を見せたのだが。

 その瞬間、大家さんは目を見開くと、低身低頭と言った態度になり。

 まだ事情の説明すらしていないと言うのに、お茶やお茶菓子が出され。

 悪いように扱われないどころか、過度とも言える好待遇を受けることになった。


 そんな大家さんの様子を見て、なんだか脅しているような気分になり。

 それと同時に女将さんはいったい何者なんだろう?

 と言った疑問が浮かんだのだが、その疑問はすぐに解決することになった。


 どうやら、この紙に書かれた大家さん達と言うのは、女将さんと古い付き合いがある人達だそうで。

 腐れ縁だったり、恩があったり、弱みを握られたりと。

 その関係性は様々だが、女将さんの頼みを断りにくい間柄らしい。


 そして、今目の前に居る大家さんは弱みを握られているパターンのようで。

 それを知ると、先程の過度とも言える反応にも納得することが出来た。




 その後、弱みを握られている大家さんに借家まで案内してもらい。

 部屋の間取りを見せて貰ったり、月の家賃や借りた場合の規約などの説明を受け。

 一通り説明を聞き終わると、他の大家さんをの物件も見ておきたいことを伝え、お礼の言葉を口にしてその場を後にした。


 そうして、紙に書かれた住所を訪れていき。

 弱みを握られている大家さんと同じようなやり取りを他の大家さん達とも繰り返していく。


 何件もの賃貸を見せて貰い、どこでお世話になるべきかに頭を悩ませていると。

 気が付けば紙に書かれた大家さんの住所は残すところ一つだけとなっていた。


 今まで見させて貰った数軒の物件は、どの物件も良い物件だったのだが。

 家賃の面を考えると、ここと決めるにはどうしても尻ごみしてしまう部分があった。

 中には女将さんの紹介と言うことで家賃を勉強してくれると言う大家さんも居たのだが……

 何となくそれも悪い気がして、決めきれないでいた。


 そんな事を考えながら学園都市を歩いていると、程なくして一件の建物の前へと辿り着く。


 その建物は木製作りの四階建ての建物で、少々年季が入っているように見えるのだが。

 よくよく見れば。所々改修した後が見られ。

 年季が入った部分と改修された新しい部分が調和し、前世の世界にあった古民家カフェのような雰囲気を感じらさせられた。


 そして、この建物が紙に書かれていた住所が最後に示す場所でもあった。



「えっと、101号室だったよね」



 僕は住所を確認するように呟くと、紙に書かれていた部屋へと足を向ける。

 そして、扉の前に立つとドアノッカーをコンコンと叩く。



「はーい。今出るからちょっと待ってー」



 すると、部屋の中から子供の声にも聞こえる声が返ってくる。


 それから程なくしてガチャリと扉が開くと。

 扉から顔を覗かせたのは僕の胸元くらいの背丈の少女だった。


 その女の子を見た僕は大家さんのお子さんかな?と思い。



「女将さんの紹介で伺わせて頂いたのですが、大家さんは御在宅でしょうか?」



 紹介状を見せながらそう尋ねたのだが。



「ん、大家ならあたしだけど? ……うぇっ、それナターシャの紹介状じゃない」



 少女は自分が大家だと告げると、紹介状を見て露骨に顔を歪めるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る