第85話 学園メルワール
翌朝。
いつもより早く起きて身支度を済ませた僕は、朝食を取る為に宿泊することになった『篝火亭』の食堂へと足を向けた。
そうして食堂へと着くと端の席に座り。
なんとなしに食堂内を見渡せば、朝も早い所為だろうか?
僕以外のお客と言えば一組の老夫婦くらいで、他に客の姿は見受けられず。
そんな食堂の様子を見ながら、早く起きすぎたかな?
などと考えながらメニューを目をやれば、その種類の多さに目移りしてしまいメニューと睨み合う形となってしまう。
それから暫くメニューと睨み合い、漸く注文を決めると。
「おはよーございます!アルさん! 注文は決まりましたか?」
まるでタイミングを見計らっていたかのように声を掛けてくるアイシャさん。
メニューとの睨み合いに集中していた所為でアイシャさんの接近に気付かなかった上に、突然声を掛けらた事で一瞬ビクリとしてしまったが。
どうにかそれを表情に出さないように取り繕うと、何食わぬ顔で挨拶を交わしてみせた。
「おはようございますアイシャさん。今日も元気が良いですね」
「元気だけが取り柄ですからね!
それと、喋り方もそうですが、アイシャさんなんて他人行儀な言い方しなくて大丈夫ですよ?
ア イ シャって呼んでくれて大丈夫ですからね!」
そう言うとアイシャはパチリトとウィンクなどして見せる。
他人行儀もなにも全くの他人なのだが……
そうは思いはしたものの。
形はどうあれ距離を縮めてくれようとしているだから、ただそれを突っぱねるのも悪い気がし。
「じ、じゃあアイシャって呼ばせて貰おうかな」
アイシャの要望通りに呼び方を改めることにして呼んでみると。
「はい! 是非そう呼んで下さい!
あっ、注文ですよね! 何になさいます?」
アイシャは満足そうに顔を綻ばした後、再度注文を尋ねた。
「じゃあ、この蒸し陽鶏のサラダと後はパンとミルクをお願いしようかな」
「えっと、蒸し陽鶏のサラダとパンとミルクですね。
それとパンに杏子のジャムなんていかがですか? 私のおすすめなんです!」
「じゃあ、それも頂くよ」
「かしこまりましたー。それでは食事の用意が出来るまで少々お待ち下さいね」
アイシャはそう言うとパタパタと厨房へと走り、厨房に注文を伝える。
その際に「お父さーん」と声を掛けていたことから、厨房に立って居る人物がアイシャの父親であり、女将さんの旦那なのだと言うことを知る事になった。
その後、何となくメニューを眺めながら料理が届くのを待っていると。
少し経った頃にテーブルに料理が届けられ。
朝食に舌鼓を打つと、一息ついた所で食堂を後にすることにした。
ちなみにだが、アイシャがお勧めしてくれた杏子のジャムは酸味と甘さが丁度良く。
パンだけではなくヨーグルトなんかにも合いそうだと思う味で、非常においしい物だった。
そうして食堂を後にした訳なのだが。
まだ早い時間と言うこともあり、店先を開けている店舗はあまり多くは無く。
やはり早く起き過ぎてしまったかな?
などと思ってしまうのだが、こうして街を歩くのも土地勘を得る為には必要だろう。
そう自分に言い訳をしながら街を歩くことにした。
まぁ、実際の所は、見知らぬ街を見て周りたいという本音を自分でも理解しているので。
そう思うと自分の行動の幼さに少しだけ恥ずかしくなってしまう。
そんな恥ずかしさを誤魔化しながら街を歩いていると。
「これ、魔道具かな?」
そう呟き周囲を見渡してみれば、魔道具と思わしきものがぽつぽつ目に留まることに気付く。
例えば道路脇に並ぶ街灯や、水路から民家へと伸びる管。
そう言った物から魔力の反応が感じられ、もしかしたら魔道具なのでは?と思い。
立ち並ぶ街灯を眺めながら、なんとなしに口にしたのだが。
「良く分かっのう。坊やが言うとおりその街灯は魔道具じゃよ」
突然背後から声を掛けられ、その声に振り返ってみれば。
禿頭とこれでもかってくらいに蓄えられた髭、鼻の上にちょこんと乗った丸メガネが特徴的な老人がベンチに腰かけていた。
僕はとりあえず「おはようございます」と挨拶をすると、老人に質問を投げかけてみた。
「街灯が魔道具って言ってましたけど、もしかして街中の街灯全部が魔道具なんですか?」
「そうじゃよ。それに水路から管が伸びてるじゃろ?
あれも室内に水を送り込む為の魔道具じゃな」
老人はそう言うと立派な髭を撫でつけながら言葉を続けた。
「街灯が魔道具だと知らない時点でこの都市の人間でないことは察することが出来たが。
やはり坊やも学園の後期試験を受けに来た感じかの?」
「はい。これから友人と試験の手続きに向かう所です」
「ほっほっほ。そうかそうか。無事試験に受かるとよいのう。
……ん? 友人と言うことはもしかして時間が無い所に付き合わせてしまったかのう?」
「い、いいえ! 少し早く起き過ぎてしまったので時間にはまだまだ余裕がありますし。
むしろ、この時間だとお店も殆ど開いていないので暇してたくらいです」
「そうかそうか、それなら良かった」
老人は立派な髭を再度撫でつけると好々爺と言った表情を浮かべた。
そんな表情を浮かべた老人を見ると、前世での祖父もこんな表情を浮かべては縁側で色々な話をしてくれたことを思い出し、なんだか懐かしい気持ちになってしまう。
そして、そんな祖父と目の前の老人を重ねてしまったのだろう。
「お爺さん、良かったらもう少しお話聞かせて貰っても大丈夫でしょうか?」
懐かしさからか、もう少し話ていたいと言う気持ちになり、気付けばそんな言葉を口にしていた。
老人は一瞬驚いたような表情をしたが、すぐに好々爺然とした表情を浮かべ。
胸元からハンカチを取り出すと、ベンチに付いた朝露を拭い。
「こんな老人の話で良いんじゃったら、いくらでも聞かせるぞ?」
そう言ってベンチの隣を手のひらで指す。
僕は「ありがとうございます」とお礼の言葉を口にしてからベンチに腰を下ろすと、僕達は朝の澄んだ空気の中で会話を楽しみ始めた。
そして、暫くの間会話を楽しんでいると。
「おや? もうこんな時間か? そろそろ行く時間かのう。
アルディノ君との会話が楽しくて時間を忘れてしまったようじゃ」
「あっ! テオドールさんすみません! こんな長時間付き合わせてしまって……」
そう言って時計塔に視線をやれば、話し始めて1時間以上経って居ることに気付く。
「いやいや、本当ならこうしてアルディノ君と話していたいんじゃが……
行ってもやることが無い割には居ないとあいつが煩いからのう……」
そう言うとテオドールさんは肩を竦めてみせた。
そして、「よっこいしょ」という掛け声と共にゆっくりとベンチから腰を浮かせ。
「では、そろそろ行くとするかのう。
アルディノ君、また機会があったら話を聞いてくれるかね?」
テオドールさんはそう尋ね。
僕がその言葉に「その時は是非」と返すと、好々爺然とした表情を浮かべた後、満足そうに頷き。
「ほっほ、その時を楽しみにするとしようかのう。
では、アルディノ君が試験に合格することを祈っておくからのう」
「ありがとうございます。合格できるように頑張りますね!」
そんな言葉を交わすと、テオドールさんと別れすることとになった。
そうしてテオドールさんと別れた後、店先を開く店舗がちらほらと見え始め。
興味を惹かれた店舗を見て周っている内にダンテとの待ち合わせ時間が迫っていることに気付く。
今から時計塔に向かった場合、待ち合わせの時間よりも早く着いてしまうが、ダンテを待たせてしまうよりは良いだろう。
そう考えると時計塔に足を向ける。
それから程なくして時計塔へと到着すると、時計塔に着くなりダンテの姿を見つけることになった。
自分では待ち合わせの時間よりも早く着いたつもりなのだが。
ダンテは既に時計塔に着いており、まだ僕に気付いていないのか欠伸などをしている。
もしかして待ち合わせの時間を間違えたかな?
そう不安になり、慌てて駆け寄ると恐る恐るダンテに尋ねた。
「もしかして待ち合わせの時間を間違えて待たせたりしちゃった?」
「いいや間違えてないぜ。
どうせアルの事だから宿屋で大人しくしてられないで、早目に来ると思ってたからな。
俺も早目に来ておいたんだけど、やっぱり正解だったみたいだな」
ダンテはそう言ってニヤニヤと笑みを浮かべる。
その言葉を聞いて待たせていなかったこと知り安心するが。
その反面、行動を見透かされているようでなんだか恥ずかしくなり、悔し紛れに反論してみせる。
「そんなこと言って、本当はダンテもワクワクして早起きしちゃったんじゃないの?
さっきなんか欠伸してたもんね?」
「は?はあっ? ア、アルじゃあるまいし、そんなガキみたいな真似しないつーの!
てか見てたのかよ! だったら早く声掛けろよ!」
僕の言葉を聞いて、想像以上に慌てて見せるダンテ。
その様子を見て、なんだかんだ言っても結局はダンテも僕と同類なのだろう。
そう判断し、お返しとばかりにニヤニヤと笑みを浮かべて見せると。
ダンテは反論の言葉を口にしようとしているのか、口を開けたり閉じたりを何度か繰り返すのだが。
どうやら何も思いつかなかったようで、「はぁ」と息を吐くと降参を示すように両の手のひらを見せた。
だが、いくらダンテが降参を示したとしも街を見て周りたくて早起きしてしまったと言う事実は変わらず。
不毛な勝利を得てしまったことになんとも言えない表情を浮かべてしまう。
そして、ダンテを見れば似たような表情を浮かべており。
同じような事を考えているのだろうと察すると、僕達は顔を見合わせ、お互いバツが悪そうに渇いた笑みを浮かべることとなった。
その後、先程までのやり取りを無かったことにするように話題を替え。
その話題は昨日別れてからのお互いの動向へと向いた。
「親戚の家でお世話になるのは助かるんだけどよ。
親父さんが稼ぎに出てるらしくて、俺以外は全員女なのが肩身狭いわ……
これならアルと宿屋取った方が気が楽だったかもな……」
そう言うと肩を落とすダンテ。
聞く話によれば、母親と娘が二人と言う家族構成のお宅にお世話になることになったようで。
只でさえ居候として気を使うと言うのに、その女性の割合の高さに一層気を使う羽目になったと言う。
当の親戚は気を使わないでいいと言ってくれているらしいのだが。
年頃の娘もいるので流石にそう言う訳にもいかず、非常に肩身の狭い思いをしているとの事だ。
そんなダンテの話を聞いて。
女性に囲まれて……いや、正確には女性と雌に囲まれて育った僕には、なんとなくその気持ちが分かってしまう。
今でこそ気を使うことも少なくなってきたが。
それこそ始めはトイレやお風呂を使う際にも気を使ったし、洗濯物の中に平然と下着が干してある時などは目のやり場に困り、なんとなく居辛い思いもしたものだ。
そんな経験があるからこそダンテの気持ちが分かり。
これから待ち受けるであろう苦難を思うと、ダンテに向ける視線は自然と暖かいものとなる。
「な、なんだよその悟った様な目は?」
その視線を受け、ダンテは怪訝な表情を浮かべるとそう尋ねたのだが。
「自分は空気なんだって思うと、少し気が楽になるよ?」
そんな意味深なアドバイスだけ返すと、意味深に笑って見せた。
当然、そんな言葉ではダンテも納得する訳もなく。
「おい! それどういう意味だよ!?」
そう言ってダンテも食い下がるが。
少し意地が悪いかな?
そう自覚しながらも、ダンテにも僕と同じ気まずさを味わって貰いたいと思ってしまった僕は。
ダンテの質問に答えないことを決めると、食い下がるダンテの声を背中に受け、学園メルワ―ルへと歩きだすのであった。
それから雑談を交わしながら学園都市を歩いていると。
そう言えばと思いだし、先程テオドールさんから教えて貰った知識を披露することにした。
「この都市の街灯が魔道具だって知ってる?」
「ん? 知ってるけど急にどうした?」
ダンテの事だから。
『まじで!?この街灯とかも魔道具なのか!?』
そう言った反応をすると思ったのに当てが外れてしまいなんだか悔しい気持ちになる。
ならばと考え。
「でも、この都市のほとんどの家庭の水周りに魔道具が使われてるのは知らないでしょ?
イレとかも汲み取り式じゃなくて、水洗式らしいよ!」
覚えたての知識をもう一つ披露してみせたのだが――
「お、おう。
まぁ、都市全体に上下水道が完備されてるのには驚いたけどよ。
水洗式のトイレなんてそんな珍しい物でもないだろ? 俺の住んでた都市じゃ普通だったしな」
ダンテは上下水道完備という小賢しい単語を出して来る。
そして、その情報を知らなかった僕は、知識を披露するつもりが、逆に知識を披露されてしまうという事態に陥り、普通に悔しい気持ちとなる。なので。
「てか、アルが住んでいた所は魔の森の方にある村なんだっけ?それじゃあ珍しいかもしれないよな」
「……」
「おいアル? 聞いてるか? お~い! アル~!」
ダンテを無視することにする。
「うわぁ! こいつ拗ねてやがる! めんどくせぇ!」
そんな言葉も聞こえてきたが。
拗ねてないのでそれも無視することにすると、ダンテを置き去りする速さで歩みを進めることにした。
……拗ねてないよ?
それから暫く歩いた所で、学園都市の中央に位置する場所にある建物。
『学園メルワール』の正門前へと到着した。
そうして正門前から校舎と思われる建物を眺めていると、遠目で見た時は無骨な印象しかなかったのだが。
その印象は間違いであったことに気付く。
その校舎は石造りの建物で、外壁の色もそのまんま石の色をしており。
所々窓枠の茶色や屋根の濃い青が覗くくらいで、基本的には無骨な印象を受けてしまうのだが。
よくよく見れば、校舎の至る所に模様みたいなものが彫り込まれているのが分かる。
その細工の繊細さには、王都などで見掛けた彫刻とはまた違った匠の技を感じられ。
ただ無骨なだけでは無く、繊細さも兼ね揃えている事に気付かされた。
それだけでも印象が間違っていたと理解するのに充分だったのだが……
更に目を凝らして見てみれば、その模様からは魔力の反応が感じられ。
更に魔力感知をしてみれば、その模様を辿る様に魔力が流れている事が分かった。
そして、それが分かると同時に、転移魔法陣にもこのような模様が使われていたことに気付き。
模様だと思っていた物が正確には古代文字だと言うことにも気付くと――
「無茶苦茶なんだけど……」
思わずそんな言葉が漏れてしまう。
以前、転移魔法陣に描かれている模様のことが気になり、メーテに尋ねたことがあるのだが。
その際にメーテに教えてもらったのが、模様に見えるものは正確には文字であると言う事と。
その文字が『古代文字』と呼ばれていると言う事であった。
そして、この古代文字。
名前の通り、古い時代に使われていた文字のようなのだが。
その見た目は絵や記号と言ったものに近く、前世で言う所の象形文字や漢字のようなものを想像させた。
そして、その想像は大きく間違ってはいなかったようで。
ものの形をかたどり、それを文字として見るのが古代文字と言うものらしく。
その一文字に一つの意味がある文字体系は、魔法陣や魔道具を形成する際の魔力媒介として非常に優秀な文字だと教えられた。
まぁ、僕自身初めて聞かされた時はまったく理解できなかったのだが……
文字と言うものを回路だと考えれば、何となくだが理解することが出来た。
『火』が古代文字で『FIRE』が現代文字だと例えたとしよう。
その場合、同じ意味であるにも拘らず、三文字の差が出てしまい。
その三文字分起動までに時間を要してしまうことになる。
それは文字数が多くなれば多くなるほど顕著に表れ。
『火』『水』で済むところを『FIRE』『WATER』となれば効率差は大きいものとなり。
それを刻む魔法陣や魔道具の規模は当然大きい物となってしまう。
要するに、魔法陣や魔道具を起動させるための回路として文字が利用され。
その回路を短縮し、より効率的にするには一つの文字に意味がある古代文字が最適である。
と、言うことらしい。
そう言った事情を知っているからこそ、至る所に古代文字が刻まれている校舎は僕の目に異様に映り。
恐らくではあるが、建物自体が一種の魔法陣の役割を担っていることを察すると。
その規模の大きさに、無骨なだけと言う印象は間違いであったと気付かされ、思わず声を漏らしてしまった訳なのだが……
「なんか近くで見ても地味な建物だよなー」
そんな事情を知らないのであろうダンテは建物をぼうっと眺めながら呟く。
僕とは正反対の感想が聞こえて来たことに、一瞬呆けてしまうが。
そんな風に言うダンテを見ると、なんだか一人だけ緊張している事が馬鹿らしく思えてしまう。
「なんかダンテといると気が抜けちゃうよね」
その所為か、思わずそんな言葉が零れてしまったのだが。
褒め言葉のつもりで言った言葉は、ダンテにとっては不服だったようで少し睨まれてしまった。
「は? どう言う事だよ!? 馬鹿にされてる感じか?」
「いやいや。良い意味でだよ?」
「なんだよそれ? ったく意味が分かんねぇよ」
そして、そんなやり取りを交わし終えると、僕達は学園メルワールの正門をくぐるのであった。
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