第74話 旅立ち

 僕はベッドからのそりと起き上がると、目頭を擦り。

 ぼうっとした頭で部屋を見渡す。


 そうして分かったのは、ここが自分の部屋だと言うこと。


 そう理解するまでに僅かな時間を要したのは。

 約2年と言う間のほとんどを野営をして過ごした為、屋根のある場所で目覚めると言うことが殆ど無かった故の弊害なのだろう。


 そう思うと、なんとも言えない気持ちになるが。

 僕は気持ちを切り替える為に大きく背を伸ばすと、身体の調子を確かめる。


 腕や首を回したり、足や腕を軽く揉んでむくみや張りが無いことを確認してみれば、疲れも殆ど残っていない事が分かる。


 森の中を半日近く歩いたと言うのに、殆ど疲れが残っていないのだから。

 自分の身のことではあるが、随分と体力が付いたものだと感嘆してしまう。


 そんな風に感じながら僕はベッドから抜け出し、リビングへと足を向ける。




「おはよ~」



 そんな間の抜けた朝の挨拶をすると。

 既にリビングで朝食の準備をしていたメーテが「おはよう」と挨拶を返し、ウルフも「わふっ」と短く吠えて挨拶を返した。


 僕はソファーで丸まっていたウルフの隣に腰を下ろすと、手持ち無沙汰にウルフの背中を撫でる。


 ウルフはそんな適当な撫で方が気に食わなかったのだろう。


 僕の手から逃れるように立ち上がると、部屋の隅に置いてあった籠まで歩き。

 その籠に顔を入れると、ブラシを咥えて戻り、僕の隣に腰を下ろした。



『適当に撫でるなんて失礼よ? 罰としてブラッシングしなさい』



 実際は「わふっ!」としか言って無かったが、多分そう言うことなのだろう。


 まぁ、雑に撫でたことは事実なので、仕方が無いか。

 そう納得させると、僕はウルフにブラシをかけていく。


 そうしてウルフにブラシをかけていると、キッチンからはジュ―と言う音と共に、肉の焼ける匂いが鼻孔へと届き、その匂いにゴクリと喉が鳴った。


 こんなゆったりとした朝も久しぶりだな。


 そう思い、しみじみしていると、尻尾でパタパタと顔を叩かれる。


 尻尾の主であるウルフを見れば。



『真剣にブラッシングしなさい』



 と、言ったような視線を向けており、どこか不機嫌そうだ。


 僕は「ごめん、ごめん」と謝り、今度こそ真面目にブラシをかけ始め。

 ウルフはブラシの感触に目を細め、随分と気持ちの良さそうな表情を浮かべた。


 そして、そうしている間にもメーテは料理を終えたのだろう。

 カチャカチャと食器を並べ、料理を盛り付け始めている。


 そんな二人の姿を見て。

 二人と過ごすこんな朝も、暫くの間は迎えることが出来なくなるんだな……


 そう思うと、少しだけ寂しく感じた。






 その後、メーテの手料理も暫く食べる機会が無くなると思った僕は、ゆっくりと味わいながら朝食を終えた。


 そして、朝食が終わってしまえば、後は王都へ向けて出発するだけだ。


 徐々に近づく暫しの別れに、僕の気持ちは決して晴れやかとは言えないものになっていくのだが。

 その反面、一人旅にと言うものへの期待もあるのだろう。


 決して晴れやかでは無いものの、高揚する気持ちも確かに感じることが出来た。


 なんとも複雑な心模様に、思わず苦笑いを浮かべたくなるが。

 そんな僕の気持ちに構うことなく、時間は刻一刻と流れて行き――



「さて、準備も済んでいるようだし、そろそろ出発するとするか」



 いよいよその時を迎えたようで、メーテが出発を告げた。


 その言葉にビクリと肩が跳ねるが、僕はゆっくりと息を吐き、心を落ち着かせ。



「うん。出発しようか」



 そう言葉にすることで覚悟を決めた。



「うむ。忘れ物は無いだろうな?」



 何度も確認は済ませてある為「大丈夫だよ」と伝えると、僕はバックパックを背負う。


 念の為。そう思い外套の内ポケットに触れれば、布越しに硬貨の感触が伝わり、お金もしっかり入っていることが確認できた。


 そんな僕の様子を見たメーテは椅子から腰を上げ。



「問題はなさそうだな。それでは行くとするか」



 そう言うと、転移魔法陣のある部屋へと続く階段を降りて行く。


 階段を降りて行くメーテの背を眺めながら、「よしっ」と声に出す事で今一度覚悟を決め。

 転移魔法陣の部屋へ向かう為に、軋む階段を足早に降りて行くのだった。






「転移先は森の中だが、周りの木に目印が付けてある方角に進めば森を抜けられる筈だ。

森から出ればすぐに街道が見えるだろうから、後は街道沿いに南へ向かってくれ。

そのまま半日も歩けば王都に着くだろう。


では、送るとしようか」



 転移魔法陣の部屋に着いて早々、メーテはそう口にした。



「ち、ちょっと待って!」



 転移魔法陣で送って貰ったら、最低でも学園を卒業するまでの間は会えなだろう。

 そう思っていた僕は、ろくに挨拶も済ませない内に送り出そうとするメーテに驚き、声をあげる。



「ん? どうした?」



 そんな僕とは対照的に、落ち着いた様子のメーテ。

 暫くのお別れになると言うのに、随分と淡泊な反応で少しだけ寂しく感じてしまう。



「これで暫くのお別れになるから、ちゃんと挨拶をしておきたかったんだけど……」


「……お別れ?

あ、ああ! そ、そうだな! 挨拶は大事だな!」



 僕の言葉に焦ったような様子を見せるメーテ。

 それを不信に思いはしたが、僕は気にしない事にすると、別れの挨拶を口にし始めた。



「えっと。

僕がこの世界でこうして生きてこれたのは二人のおかげだと思ってるんだ。

だから、まずは感謝の言葉を言わせて欲しい。

メーテ、ウルフ本当にありがとう」



 「改めてこう言うのも照れくさいね」そう言って頭を掻くと僕は話を続ける。



「それで、暫くのお別れになるとは思うんだけど。

二人が居ないからこそ気を抜かずに勉強や鍛練に励んで。

学園を卒業するまでには、二人を安心させられるような自分に成りたいと思ってるんだ。


正直、今は二人が居ないと言うことが不安に思うけど……

二人が居無くても、自分の力でしっかりやって行けるように頑張るから、心配しないで待っていて欲しいんだ。


……まぁ、僕はこんなんだし、心配するなって言うのが無理な話かも知れないけどさ」



 僕は胸の内を伝えると、なんだか感極まってきて目頭が熱くなる。

 だが、それをグッと堪えると。



「だから……行ってくるよ!」



 そう言って、無理やりに笑顔を作ったのだが……



「お、おう」


「そ、そうね」



 二人は何故か目を泳がせ、いかにも挙動不審と言った様子だ。


 先程も不信に思ったが、これほど露骨にされれば、何かあると思うのは当然の事で。



「なんか様子がおかしいけど、何か隠してる?」



 そう尋ねた瞬間。



「な、何も隠してないし!」



 メーテがそう言うと同時に転移魔法陣が淡く光りを放ちはじめ――


 その次の瞬間、僕の視界には鬱蒼と茂る森の姿が映されていた。



「……何か隠してるな」



 一人森の中で呟くと、僕は周囲を見渡した。

 すると、メーテが言っていた通り、目印の刻まれている立木を発見する。



「確かこの方向に進めば街道に出るんだよね?」



 僕はそう自問すると、その方向へ歩きだす。


 メーテの隠し事が気になると言うのが本音だが。

 こうなってしまっては、問い質すことが出来ないのだから、諦めるしかない。


 僕は「はぁ」と息を吐き。

 気持ちを切り替えると、初めての一人旅を堪能すべく、足早に森を抜けるのであった。





 ◆ ◆ ◆




 アルが転移した後。


 その場にはメーテとウルフが残されていた。



「……まずいことになったな」


「……そ、そうね」



 なにやら神妙な顔つきで、2人は呟く。



「元より隠れて見守るつもりだったが……

あんな風に言われてしまっては、尚更バレる訳にはいかなくなったぞ……」


「アルが言う通りここで待つことにする?」


「んー。ウルフが言うように、ここで待つのも一つの手なのかも知れないが……


……でも心配だろ?」


「勿論じゃない!」


「うむ。

要するにバレなければ良いのだバレなければ!」



 一人と一匹は悪徳貴族が言うような一言に頷き合い。



「では早速行くとするか!」


「ええ、行きましょうか!」



 そう言うと、転移魔法陣を起動させる。


 そして、昨晩と同様の部屋へと転移した2人。



「さて、アルが到着するまで時間はある。適当にのんびり過ごすとするか」


「でも、のんびりするには少し汚れが気になるわね」


「まぁ、まずは部屋の掃除からだろうな」



 部屋を見渡せば長年使われていないだけあって、それ相応に埃や蜘蛛の巣が見受けられる。



「そうと決まれば、ササッとやってしまうか」



 メーテは腕まくりをすると、迷宮都市の家を掃除した時同様に、混合魔法での掃除を開始し。

 無人だった一室には人の気配が灯っていく。


 そうして、何時の間にか新しい住人が増えていることも知らず。


 『学園都市ブエマ』


 その時の鐘は、いつもと同じように鳴り響くのであった。

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