五章 一人旅

第73話 一人旅

 本当に月日が流れるのは早いものだと実感する。


 僕達が迷宮都市メルダを発ってから早2年と言う月日が流れているのだから、そう実感するのも仕方が無いことだとは思う。


 そして、そんな風に感じるのも、一日一日が濃厚だったからだろう……






 迷宮都市を発った僕達は、馬車を乗りついで森の家へと帰る予定だった。

 だが、どうやらそれはメーテの建前だったようで、実際には徒歩で帰ることになった。


 うん。自分で言って意味が分からないが、徒歩で帰ることになったのだ。


 それも決まって悪路といわれる様なルートを選んでだ。

 森の中を進んで歩くのは当然として、他にも山岳と呼ばれるような場所や、湿地帯など。

 地図を確認しては、ご丁寧にそんな場所を選び帰郷のルートとしていた。


 メーテ曰く。



「様々な環境に順応し対応するというのは存外大変な事だからな。

体験し、知識として頭に入れておけば今後の財産になるだろう」



 と言うことらしい。


 探索者として生活していた視点から見ても、環境に対応すると言うことは重要だと言うのは分かるのだが。

 ここまで徹底されると、メーテは僕に何を求めているのだろうと言う疑問が浮かぶ。


 なので、一応尋ねてみたのだが。



「……で、出来ないよりは出来た方が良いだろ?」



 なんともフワッとした答えが返って来た。


 だが、間違いなく正論であることは分かるので、僕としても納得するしかなかった。


 まぁ、そう言った理由で様々な土地を周り、森の家への帰路としたのだが、その日々は中々に濃厚だったと言えるだろう。


 基本、宿屋を利用することが無かった僕達は、当然のように野営で夜を過ごした。


 それは魔物の跋扈する森の中だったり、毒性の魔物が蠢く湿地帯であったりと様々ではあったが。

 寝床としては最悪の部類に入るであろう場所ばかりをメーテは野営地として選んでいた。


 他にも山岳地帯では岩壁に土属性で魔法で寝床を作り、そこで一夜を過ごしたこともある。


 不安定な寝床に周囲を飛行する鷹のような魔物。

 それに加え、遥か眼下には地上の景色。


 そんな状況ではろくに眠れる筈もなく、怯えたまま朝を迎えると言う事になったのだが。

 数週間もしない内に熟睡できるようになってしまったのだから、慣れとは恐ろしいものだ。そう思うと同時に、これがメーテの言う順応すると言うことなのだろう。

 そう思わされた。




 その他にも動物の解体作業を教わったりもした。

 それに、森に生えている茸や木の実、それに野草などの見分け方もだ。


 どれが食べられて、どれが食べられない。

 どれが薬草として使えて、どれに毒がある。などと言うことも教わった。


 そうして教えられたことは、いざという時役に立つ知識なのだとは思うのだが……



「これは焼いて食べると甘みがあって結構おいしいわよ」



 そう言って丸々とした真っ白な幼虫をウルフに差し出された時は、「ひいぃ」と言う上擦った声をあげてしまい。

 流石にここまで徹底して教えてくれなくてもいいんじゃないかな!?とも思ったのだが。


 容赦なく口に放り込まれたソレを涙ながらに咀嚼した際に。

「悔しいけど案外いける」そう思ってしまったのだから、僕に反論する余地は無かった。


 そして、そんな濃厚な日々を送っていたせいなのだろう。

 気が付けば2年と言う月日が経過し、日が暮れる頃、漸く森の家に僕達は帰ることが出来たと言う訳だ。






「久しぶりの我が家だ……」



 約2年ぶりに見た勝手知ったる我が家の姿に、僕は感極まってそう呟く。


 メーテとウルフも同じような気持ちなのだろう。

 どこか懐かしそうな、ホッとしたような表情を浮かべている。


 僕はいそいそと家の中へと入ると、久しぶりに感じる我が家の匂いにホッと一息つく。

 暫く留守にしていたせいもあり、生活臭のようなものは感じられないが。

 木の匂いと本の匂い、それと薬草の匂いが混じった懐かしい我が家の匂いに心が落ち着いていくのが分かる。


 そうして一息ついていると。



「やはり我が家は落ち着くな」



 そうメーテが言い。



「わっふ!」



 ウルフが同意してるのかな?まぁ、多分同意してるのであろう。そう吠えた。


 吠えたことから分かるように、今、ウルフは狼の姿をしているのだが、最近では人の姿で居ることが多かったので、少しだけ違和感を感じる。


 しかし、ウルフにとっては人の姿の方に違和感があったのだろう。


 森に入った瞬間に狼の姿になると、生き生きと森の中を走り回っていたのだから、そう思うに充分であった。


 そして、そんな姿を見ると、長らく人の姿で付き合わせてしまったことに申し訳ない気持ちにもなる。

 それと同時にそれ以上の感謝の気持ちが湧き、思わず頭を撫でる。



「わふ〜」



 どこか気の抜けたような声を出すウルフ。


 そんなウルフに「ありがとうね」そう伝えると。

 「なにが?」と言いたげに首をこてんと傾けていたが、照れくさいので説明はしないでおくことにした。






 そして、荷物を部屋に置いた僕達は、軽くお湯を浴びてお風呂を済ませるとリビングで寛ぎ始めた。


 ウルフはお腹を見せてだらしなくソファーに転がり。

 メーテは紅茶を口に運びながら、帰路で購入した本を読んでいる。


 僕もメーテ同様に紅茶を啜りながら、帰路で購入した本を読んでいたのだが。

 そんな風に寛いでいると、メーテが言っていた「我が家は落ち着くな」と言う言葉を実感し、暫くこうして過ごすのも悪くないかな?などと思い始めていた。


 始めていたのだが……



「そう言えばアル。そろそろ学園の後期入学試験が近付いてきたな」


「うん。後ふた月もすれば、いよいよ後期入学……ん? 試験?」



 はて?試験とな?


 僕は試験と言う言葉に疑問を浮かべる。



「……アル?

お金だけ払えば入学できると言う訳ではないんだぞ?

まぁ、フィナリナから聞いた話によると、試験は実技と筆記らしいから、私とウルフの教育を受けたアルならば、試験に落ちると言う事は無いと思うが……」



 メーテは眉間を揉むと、深く溜息をつく。



「しかし、あれだな。

迷宮都市である程度の常識を身に着けたとは思ったが、やはりアルはどこか抜けている。

普通、入学するとなったら試験があることぐらい分かる筈なんだが」



 試験があると言うことはソフィアから聞いていたような気はするが、お金を稼ぐことに夢中ですっかり試験の事が抜け落ちてしまっていた。

 それに加え、前世ではお金さえ払えば入学できる教育機関があった為、学園都市もそう言うものだと勝手に思い込んで楽観的に考えていたのだが……


 ……いや、これは只の言い訳だろう。


 試験が有るか無いかぐらいは少し調べれば分かる事だ。

 それをしなかったのは僕の責任だし、反省しなければいけないだろう。


 そう思って、メーテの話に耳を傾ける。



「正直、私達が甘やかしすぎたのかもしれないな。

アルにも反省すべき点はあるが、そこは私達も反省しなければいけない点だろう」



 確かに2人は過保護な所があり、そこを指して甘いと言うのであれば間違いは無いだろう。

 しかし、こと教育に関しては厳しいを通り越して苦行のレベルなので、いまいち納得しかねるのだが……


 そんな事を考えていると、メーテはこめかみに指を置き、何やら思案する様子を見せる。


 そして、答えが纏まったのだろう。メーテは口を開いた。



「よし。アルには明日から、学園都市を目指して一人旅でもして貰おうか」


「明日? 一人旅?」



 思わずオウム返ししてしまったが、その言葉が何を意味するのか分からない僕は、頭の中に「?」を浮かべる。



「ああ、一人旅だ。

アルも12歳になった事だし、そう言う経験を積んでおくのも良いだろう。


それに学園に通うとなれば、寮入るにせよ家を借りるにせよ、一人でやらなければいけない事も増えてくるだろうしな。

今の内から慣れておいて損は無いだろう」



 なるほど。と、僕は頷く。


 今まで色々な経験をしてきたが、それは二人の庇護下にあっての経験であり。

 自分の力だけで何かを成し遂げたと言う自負はあったとしても、本当の意味で自分の力だけで何かを成し遂げた経験は少ないのかも知れない。


 一人旅と言うのは、二人に対する甘えられない状況を作り。

 自分自身で成し遂げたと言う経験の少ない僕に、その経験を積ませようと言うことなのだろう。


 まぁ、端的に言ってしまえば自立を促しているのだと思う。

 そう理解出来たのだが、正直不安はある。


 それもそうだろう。

 この世界には魔物と言う存在がおり、それに加えて社会制度故か人の命が重くは無い。

 現に、死ぬような思いも何度かしている。


 今までなら、そう言った場面に遭遇したとしても、二人が居ると言う安心感からどうにか対処することが出来ていたが。

 それを一人で対処しなければいけないとなると……やはり不安に感じてしまう。



「不安か?」



 どうやら、そんな不安が表情に出ていたようで、メーテが尋ねる。



「そうだね……ちょっと不安かも」



 僕はそう答えると思い悩む。自分自身が口にした様に、不安はある。


 だが、その反面、一人で出来ると言う事を示して二人を安心させたいと言う気持ちもあった。

 それに、元も子もない話だが、こうして悩んでいても、メーテが決めた以上はその決定が覆る事などほぼ無いのだ。


 そう思い至ると、僕は覚悟を決めて口を開いた。



「分かった。一人で学園都市を目指してみるよ」



 僕が伝えると、その言葉にメーテは満足したのだろう。



「うむ」



 それだけ言うと、メーテは笑顔を浮かべ頷く。


 そんなメーテの姿を見ながら、もう少し家でゆっくりしたかったな。

 などと思い、僕は少しだけ肩を落とすのであった。






 そして、予定が決まってからは慌ただしかった。


 迷宮都市から帰ったばかりなので、荷解きも中途半端だったのだが。

 改めて荷解きをすると、空になったバックパックに今度は必要な物を詰め込んでいく。


 数日分の着替えや、鉄で出来た鍋、木で出来た食器、塩の塊など詰め込まれる物は様々だが、あっという間にバックパックはパンパンになった。


 本来なら野営する事もあるだろうし、テントや毛布なども持って行きたかったのだが。



「宿場町を転々と馬車移動することになるだろうから、反って邪魔になる。

旅の数日くらいは野営する事もあるだろうがそこは我慢しろ」



 そう言われてしまったし、流石に嵩張るので諦めることにした。


 そうして一人旅の準備を進めていると。



「明日は朝食を取ったら、王都付近の森まで転移で送ろうと思っている」



 メーテは、僕の外套に裁縫をしながらそう言った。


 どうやら、外套の内側に大金貨を入れておけるポケットを縫い付けてくれているようで、チクチクと手際よく縫い付けていく。


 その作業に目を惹かれながらも、『王都』と言う単語に僕は反応する。

 確か、正式名は王都オルヴィルンだったと思うが、少し自信が無く。



「えっと……王都ってオルヴィルンて所?」



 恐る恐る尋ねてみると。



「違うぞ。『王都オルヴェルン』だ『ィ』ではなく『ェ』だ」



 見事に間違ってた様で、思わず苦い顔になる。


 メーテはそんな僕を見て「王都の名前ぐらいは覚えておこうな?」と呆れたように言うと、話を続けた。



「本来ならこの森から出発させても良かったのだが、試験まで二ヶ月程度と考えると、流石に間に合うか怪しいところだ。


その点、王都からならば一ヶ月少しあれば問題無く到着する事が出来るだろうし、余った時間で学園都市での手続きなども出来るだろうからな。

まぁ、そう言った理由で王都な訳だ」



 僕が話に頷くのを見てメーテは尋ねる。



「ところで荷造りは終わったのか?」



 その言葉でバックパックの中身を確認するが、詰め忘れなども見当たらず。

 特に問題がなさそうに思えたので、僕は「大丈夫そうだね」と答える。



「そうか。

それなら明日も早いし、旅の疲れも残ってるだろうから、今日は早めに休んだらどうだ?」



 そう思うのなら、後二、三日ゆっくりさせてくれても良いんだよ?

 などと思いもしたが、旅の疲れも残っているは事実だし、明日の事を考えれば早めに寝ておいた方が良いだろう。



「そうだね。少し早いけど早めに寝る事にしようかな?」



 明日この場所を出発すれば、学園を卒業するまで暫く二人に会えないかも知れないと考えていたので。

 正直に言えば、もう少し話していたかったとも思っていたのだが……


 二人を安心させたい。

 などと思った矢先に甘えるのもどうかと思った僕は、そう伝えると自室へと向かうことにした。


 そして、久しぶりの自分のベッドに潜り込むと。


 迷宮都市みたいに学園都市にも転移魔法陣のある家が在って、もしかしたら2人に会えたりするかも知れない。

 などと考えしまう。


 そんな自分の考えに。



「やっぱり、甘えちゃってるな……」



 そう呟き自嘲すると、久しぶりのベッドの暖かさに意識を奪われて行くのであった。






 ◆ ◆ ◆



「……どうだウルフ? アルは寝たか?」


「……わっふ」



 アルが居なくなったリビングでは、一人と一匹が小声で話をしていた。



「ああは言ったが、少し心配だな」



 メーテはそう言うと、地下へと続く階段をそろりそろりと降りて行く。

 ウルフもその後を追い、降りて行くと、幾分古い階段はキシリと音を響かせる。



「ウルフ……アルが起きてしまうから静かに頼む」


「……わっふ」 



 ウルフが申し訳なそうな声を出すと、一人と一匹はそろりそろりと階段を降り。

 転移魔法陣のある部屋のドアを、音が出ないよう、ゆっくりと静かに押し開く。


 部屋の中には幾つもの転移魔法陣が描かれており。

 その中の一つである魔法陣の前に立つと、一人と一匹は、やはり小声で話し出した。



「この魔法陣も久しぶりに使うな。

ちゃんと接続出来るかが問題だが……お、どうやら問題無く使えるようだな」


「わっふ!」


「ウルフ……だから静かにしろと……」


「……わふん」



 一人と一匹がそんなやり取りをしていると、転移魔法陣は淡く光り出し――

 そして――




「もしかしたら建物自体が壊されてる可能性もあったが、どうやら杞憂だったようだな」


「ワォン!」



 一人と一匹はそう言うと転移先である部屋の窓辺へと足を向ける。



「久しぶりに来たが、変わって無いな」


「ワッフワッフ」


「真似をするな? ウルフは始めて来ただろうが」



 一人と一匹が窓から覗く景色。


 その景色の先には。

 一見無骨では在るが、その細部には職人が舌を巻くような細工が施されている、なんとも製作者の偏屈さが滲み出ているような、城にも似た建造物の姿が在った。


 そんな建造物を眺めながら。



「まぁ、甘やかし過ぎたと言った手前、表立って手助けすることはできないが。

ここで見守ってやるくらいは許されるだろう」


「わふふふふ」


「ち、違うわい!

そ、そんなこと言って本当に寂しいのはウルフなんじゃないのか!?

なんなら森の家で留守番してても良いんだぞ!」


「わふ!?」 



 転移魔法陣の光の残滓が漂う中、一人と一匹は言い争いを続けるのであった。

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