第68話 挨拶回り

 唐突に決まった帰郷。


 正直な話、転移魔法陣があるのだから無理に帰郷する必要はないのではないか?とも思ったのだが。

 メーテが言うには迷宮都市を空ける事の方が多くなるのなら、いっその事、森の家に帰った方が余計な面倒を抱えないで済むだろうと言うことだった。


 女王の靴と言う友人も出来たし、レオナさんや副ギルド長と言った知り合いも出来た。

 それに未だに故郷での鍛練を続けている青き清流との再会も果たしていないので、僕個人の意見としては迷宮都市を拠点にしたいと思ったのだが。

 メーテとウルフにも考えがあるようで、それは却下されてしまった。



 そして、帰郷を一週間後と決めた僕達は、そのことを伝える為の挨拶回りをすることにした。

 ちなみにだが、手土産は当然のようにアリエッタの焼き菓子だ。



 そうして、僕達はお世話になった人達への挨拶回りをしていった。


 肉屋のおじさんに青果店のおばさん。


 パン屋のお姉さんに酒屋のお兄さん。


 本屋のお爺ちゃんに道具屋のお婆さん。


 迷宮都市で生活して行く中で、数多くお世話になった人達だ。


 常連となっていた僕達は、しっかりと顔を憶えられていたし、自分で言うのもなんだが気安い間柄だったと思っている。


 そんな、人達に帰郷の挨拶をして回ると。



「寂しくなるな」「いつでも戻っておいで」「元気にやれよ」「餞別にこれ持っていきな」



 周る店周る店でそんな暖かい言葉をもらい、思わず目頭が熱くなってしまう。

 それをなんとか堪えながらお世話になった店を回り、また行く先々で暖かい言葉を貰う。


 恵まれていたんだな。

 今更ながらそう実感すると、やっぱり目頭が熱くなり。

 それを堪えるのが本当に大変だった。



 感傷に浸っている間にも挨拶を終えて行き、僕達はダンジョンギルドへと到着した。


 そして、ダンジョンギルドの繊細でいて堅牢にも見えるその姿を眺めていると。

 初めてここを訪れたのが随分と昔のように感じ、この場所での思い出がポツリポツリと浮かぶ。


 良い出会いもあったし、悪い出会いもあった。


 殺されそうになったこともあったし、命を救ったこともあった。



「本当に色々あったな……」



 思わずそう零してしまう程には、色々な出来事があり。

 そして、その出来事の数々は僕の心深くに刻まれていた。


 ダンジョンギルドの石柱に手を置き、そんな風に感傷に浸っていると。



「おーいアル。早く行くぞー」


「おいてっちゃうわよー」



 メーテとウルフに急かされたことでそんな感傷を霧散させ。

 ダンジョンギルドの扉の前で待っている2人の元へと足早に向かうのだった。






 ダンジョンギルド内に入ると、僕達は受付へと向かった。


 出来るだけ人の少ない時間を選んだと言うこともあり、受付に並ぶ探索者の数は少ない。

 そんな中、受付を担当する職員の顔を確認していくと、レオナさんの姿を見つける。


 レオナさんは探索者の対応をしている最中であったが。

 丁度終わるタイミングだったようで、探索者が受付から離れたのを確認するとレオナさんに声を掛けた。



「こんにちは、レオナさん」



 僕がそう声を掛けると、少しだけ微笑んで挨拶を返してくれるレオナさん。



「こんにちは、アル君。今日はどういった用件かな?」



 レオナさんの笑顔を見た僕は、帰郷を伝えることを躊躇ってしまう。


 今すぐにと言う訳ではないが、帰郷を伝えてしまえば暫しのお別れだ。

 お別れの寂しさから思わず口ごもってしまう。


 しかし、伝えないでさよならと言う選択肢はありえないだろう。

 そう考えると、僕は意を決して帰郷の旨を伝えることにした。



「実は一週間後に帰郷が決まったので、今日はその挨拶に来ました。

それと、これはお世話になったお礼です。受け取って下さい」



 僕はそう言うと、手土産として用意していたアリエッタの焼き菓子を手渡そうとしたのだが……



「え、な、なんで?」



 レオナさんはそう口にすると。



「だ、駄目だよ! あ、アル君たちの実力なら安全に暮らしていけるでしょ?

うん。そうだよ! そうしなよ! お姉ちゃんはこの街で暮らせば良いと思うな!」



 僕の手から手土産を受け取らず、酷く狼狽した様子を見せた。


 普段見せないその姿に僕もどうしていいか分からず、ただ呆然としてしまう。



「落ち着けレオナ」



 メーテはそう言うと、レオナさんの頬に優しく触れた。


 それでレオナさんも少し落ち着きを取り戻したのだろう。



「ご、ごめんなさい。

わ、私なに言ってんだろ。忘れちゃってください、あはは」



 そう言うレオナさんの姿は先程よりは落ち着いたものの、平静を装っている感じが否めない。

 その姿に違和感を覚えて声を掛けようとしたのだが。



「あっ! そ、そうだ! 女王の靴の皆さんには話をした?

してないなら今日は休みだって言ってたし、もしかしたらいつもの宿屋に居るかもしれないから行っってみたらどうかな?


そ、そろそろ交代の時間だから行ってくるね! それとお土産ありがとうね!」



 そう捲し立てるように言うと、そそくさと受付の奥に消えて行った。


 その様子に戸惑っていると。

 レオナさんと交代して受付を担当することになった女性職員に声を掛けられたので、副ギルド長へ連絡を取れるかの確認をしたのだが。

 どうやら外出中のようなので、手土産と帰郷する旨を伝言に頼み、僕達は受付を後にすることにした。



 受付から少し離れると、レオナさんの様子が気掛かりだったので、そのことについて口を開いた。



「なんか様子がおかしかったよね? どうしたんだろう?」


「切っ掛けは帰郷を伝えたことなんだろうが……

それにしては酷く狼狽しているように見えたな」


「どうしたのかしらね? ちょっと心配だわ」



 メーテとウルフもレオナさんの様子は気になったようで、困ったような表情を浮かべている。


 どうしたものかと頭を悩ませるが、話を聞かないことには始まらないだろう。

 だとしたら、仕事中なのに無理を言って話を聞く機会を設けるしかないのだが、流石にそれは迷惑な話だ。

 そうなると、今僕達に出来る事は。



「まぁ、気になるところだが、今日のところはどうも出来ないだろう。

まだ一週間はあるのだから、また様子を見に来ればいいさ」



 メーテの言う通りで、そのような選択肢しか無いのだろう。


 後日、改めてレオナさんを訪ねてみよう。

 そう結論を出すと、女王の靴の皆が宿泊している宿屋へと向かうことにした。






 ダンジョンギルドからそう遠くない場所にある一軒の宿屋。

 立地の割には割安な値段で部屋を提供しており。

 上層級〜中層級一歩手前の探索者にとっては立地的にも懐的にも重宝される宿屋だ。


 そして、それは経営者の意図するところでもあった。

 それと言うのも、この宿屋の経営者は元中層級探索者であり、探索者への理解が深い。

 理解が深い故に、駆け出しの探索者と言うものは兎に角お金が無い事を経営者は知っていた。

 それもそうだろう。

 探索者と言うモノを始めるにしたって、武器に防具、道具に食料。

 揃えなければいけない物は腐るほどあるのだ。


 だからこそ、ここの経営者は割安な値段で部屋を提供し。

 そんな経営者の優しさを理解しているからこそ、探索者達は親しみを込めて経営者の事を親父などと呼ぶのだ。


 そして、中層級探索者になった者はこの宿屋を利用しない。

 自分達がこの宿屋に世話になり、金銭的にも心身的にも助けられた事を理解しているからだ。

 だから、中層級になった探索者は新たな探索者達の為に、その場所を譲るのだ。


 成長した探索者が宿屋を巣立ち、また新しい駆け出しの探索者が身を寄せる。


 親父と呼ばれる経営者は、自分の宿屋から巣立って行く探索者を見て寂しくも思うが。

 そんな成長して行く探索者を支え、巣立っていく姿を見るのが嬉しくもあり。

 そうして独り立ちして行く姿が誇らしくて思う。


 だからこそ親父と呼ばれる経営者は儲けを度外視し。

 経営に苦しみながらも、駆け出し探索者の為にこの場所で宿屋を続けているのだ――




 ――そんな経緯のある宿屋の前に僕達は来ている。

 それは何故かと言うと『中層探索者』の女王の靴に会いにだ。


 あれから女王の靴は徐々に力を付けて行き、今では50階層手前まで来ており。

 中層級探索者の中でも中堅と呼ばれてもいいくらいの実力を持ち合せている。


 それなのにだ。


 女王の靴は中層級探索者になった今もなお、この宿屋を利用し続けている。


 正直、正気を疑うレベルだ。


 何度か女王の靴に会いに来たことがあるのだが……

 親父と呼ばれる経営者にどうにかしてくれと目で訴えられるので、あまり来たくない場所でもある。


 そして、今も親父と呼ばれる経営者にそんな視線を向けられているのだから、実に居心地が悪い。


 一応、僕からもやんわり伝えたことがあるのだが。



「誰が利用しようと儲けは変わらないじゃないですか」



 にべもなくそう言い切ったのはフィナリナさんで。

 その言葉を聞いた瞬間、夢とか男の浪漫とかそう言う類の言葉では説得できないことを察し、そうそうに説得を諦めたのである。


 そんな事を思い出していると。

 トタトタと階段を降りる足音が聞こえたので視線を向けてみると、フィナリナさんとライナさんの姿があった。




「突然どうなされたんですか?」



 そう尋ねたのはフィナリナさん。ライナさんもその横で不思議そうな顔をしている。


 そんな2人の姿を見ると、やはり別れの言葉を伝えるのは躊躇しそうになるが。

 覚悟を決めると口を開く。



「えっとですね。一週間後に帰郷することになりまして、その挨拶に伺いました。

これはお世話になったお礼です。皆さんで召し上がってください」



 僕はそう言うと手土産を手渡す。


 2人は驚いたような表情を見せるが、手土産を受け取ると口を開いた。



「そうなんですね……寂しくなりますね……」


「そうか……まだ恩を返し切れてないんだがな」



 2人はそう言うと寂しげな表情を見せる。



「急な話ですみません。僕としても名残惜しいとは思うのですが……」


「アル様、謝らないでください。

探索者と言う職業をしていれば、別れと言うものが突然訪れるものだと分かっています。

そのことを考えれば、こうしてお別れの挨拶ができるのはむしろ好ましいことなんですから」



 フィナリナさんはそう言った後に「好ましいのと心情は別物ですけどね」と、付け加え。

 寂しげな表情を浮かべながらも笑って見せた。


 そして、そんな表情を見た僕も、今日何度目か分からない寂しさが込み上げ、場がしんみりとした空気に満たされて行く。



「と、ところで、帰郷すると言う話だが。

アル君の故郷は遠いのかい?」



 ライナさんはそんな空気を変えようと思ったのだろう。

 そう言って話題を振ってくれたのだが。

 正直、僕は森の家の正確な位置を知らなかったので、その質問にはメーテが答えてくれた。



「そうだな、城塞都市を越えて王都方面へ向かうその中間あたりだろうか」


「なるほど。そうすると魔の森に近い場所なんですかね?」


「魔の森の資源で生計を立てているような、何も無い場所だがな」


「森の資源と言うのは木材や魔物ですか?」


「主に魔物だな。アルも今より小さい頃から魔物を相手に稼いでいたぞ」



 メーテがそう言うと、ライナさんは納得したように頷く。



「幼い頃から魔物と言う存在が身近にいて、それに対応する為に強さが必要だった訳か……

アル君の強さの秘密が分かった気がするな」



 そんなライナさんの予想を聞きながら。

 対応する為と言うのは間違いではないのだが、どちらかというと対応させられた。

 そう言った方が正解に近いかもしれないな。などと考える。


 それと、ライナさんが言った魔の森と言う言葉なのだが。

 「魔の森に近い場所なんですかね?」と言う言葉に対して否定も肯定もしていないことから。

 恐らく、その魔の森と言うのが僕達の家のある場所なのだろう。

 そう確信し、今更ではあるが、随分と物騒な名前の場所に住んでいたんだな。そう実感することになった。


 そして、そのように実感していると。



「そうだ! 送別会を開きましょうよ!」



 そう言いだしたのはフィナリナさんだった。



「それはいいな。バルバロやイルムも会って挨拶をしたいだろうしな。

もちろん、アル君たちの都合が良ければなのだが……」



 ライナさんもその意見に賛成なようで「どうだろうか?」と僕達に尋ねる。


 送別会を開いてくれと言うのは図々しかもしれないが。

 最後に皆で会って少しくらい騒ぎたいと言う気持ちがあったので、僕の意見としても賛成だった。


 それではメーテとウルフはどうだろう?と視線を送ると。



「では、出発の前日にでも開いて貰おうか」


「それがいいわね。楽しみだわ」



 どうやら2人も賛成してくれるみたいなので、僕も賛成だと言うことを伝えると。

 フィナリナさんとライナさんは表情をパッと華やかる。



「でしたら時間もそんなにありませんし、お店の予約を取って、メニューを決めて。

ああ、それにレオナさんにも声を掛けなきゃいけませんね!」



 フィナリナさんは意気揚々と送別会の準備を語り出したのだが。

 それに待ったを掛けたのメーテだった。



「店は予約しないでいいぞ」



 一瞬意味が分からず、もしかしてやっぱり開かなくていいとか言い出すのか?

 そう思うと少しだけ不安になるのだが。



「場所は私達の家を使おう。後一週間では消費できない程度の食料や酒類があるからな。

丁度良いからこの機会に消費してくれ」



 そう言うことらしく、ホッと胸を撫で下ろす。


 しかし、それは悪いと思ったのだろう。



「本当にいいんですか?

僕達はそれで構わないと言うか、むしろありがたい話なんですけど……

出発の前日にお邪魔して迷惑になりませんかね?」


「もし使わせて頂けるなら、ゴミの後片付けや食器洗いとかは私達がやりますけれど。

……本当によろしいんですか?」



 ライナさんとフィナリナさんは申し訳なさそうに尋ねる。



「ああ、構わない。

なんならその日に片付けなくてもいいぞ。まぁ後でしっかり奇麗にしては貰うが」



 メーテの言っていることの意図が分からず、ウルフ以外は困惑した表情を浮かべる。



「女王の靴も中層冒険者だ。いつまでも宿屋に世話になっていては格好付かないだろ?」



 メーテはそう言うと懐から細工の凝らされた一本の鍵を取り出すと、それをライナさんに手渡した。



「無期限で貸してやる」



 その一言でライナさんとフィナリナさんは何を貸すのか察したのだろう。



「もしかして、あの家をですか!?」


「えっ? 本当に良いんですか!?」


「ああ、帰りの分からない家主を待つよりも、誰かが住んでやった方が家も寂しくないだろう。

まぁ、綺麗に使って貰うのが条件だが、家賃を払うよりかは楽な条件だろ?」



 メーテがそう言うと、ライナさんとフィナリナさんは視線を合わせる。

 そして、メーテの言葉を咀嚼しきれたのだろう。

 2人は顔を綻ばせると、抱き合って喜びを表現した。



 そんな姿を見た僕は、メーテも憎いことをするな。

 そう感心すると、喜びあう2人の姿を微笑ましい気持ちで眺めるのであった。



 2人以上に満面の笑みを浮かべている、親父と呼ばれる経営者を見ないようにして……

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