第54話 ドレスコード

 小鳥の囀りと窓から差し込む陽の光でゆっくりと意識を覚醒させていく。


 徐々に覚醒していく意識。

 しかし、それを阻むように身を包むフカフカの布団が意識を深い場所へと誘おうとする。

 このまま誘惑に負けて意識を手放してしまいそうになるが、這いずるように布団から抜け出すと、なんとか誘惑を跳ね除けることに成功する。


 新鮮な外の空気ををとりこむ為に窓を開けるとそこには庭が見え、短く整えられた芝に高すぎず低すぎずの木々が植えられているのが目に入る。


 そんな木々の枝の先では二羽の野鳥が寄り添うようにしながら囀り、その姿はまるで愛を囁き合っているようにも見えた。


 目に映る緑と中睦まじい二羽の野鳥、朝特有の空気を肌で感じながら穏やかな気持ちで一日のはじまりを迎える。



 だが、そんな穏やかな気持ちも自室の扉を開けたら終わる事を知っている。


 願いが叶うならばこの穏やかな気持ちで一日を過ごしたい。


 しかしそれは叶わないと言うことを理解している。


 それならば現実としっかり向かい合い受け入れるしかないだろう。


 そう覚悟を決めた僕はドアノブに手を掛けるとその扉を開いた。





「うっ……」



 思わず声が漏れてしまうほど、扉の先の光景は悲惨なものだった。


 まず襲ってきたのはアルコールの臭い。

 まったく耐性のないものだったら臭いだけでも酔ってしまえそうなほど濃密なアルコール臭。


 それだけなら許容出来たかもしれないが、それに加え目に映るのは異様な光景。



 まるで土下座をしたような姿勢で眠るイルムさんに立ったまま寝ているライナさん。

 他にも下着姿でソファーで眠るバルバロさんの姿が目に入る。

 流石に目のやり場に困るものの、これくらいは許容できなくもないのだが。


 さらに周囲を見渡せば、酒瓶を胸にダイニングテーブルの上で仰向けに寝るメーテが居るかと思えば、ごみ箱にすっぽり収まった状態で干し肉を抱いて眠るウルフ。


 これも許容範囲かと言われればかろうじて許容できない事もない。



 だが、これは許容と言うか理解ができない。


 なんか気持ちの悪い木彫りの人形を中心に、それを囲むように並べられた虫の死骸と魔法陣。


 そのきもちわりぃなんかの横では、製作者と思われるフィナリナさんが至福の笑顔で寝息を立てている。


 流石に理解は出来ないが、何がしたかったのかを少しでも理解する為、きもちわりぃ木彫りの人形を手にとり注意深く見てみると、その背面に信じられない文字を目にする事になる。



『アル様』



「まじか……」



 どうやら、このきもちわりぃ木彫りの人形は僕を模して造られた物のようだ。


 正直、信じられない気持の方が強かったが、100歩譲ってこの人形が僕だと言うのは受け入れよう。


 しかし、何故僕を囲むように虫の死骸が並べられているのだろう?

 そして、この魔法陣の意味は?


 そこまで考えた所でブルリと身体が震え、腕を見てみれば鳥肌が立っていることに気付く。

 それは、これ以上理解することへの無意識の警告のように思えた。


 深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。

 不意に有名な一小節が頭を過り、やべぇやつの思考で染まることを恐れた僕は、これ以上理解を深めるのを放棄することにした。



 ……どうしてこんな惨状になってしまったのか?

 それを紐解くには昨晩まで遡らなければならいだろう。






 ダンジョンから無事帰還した後、僕は皆に引きずられるようにして一件のお店へと辿り着いた。


 ライナさんに連れられて辿り着いたそのお店なのだが、外観からして普段利用するような食堂とは格式の違いを感じさせられた。


 現にお店に出入りしている客はどの客も身なりが整っており、僕らの格好とは比べるべくもなく整った格好をしている。


 恐らくだが、このお店はドレスコードとかがあるお店なのだろう。

 ライナさんの行きつけのお店とは言っても、今の僕達の格好では門前払いされてしまいそうに思えた。


 そんな事を考えていたのだが、ライナさんは問題ないと言わんばかりの態度で店内へと入っていく。

 どうして良いのか分からない僕は、とりあえずライナさんの後を付いて行くのだが、他の客の視線が痛い。


 そんな周囲の視線に耐えながらも店内へと入ると、出迎えてくれたのはこちらも異様に身なりが整った男性店員。


 その男性店員は僕達の格好を一瞥すると。



「お客様。当店では男性ですとジャケット、 女性ならワンピースの着用の規定がありまして、規定を満たしていないお客様はお断りさせていただいています。

まことに申し訳ございません」



 そう言って深々と頭を下げた。



「えっ? そんなものがあったのか……」



 男性の発言にライナさんは驚いたような声をあげると、その声に反応してライナさんの顔を見た男性が今度は驚きの声をあげる事になる。



「えっ? 失礼ですが、ライナお嬢さまでいらっしゃいますか?」


「ん? ああそうだ」


「す、すみません! 今すぐ席を用意しますので少々お待ち下さい!」



ライナお嬢さま? 男性店員の言葉とその変わり身の早さに驚かされる。



「待ってくれ!」



 確認の為か?この場を離れようした男性店員だったが、ライナさんのその一言で男性定員はピタリと動きを止めた。



「小さい頃何度か来た事はあるが、 その時は規定がなかったのか、只知らなかっただけかは分からないが、そう言った規定がある事を知らなかった。申し訳ない」



 ライナさんが謝罪の言葉を述べると、男性店員は尚更慌てた様子を見せる。



「お、幼い頃とは勝手が違うのですから仕方がないことです。

そ、それでは席を用意しますの―――」


「いや、必要ない。

迷惑を掛けてすまなかったな。僕達は失礼させて貰うことにするよ」



 ライナさんは申し訳なさそうに謝罪の言葉を口にし、店内を出ようとしたのだが。



「ま、まって下さい! こ、このままお嬢様をお返しになったとお父上が知ったら、私が・・・いやこのお店の全員が叱られてしまいます!」



 眼の端に涙を溜め、懇願する男性。

 その様子に周囲に居た客達もなんだなんだ?と言う具合に視線を向けてくる。

 そして、その視線にライナさんも気付いたのだろう。



「少し周囲の視線が痛いな。店の外で話をしようか?」


「そ、そういうことでしたら」



 男性店員はお店を出るように案内すると、そのままお店の裏口へと案内する。


 ここであれば周囲の目を気にする必要もなさそうだと判断したのだろう。

 ライナさんは口を開いた。



「僕が既定の事を知らなかったばかりに迷惑を掛けてしまった。

本当に申し訳ない」


「い、いえいえ! 仕方がない事です! はい!

早急にお席を用意いたしますのでゆくっりなさっていって下さい」


「いや。それは出来ない」



 その言葉で男性店員の顔が青ざめて行く。



「服装の規定があると言うことはこのお店はそう言った雰囲気も売りにしているのだろ?

そして、お客もその雰囲気を求めて来店しているのだろうから、いかにも探索者と言う見た目の私達がその場にいては場の雰囲気を台無しにしてしまう。


皆においしいものをごちそう出来ると浮かれてしまい、ちゃんと客層を見てなかった僕の失態だな」



 ライナさんの話を聞いて確かにその通りかもと納得する。


 例えばの話だが、誰かの特別な日、または特別な日にしようと奮発して静かなお店で食事を楽しんでいた。


 そんな落ち着いた雰囲気を楽しんでいたと言うのに、ドタバタと走りまわる子供連れの家族や合コンではしゃぐ大学生。

 または頭にネクタイを巻いたベタなタイプの酔っ払い。


 そんなお客が居て騒がしい状況では、折角の雰囲気も、特別な日も、苦い思い出へと変わってしまう。


 前世ではそう言った機会もなかった為、思い至らなかったが、こう言ったお店では食事だけではなく、誰かの特別な日に彩りも与え、そんな彩りを求めて人は来店するのだろう。

 そんな中、魔物の血が付いているような格好をしている僕達がいたら、ライナさんの言う通り、雰囲気を壊してしまうに違いない。



 そんな事を考えていた僕を他所に、ライナさんと男性店員の意見は平行線をたどっており。

 男性店員がお店への案内を進めると、ライナさんはそれを拒否してみせる。


 そんなやり取りが続いていた。


 続いていたのだが。



「じゃあこうしたらどうです?」



 そう言ったのはフィナリナさん。何か提案があるようでフィナリナさんは言葉を続けた。



「ライナはお店に迷惑がかかるからお店で食事はしない。

店員の方はこのまま帰してしまってはライナの父上に顔向けできない。

それならば両方の意見の間を取って、食事だけお持ち帰りさせていただくと言うのはいかがでしょうか?


……正直間を取った意見と言うよりは、凄く無茶な注文だとは思うのですが、これならば店員さんもただ追いかえしたと言うことにはなりませんし、いかがでしょうか?」



フィナリナさんがそう言うと、男性店員は一瞬目を丸くさせたが、すぐさま表情を戻すと、



「それなら大丈夫かもしれません! 上の者と厨房に確認取ってきます!」



 そう言って裏口のドアを勢いよく開き店内へと消えていった。

 店内へと消えて行く男性店員の背を見送った後。



「僕の考えが足らなかったばかりに余計な面倒に巻き込んでしまったようで申し訳ない」



 ライナさんは深々と頭を下げた。


 そんなライナさんを見て困ったような笑顔を見せる女王の靴の面々だが、



「私は気にしてないから頭を下げないで」



フィナリナさんは首根っこを引っ張るようにしてライナさんの頭をあげさせる。



「だけどアル君達にも迷惑をかけてしまったし……」


「大丈夫! アル様達は寛容だからこれくらいじゃ怒らないわよ」



無駄にフィナリナさんの評価が高い事がプレッシャーだが、実際、この程度の事では怒る事はないのでその意見に同意する。



「ライナさんが知っている中で良いお店を紹介してくれようとしただけですしね。

今回は少し前情報が足りなかっただけのことです。

厚意に対して怒る事なんて事はしませんよ」


「……アル君ありがとう」


「流石アル様! 寛容の化身ですわ!」



 ライナさんの言葉に気にしないで下さいと伝え。

 フィナリナさんの言葉はちょっと意味が分からなかったので流す事にした。


 そんな僕達のやり取りを見ていたバルバロさんとイルムさんなのだが。



「なぁイルム。なんかアル様って年相応て感じしないな」


「わかる。無駄に達観してる感じするよね」



勘繰るようなことを言い出したので慌てて話を切り替える。



「そ、そう言えばライナお譲様て呼ばれていましたけどどういうことですか?」



 実年齢の事になると、色々説明しなければいけない事が多く、何処まで話して良いのか分からない。


 女王の靴の面々なら受け入れてくれそうな気もするのだが、何が話せて、何が話せないかを理解していない内は余計な事は伝えない方が良いだろう。


 そう思い、慌てながらも気になった事を尋ねてみると。



「まぁ、僕はなんて言うかそこそこ大きな商会の娘なんだよね。

今はこうして自由に探索者をやらせてもらっているけど、小さい頃は社交場なんかにも顔出す機会も少なくなくてね。

当時の僕を知っている人は未だにお嬢様なんて呼び方するんだよ……」



 なるほど、そう言うことかと頷いていると。



「……ライナ。そこそこって言葉の意味を調べた方が良いと思うわよ?」



 などとフィナリナさんが呟いており、その言葉から、ライナさんは結構いい所のお嬢さんなんだろうと察することが出来た。



「大変お待たせいたしました!」



 二人の会話に耳を傾けていたので急な大声にビクリとしたが、それも一瞬で声のする方に視線を向ける。


 そこには先程と同じ男性店員の姿があり、その手には箱のような物を4つほど重ねて抱えていた。



「許可が出ましたのでこちらの器に料理を詰めてまいりました。

少々重いかもしれませんが、こちらをお持ち帰り下さい」



 そう言った男性店員の手から代表してバルバロさんが箱を受け取ると、



「本当に申し訳ない。このように融通を聞かせて貰って。

それと料金だが、料金はこんなものか?」



 ライナさんはそう言って自分の財布から2枚の硬貨を取りだすと、男性店員に握らせた。


 チラリと見えた硬貨の色が金色だった事に驚くが、男性店員は驚くそぶりもなく。



「器の代金を含めると丁度と言ったところでしょうか。

流石お譲様です。商売から随分と離れていたようですが、今でもしっかりと物の価値をわかっていらっしゃる」


「口がうまいな。それとこれは融通聞かせて貰ったお礼だ」



 そう言うと今度は銀貨を男性店員に握らせた。



『いいえ! めっそうもありません! 受け取れませんよ!』



男性店員の事だ。

銀貨を受け取った後の反応はこう言った所だろう。そう予想したのだが、



「ライナお嬢様。ありがとうございます」



 男性店員は内ポケットに銀貨をすべりこませる。


 こう言う所はシビアなようだ。




 その後、男性店員の深々としたお辞儀を背にその場を後にした僕達。


 人々の通行の邪魔にならないよう道路の端に寄ると、この後どうするかの話し合いが始まった。



「本当にご迷惑おかけしました」



 本日何度目になるか分からないライナさんの謝罪を受けた僕達は、全然問題無いことを伝え、ライナさんを安心させる。


 そして、そんなライナさんの謝罪を受けた後に話題の種になるのは、バルバロさんが抱えている大量の料理だろう。



「この料理どうしましょうか……」


「折角だし、僕は皆に食べて貰いたいとは思うんだけど……」



 フィナリナさんとライナさんは料理を見つめ、どうすれば良いかに頭を悩ませる。



「ちょっと開けてる場所で夜のピクニックってのも悪くはないかもしれないけど、折角の上等な料理なんだからゆっくりと食べたいよなー」


「でも、私達が借りてる宿屋じゃ全員がゆっくりできる広さじゃないしねー」



 バルバロさんとイルムさんはどうにか案を出すが、本人達はその案に否定的だ。


 どうしたものか?と頭を悩ませる女王の靴の面々だったが、そこに一つの案が投じられる。



「折角ライナの厚意だ無下にする訳にもいかないだろう。

場所に思い当たるところが無いのなら、我が家を提供しようか?」



 そう言ったのはメーテ。


 そのメーテの言葉に女王の靴の面々の表情が喜色に染まるが、次の瞬間には渋い表情をみせる。


 彼女達の事だからお邪魔したら迷惑掛けるなどと考えているのだろう。

 お邪魔したいけど迷惑では?そんな心の葛藤をしている所為だろうか、ひっきりなしに表情をコロコロと変える彼女達だったのだが……



「あらあら、人がいっぱい来るのね賑やかで楽しそうじゃない。

お酒もあった方がいいわよね? 帰りにお酒買っていきましょうよ?」



 そのウルフの言葉に、これから行われる食事会が楽しいものになると確信したようで。

 葛藤から解放された女王の靴の面々は実に通った声で。



「「「「お邪魔させていただきます!」」」」



 そう告げるのであった。

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