第46話 大顎
翌日。僕達は宿屋を出ると三十階層へと向かう為、上層の町を後にした。
ウルフが言っていた「人の血臭いがする」と言う言葉に嫌なものを感じたが、進んで関わり合いにならなければ問題は無いだろうと考えた結果。
僕達は人々が寝静まっている内に上層の町を出る事にした。
二十六階層へ辿り着いた僕達を出迎えたのはやはりリザードマン達で、相変わらず連携での攻撃を仕掛けてきた。
多対一での立ち回りにはやはり課題が残るが。
それでも何度も戦闘をこなしたおかげで、少しずつだが、多対一での戦い方を掴めてきた気がする。
要するに、連携させるから脅威なのであって、一対一なら問題無く狩る事が出来る。
それならば連携をさせなければ良いと言う訳だ。
そう考えた僕は、出来るだけリザードマンの配置を気にするようにし、リザードマン達が直線状に並ぶような立ち回りを心掛けるようにした。
そして、どうやらこの考え方は正解だったようで。
リザードマンも仲間を攻撃する事は避けたいのだろう。
後衛のリザードマンの攻撃の射線に前衛のリザードマンが居る場合、後衛の手がとまるようになり、今までよりも余裕を持って戦えることが出来た。
その後も、何度かリザードマン達との戦闘を繰り返したおかげだろうか?
今まではヒヤリとする場面もあったのだが、そう言った場面に遭遇する回数も減って行き。
完璧に立ち回れているとまではいかないものの、問題無くリザードマンを狩れるようになっていった。
そして、そんな僕の様子を見ていたメーテとウルフなのだが。
「どうやら、多対一の戦闘のコツは掴めて来たようだな」
「そうね。一対一に近い状態に持ち込んで戦うのは正解だと思うわ。
まだまだ効率が良いとは言えないけど、自分で気付いた所は褒めてあげなきゃね」
どうやら多対一の戦闘と言う課題は及第点と言った所のようで。
とりあえずは二人の求める水準には達する事が出来た事にホッと息を吐いた。
そして、僕達は順調に階層を進めて行き。
今、目の前には三十階層へと続く階段が口を開けている。
「さて、この階段を降りれば三十階層の階層主との戦闘だ。
青き清流から聞いた話だと、ここの階層主はリザードマン達らしいのだが。
その時によって種類が違うらしい。
どんな種類のリザードマンでも対応できるようにしなくてはな」
そう。事前に聞いた情報によれば、三十階層の階層主は倒されて復活する度に違う種類のリザードマンが生まれるようで、毎回同じと言う訳ではないらしい。
例えば、普段戦っているようなリザードマンを大きくしたようなヤツや、首の長い蛇のようなヤツにカメレオンのように姿を周囲に溶け込ませるヤツ。
それぞれに特徴があり、その種類によっては戦い方を変えなければいけならず。
そう言った対応力が求められる為、三十階層の階層主討伐がギルドプレートのランクアップ条件に選ばれているとも言われているそうだ。
「アル、心の準備はどうだ?
準備が整っていないようなら一度休憩をはさもうか?」
僕が階層主の事を考えているとメーテが声を掛ける。
確かに一度休憩をはさむのも良いかもしれないが、ここで休憩をはさむよりは、リザードマンの戦闘で掴んだ感覚を維持したまま階層主に挑んだ方が良いように思い。
そう思った僕は、休憩が必要ない事を伝えた。
「そうか、どうやら準備は整ってるようだな。
それなら行くとしようか」
メーテの言葉に頷くと、僕達は三十階層へ続く階段へと足を踏み出すことになった。
三十階層に着くと、十階層や二十階層と同じように、そこには広い空間だった。
そして、その空間の中央に居るのは一匹のリザードマン。
いや、リザードマンとは比べ物にならない程の巨体の持ち主で。
その姿を見たメーテは舌を打ち鳴らした。
「チッ、選りにも選って大顎か……
とりあえずはアルに任せてみるが……ウルフ、万が一の為準備はしておくぞ」
「わかったわ。
大顎の相手はもしかしたらアルには荷が重いかもしれないわね」
二人の会話を聞き、不安と緊張で鼓動が速くなって行くのが分かり。
速く鳴る鼓動をどうにか抑えようとしながら、今一度、大顎と呼ばれた存在に視線を向けた。
その身体はリザードマンとは比べ物にならない程、横にも縦にも大きく。
身体にはぬらりと光る堅そうな鱗。
手には棍棒が握られ。
瞳は縦に割れ、その鋭い瞳でこちらを窺っている。
そして、何より特徴的なのは大顎と呼ばれる所以でもあるその大きな顎だろう。
人一人程度なら丸のみしてしまいそうな大きな顎。
大顎と呼ばれるリザードマン。
その姿はまるで、二足歩行する巨大な鰐だった。
大顎の姿を見た僕は思わず怯んでしまいそうになるが。
今までのリザードマン戦とは違い、相手が一匹だけと言う事に少しだけ安堵し、腰から片刃の剣を抜くと、大顎との戦闘に備え意識を切り替える。
その瞬間。
「アル! 左に跳べ!」
メーテの言葉の意味を理解出来なかったが咄嗟に左へと飛ぶと。
次の瞬間には、僕が立っていた場所に一本の矢が突き刺さることになる。
矢が飛んできた方向に視線を向ければ、そこには目をギョロギョロと回すカメレオンのようなリザードマンの姿があったのだが、まるで周囲の風景に溶け込むように姿を消して見せた。
「アル! 正面だ!」
再度メーテの言葉で視線を前方に向けると。
いつの間にか大顎の接近を許していたようで、大顎の間合いの中に入って居たことに気付く。
そして、後手に回った僕を他所に、大顎は手に握った棍棒を振りあげるとそのまま僕に向かって振り下ろした。
その棍棒を剣でどうにか受け止めるが、大顎の一撃は重く。
受け止めた剣から響いて若干腕が痺れてしまい、思わず剣を手放しそうになる。
ソレを我慢すると、鍔迫り合いの形になる僕と大顎。
しかし、体格の差は明らかで、この体勢のままではいずれ押し込まれてしまうだろう。
それに、ここには大顎意外にもカメレオンがいる。
この体勢のままでは恰好の的だ。
そう考えた僕は剣の重心をずらし、棍棒を受け流すと後方へ跳ぶ。
その瞬間またも地面には矢が突き刺さり、思わず冷たい汗が額を伝った。
この階層まで来る間にリザードマンと戦い。
後衛の射線を遮り、一対一の状態を作ると言う事を覚えたのは良いのだが、後衛の姿が見えないのではその状況の作り様が無い。
どうすれば対応すれば良いのか考えるが、考えを巡らす暇も無く大顎は横薙ぎに棍棒を打ちつけてくる。
「くそっ! 考える暇も与えてくれないのか!?」
棍棒を剣で受け止めるようとしたのだが、踏ん張りが足らず吹き飛ばされてしまう。
しかし、そのおかげで大顎との距離を保つ事が出来た。
『水刃!』
そして、距離を保てたことを好機と考えた僕はオリジナル魔法の水刃を横薙ぎに放ち。
大顎は咄嗟に腕を前方で十字に組むが、まともに水刃を受ける形となった。
「……やったのか?」
ハイオークの惨状を思い出し、半ば勝利を確信したのだが……
「アル! まだよ!」
水刃をまともに受けた筈の大顎だったのだが、防御が功を奏したのだろう。
左腕一本を犠牲にしたものの今だ健在で、なんら陰りの無い動きで僕に迫って来る。
「それなら特別なのを!」
僕は新しく考えたオリジナルの魔法を放とうと意識を集中し始める。
だが次の瞬間、左腕に激痛が走り、集中を途切れさせてしまう。
その痛みの原因を確認する為に左腕を見れば矢が刺さっており。
矢が飛んできた方向に視線を向ければ、カメレオンの姿が周囲の景色に溶け込んでいく最中だった。
矢の痛みとカメレオンの姿に気を取られている間にも、大顎は僕と距離を詰め、棍棒を振り下ろす。
ソレをどうにか片刃の剣で受け止めるが、片手では力が入らずどんどんと壁際へと押しこまれて行く。
どうにかこの状況を打破する為、オリジナルの魔法を放とうとするのだが。
魔法を放つ為の集中する時間も与えて貰えず、じりじりと更に壁際へと追い込まれて行き、気が付けば壁の感触が背中に伝わることになった。
そして、大顎はその名前の所以でもある大きな顎を大きく開く。
その瞬間、生臭さが鼻を衝き、さらに集中力が乱される。
至近距離で開かれただけあり、牙の数や鋭利な形がしっかりと確認でき。
食べカスだろうか?何かの肉片が牙の間に詰まっているのさえ確認できた。
この牙の数と形だ噛まれたら一たまりもないだろう。
嫌な汗が頬を伝った瞬間。
その牙が僕へと襲い掛かる。
「くっ!!」
どうにか首を振る事で避ける事は出来たが、鱗が頬の皮膚を削ったようで頬がビリビリと痛む。
大顎は勢いのまま壁を噛み砕いたようで。
耳元で聞かされるゴリゴリと壁をかみ砕く音が僕を不快にさせ、恐怖を煽った。
その間にも大顎の重圧は増して行き。
背中に感じるゴツゴツとした壁の感触が痛みへと変わり、棍棒を支える剣を握る腕も徐々に震えだす。
さっきはなんとか避ける事が出来たが、この状況では何度も避ける事は出来ないだろう。
そして避けられなかった時は――
その続きを想像した時、僕の中で恐怖が爆発的に膨れ上がり――
死にたくないと言う感情が溢れだした。
戦いの最中だと言うのに膝はガクガクと震え、歯はガチガチと鳴る。
そして、気がつけば……
本当に自分の声なのか疑いたくなるような情けない音を吐き出していた。
「た、たずげてぇ……」
次の瞬間。
僕の目の前に居た大顎は、その名前の所以である大きな顎ごと頭部を消失させ、僕の頭上に生温い雨を降らせていた。
「少し助けるのが遅くなっちゃったわね。ごめんなさいアル」
そう言ったウルフの手には大顎の頭部が握られていた。
「すまんなアル。
アルからいつもと違う魔力の流れを感じたから、助けるタイミングを見誤ってしまった」
そう言ったメーテの背後には首と胴体が離れたカメレオンの死体が転がっていた。
僕は大顎とカメレオンの死体を見た事で、自分が死なずに済んだ事を理解したのだが。
未だに震えは止まらず、耳障りなくらい歯はガチガチと鳴っている。
――本当に怖かった。
今まで魔物と戦ってきたがここまで濃厚に死を感じた事は無かった。
――ソフィアとの約束が果たせなくなると思った。
――ウルフと肉の話で盛り上がる事が出来なくなると思った。
――メーテと小説の話が出来なくなると思った。
――三人で食卓を囲む事が出来なくなると思った。
――本当に怖かったんだ。
恐怖や不安、情けなさに安心感。
色々な感情が入り混じり、今にも涙が溢れそうになるがそれを我慢した。
これ以上情けない姿を見られるのは嫌だったからだ……
しかし、そんな僕の心中を知ってか知らずか。
ウルフは何も言わずそっと肩を抱き。
メーテも何も言わず、そっと頭に手を置いてくれる。
そんな二人の優しさに、結局我慢できずに情けない姿を見せる事になってしまうのだが……
こうして、僕の初めての三十階層攻略は失敗に終わることになった。
僕の心に恐怖と苦い経験を刻む形で……
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