第9話 はじめてのまもの

 【基本五属性】の基礎を学んでから数カ月、僕は平穏な日常を送っていた。


 朝ウルフに起こされて、メーテの作る朝食に舌鼓を打ち。

 メーテの畑の世話をしたら昼までは座学の授業。

 太陽が真上に昇ったら二人と一匹、テーブルを囲んで昼食を取り。

 昼食を終えたら実技の授業が始まる。


 実技の授業は、その日によって内容が変わる。

【基本五属性】の基礎を学ぶというのは変わらないし、【魔力枯渇】するまで魔法を使用しなければいけないのだけど……

 それでも、【火属性魔法】を使用して的当てをしたり、【土属性魔法】を使用して不格好な土のお城を作ったりと、その授業内容に飽きることは無い。


 そうして、【魔力枯渇】するまで魔法を使用した後は、魔素の流れというものに身体を預け、体調が回復したらその日の授業は終了だ。


 授業が終われば家へと帰り、ウルフとじゃれ合いながら夕食が出来上がるのを待つ。

 夕食が出来上がったら二人と一匹で夕食に舌鼓を打ち、食後には美味しい食事を作ってくれたメーテに感謝の言葉を伝えるのも忘れない。


 その後はメーテと雑談に興じたり、ラグの上に寝転がってウルフと遊んだり。

 その過ごし方は様々だが、気が付けばとっぷりと夜が更けているというのがお決まりだ。


 夜が更けたら、翌日の授業に差し支える前に眠り支度を始める。

 お風呂で身体を拭いて、洗面所で歯を磨いて、身体が冷えきらない内に布団へと潜り込み、そして眠りに落ちる。


 変わり映えの無い日常かもしれないけど、とても満たされた、代え難い日常。

 そんな日常を過ごしていたのだが……






「ふむ……どうやら結界に反応があったようだな」


「けっかい?」



 僕は思わず聞き返す。



「ああ、この森には結界が張ってあるんだ。

誰かが来たら追いかえしたり、知らせてくれる魔法と言えば分かるかな?」



 その言葉にこくりと頷く。



「この森の結界は、侵入しようと思って侵入できるような代物ではないからな。

運良く……いや、運悪くか? 結界の正規ルートに魔物が迷い込んでしまったんだろう」



 そう言うと笑顔を浮かべるメーテなのだが……

 メーテの柔らかな表情とは対照的に、僕は魔物という言葉を聞いて恐怖を感じていた。


 実際、メーテから話を聞かされていたので魔物が存在しているのは理解していたし、蔵書の中には魔物について記述された図鑑も数多くあったので、魔物が存在する世界であると認識していた。


 丁寧に挿絵まで描かれていた図鑑だった為、名前を聞けば姿形を想像するのだって容易な程だ。


 だからこそ……

 想像するのが容易だからこそ、僕は恐怖を憶えているのだと思う。


 映画や漫画、小説やゲームなど、様々な媒体で描かれていた魔物の存在。

 当時は、いくら醜悪な魔物として描かれていても、これ程までに恐怖を憶える事は無かった。


 それもそうだろう。

 どんなに醜悪な姿で描かれていたとしても、結局は作り物――フィクションであると割り切ることができた。


 しかしこの世界では、架空の存在であった筈の魔物が実在している。

 そして、その魔物が結界内に侵入してきているのだ。

 

 もし魔物たちに見つかってしまったら……

 そう考えるとブルリと身体が震えてしまい、恐怖を抑える事が出来なかった。


 ましてや、ここに居るのはメーテにウルフ、そして僕なのだ。

 確かにメーテは魔法を使えるけど、メーテが使う魔法は少し生活が便利になる程度の魔法で、魔物を相手にするとなれば随分と心許ない。


 ウルフにしたってそうだ。

 狼とはいっても見た目は大型犬と大差ないのだから、魔物相手では力及ばないように思える。


 そして、極めつけは僕の存在だ。

 僕なんてただの二歳児なのだからお荷物でしかない。

 もうすぐ三歳を迎えるといってもそれが何かの足しになる訳でも無く、役に立たないどころか、足手まとい以外の何ものでもないのだろう。


 そのような事を考えていたら、最悪の言葉が聞こえてくる。



「ふむ、オークがニ体にゴブリンが五体といったところだな」



 メーテの言葉を聞いて、スッーと血の気が引いていくのを感じた。


 メーテが告げた魔物の名前は図鑑にも載っていたし、前世でもよく耳にした名前だった。

 僕は混乱しつつある頭で、図鑑で得た知識と挿絵を思い浮かべる。


 ――オーク。

 個体差はあるものの身長は約2メートル程で、豚に似た頭部を持ち、身体は筋肉質。

 多少なりの知能があるようで、棒や剣などを武器として扱う事がある。

 非常に雑食で、人間なども捕食、繁殖の対象としている。


 ――ゴブリン。

 こいつらも個体差があるものの、身長は約130センチ程。

 醜悪な面構えに、子供のような体格。

 多少なりの知能があるようで、剣や弓などを使用する個体もいるようだ。

 非常に雑食で、人間も捕食、繁殖の対象としている。


 そして、オークとゴブリンは一緒に行動する事が多いらしいのだが……

 コイツらは村や小さな町などを襲うこともあるようで、年に何件もの被害が報告されており、死傷者や行方不明者を出すことも少なくないようだ。



 図鑑から得た知識を思い出すと、再度血の気が引いていく。

 村というからには人手だってあるし、男手だってある筈だ。

 僕達の今の状況よりは幾分というか、比べるまでも無く優位な状況だと考えられる。


 だというのに死傷者がでるという事は、村の規模でも魔物に対抗しきれないことがあるということで……


 僕は、立たされている状況が、如何に絶望的な状況であるのかを理解すると、声が震えそうになるのをどうにか抑えてメーテに声を掛けた。



「めーて! にげなきゃ! にげなきゃあぶないよ!」



 僕が急に大声をあげたから、メーテは吃驚してしまったのだろう。

 メーテは目を丸くすることで驚きを表現するのだけど、すぐに目尻を下げると、暖かみのある声色で問いかけた。



「アル、心配してくれるのか?」



 僕は、勢い良く何度も首を縦に振る。

 すると、そんな僕の様子を見たメーテは、珍しく声を出して笑った。



「あははは、そうかそうか、アルは優しい子だな」



 なんで笑っているのだろう?

 そして、魔物の集団が迫っているというのに何でこんな呑気なんだろう?

 

 そんな納得できないという感情が表情に出てしまったようで。



「すまん、すまん、心配されるなんて暫くなかったものでな。つい嬉しくなって声を出して笑ってしまったよ。

だからアル、機嫌をなおしてくれないか?

むすっとしているより、笑顔の方がアルには似合っているぞ?」



 メーテは僕の頬に指を置き、笑顔を作るようにしてクイッと持ち上げた。



「め、めーて。や、やめてよ」


「駄目だ。逃がさないぞ?」



 メーテの指から逃げるように身体を逸らすも、すぐさまメーテに捕まってしまい、クシャクシャと雑ながらも優しい手つきで頭を撫でられてしまう。


 頭を撫でられたことで、僕は思わず目を細めてしまったのけど……

 

『今はそんなことをしている場合じゃない』


 危険がすぐ傍まで迫っている事を思い出し、真剣な表情を作ると再度訴えかけた。



「めーて! はやくにげよう!」



 しかし、その返答といえば相変わらず呑気なもので。



「安心しろ、こう見えてメーテは強いんだぞ」



 メーテはあまり厚く無い胸を張って、トンと叩いて見せた。



「ワォン!」



 鳴き声がした方に視線を向けてみるとウルフも胸を張っており、まるで――


『アル、安心して? 私達に任せなさい』


 そう言っているように見えた。

 見えただけで実際は言ってないかも知れないけど……


 そんな余裕すら感じる二人の様子を見た僕は、思わず安心してしまいそうになってしまう。

 しかし、再度魔物の姿を想像すればブルリと身体が震えてしまい、やはり僕達だけではどうにもならないといった結論へ辿り着くと同時に、芽生えかけた安心感さえも霧散していった。


『どうにかして、皆で逃げ出さなきゃ』


 そのような気持ちが強くなり、逃げ出す算段に頭を悩ませていたその時だった。



「ブォオオオオオオオオオオオオオ!」



 家の外から魔物の咆哮が響く。

 その重厚感のある咆哮に思わず怯んでしまうが、身を竦めながらも恐る恐る窓辺へと近づき、窓の外を覗くと――


 そこにはオークやゴブリンと思われる魔物の姿があった。

 距離はまだ100メートル以上は離れているが、緑色の肌をしたゴブリンに、人の身体の上に豚の頭を乗せたような姿のオークが確認できる。


 まるで冗談にも思えるその醜悪な姿に、嫌悪感を抱く以上に恐怖を感じてしまった僕は情けなく「ヒッ」という声を漏らしてしまい、僅かに指先が震え始めてしまう。


 すると、そんな僕の様子を見て、メーテは安心させようとしたのだろう。

 僕の頭にポンと手を置くと、揉むようにしてクシャリと頭を撫でた。


 そして――



「アル、今日は特別授業だ。

危ないから今日は家の中からの見学となるが、しっかりと見ておくんだぞ?」



 メーテはそう言うと頭から手を離し、ウルフと連れ添って玄関へと向かう。


 実際に魔物を見た恐怖によって、思うように足が動かない。

 それでも、どうにかして二人を止めなければという思いから、一歩踏み出して声を掛けようとしたのだけど……


 

「……豚の分際でアルを怖がらせおって。

畜生風情に身の程というものを教えてやらんといかんよな? なぁ、ウルフ?」


「グルルルルゥ!」



 ……怖かったので声を掛けるのをやめた。

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