魔女に育てられた少年、魔女殺しの英雄となる（旧題：魔女と狼に育てられた子供）

第10話 特別授業

　か細い腕に力を入れて、片開きのドアをゆっくりと押し開いたメーテ。

　玄関から出ると、オークとゴブリンの集団へと向かってウルフと共に歩みを進める。

　情けないことに、僕はそんな二人の後ろ姿を、見送ることしか出来ないでいた。

　魔法を少し使えるようになったからといっても所詮は二歳児。

　僕の力が必要になった時、それは全員の死が確定した時だろう。

　でも……それでも万が一の場合に少しでも力になれるよう。

　すぐに飛び出せるようにと、暖炉の火掻き棒をギュッと握りしめ、祈るような気持ちでオークとゴブリンの集団に向かう一人と一匹の背中を見送った。

　そうしている間にもオークとゴブリンの集団は僕達との距離を縮めており、その顔が目視で確認できる距離まで近づくと、その顔を見た僕は思わず顔を歪めてしまう。

　オークもゴブリンも鈍く鋭い眼光を放ち、その目には狂気さえ孕んでいるように感じられる。

　そして、黄ばんだガタガタの歯の隙間からは涎を垂らし、醜悪さを一層際立たせていた。

　そんな魔物たちの姿を目視すると同時に、手のひらに汗がぐっしょりと滲んでしまい、手に握った火掻き棒が滑って握りが定まらなくなる。

　何度も握りを定めようとするのだけど……

　一向に握りが定まる様子は無く、何もできないもどかしさと相俟って苛立たしさを感じてしまう。

　しかし、そんな苛立たしさも、一瞬で恐怖と言う感情に上書きされてしまう。

　何故なら、窓際に居る僕に対してオークが視線を向け、その醜悪な顔をニヤリと歪ませたからだ。

　その歪んだ表情を見た瞬間、僕の足はガクガクと小刻みに震え、逃げ出してしまいたいという衝動に駆られてしまう。

　数秒前までは、いつでも飛び出せる心構えを持っていた筈なのに、そのような考えは霧散し、僕は動く事もままならなくなっていた。

　◆　◆　◆　◆　◆

　――そのようなアルの心境を他所に、オークとゴブリンの集団に向かう一人と一匹の足取りは軽い。

　メーテとウルフの目の前には、醜悪を煮詰めたような魔物の集団。

　常人であれば、この存在と対峙しただけで生を手放してしまうのだろう。

　実際、それだけの存在感を放っており、目の前の魔物達は威圧感すら持ち合せていた。

　だがしかし。

　そんな魔物の集団であるにも関わらず、依然として一人と一匹の足取りは軽い。

「なぁウルフ？　こいつらはアルを怖がらせたよな？」

「ワォーーーン！」

「うむ、所詮下位の魔物だ。生きては返すまい」

　魔物の集団を前に、怯む様子も無く、普段と変わらない口調で会話を交わす一人と一匹。

　まあ、会話の内容は普段どおりでは無く、随分と物騒なものなのだが……

　ともあれ、そんなやり取りを一人と一匹が交わしていると。

「グギャッギャ！」

　痺れを切らしたのか、一匹のゴブリンが奇声をあげてメーテへと跳びかかる。

　その手には錆びた剣が握られており、至る所に血の跡がこびり付いている。

　文字通り、この剣の錆になった者が居る事の証明なのだろう。

　そしてその凶刃が、今まさにメーテへと振り下ろされようとしていた。

「では、今より特別授業を始める！　アル！　しっかり見ておくんだぞ！」

　そう言ったメーテに迫る凶刃。

　凶刃がメーテの頭上に振り下ろされようとしたその瞬間――

「届くものかッ！　この阿呆が！」

　その凶刃はメーテに届くこともなく、その持ち主であるゴブリンごと巻き込んで、爆音と炎を周囲に撒き散らせながら爆ぜた。

　周囲にゴブリンの焼ける匂いと肉片が散らばる中、メーテは平然とした様子で口を開く。

「今のは火属性の魔法【爆炎】。

使用する際には範囲と威力を調整すると、より高い効果を得られる。

このように――な」

　メーテがパチンと指を鳴らすと、右手から迫っていたゴブリンの胸部付近で小さな爆発が起きる。

　その次の瞬間。【爆炎】で胸を抉られたゴブリンは、血反吐を吐いて膝から崩れ落ちた。

「今のは【爆炎】の範囲と威力を調整して心臓付近で爆発させた訳だ！

そして次に――」

　メーテが手首から上を少しだけ振りあげると、ゴブリンとの間に紫電が走り、周囲を一瞬だけ白く染め上げる。

　そして、景色が本来の色を取り戻すと、そこに在ったのはブスブスと口から黒煙を吐き出すゴブリンの姿だった。

「これは雷属性の魔法【紫電】。

今のも心臓を狙って放った訳だが、何処を狙えば小量の魔力で、かつ効果の高い結果が得られるのかを見極めるのが重要――」

　メーテの言葉を遮るようにして、残ったゴブリンニ匹が同時に跳びかかる。

　跳びかかった筈だったのだが……

「複数を相手にする場合、このように足止めをしておくのも有効な手段だ」

　メーテの視線の先には、氷と岩に足を固定され、身動きの取れなくなったニ匹のゴブリンの姿があり、どうにか抜け出そうと必死にもがいている最中であった。

「これは土魔法と水魔法の応用だな。そして、これが風属性の魔法【風刃】だ」

　メーテが手のひらを薙ぐと、ゴブリン達の周囲の雑草がふわりと揺れる。

　一瞬だけゴブリン達の動きが止まるが、風が頬を撫でただけと判断したゴブリン達は、拘束を解こうと再度もがき始める。

　しかし、もがき始めると同時に――

「げぎゃ？」

　ゴブリンの首がゴロリと胴から落ちる。

　首を落とされたことを心臓は気付いて無いのだろう。

　心臓のリズムと同調するうように、その断面から血が噴き出していた。

　数分の内に起きた惨劇。

　何もさせて貰えない内に五匹のゴブリンが絶命するという緊急事態に直面し、大した知能が無いオークですらも、危機感を覚えて二の足を踏む。

　メーテは残されたオーク達に視線を向けると。

「さて、アルを怖がらせたオークだが……どう料理してやろうか？」

　決してアルやウルフには向けない視線と声色でそう言った。

　その声に反応したニ匹のオークはハッと目を見開く。

　加えて、この緊急事態を打破するには目の前の女を殺すしかないと判断したのだろう。

　手に持った木の塊を頭上に掲げ、後はメーテ目掛けて振り下ろすのみ。といった体勢に入る。

　そして、振り下ろした後の凄惨な光景をオーク達は想像したのだろう。

　オーク達は鼻を鳴らし、その醜悪な顔面を更に醜悪に歪ませた。

　だが、次の瞬間――

　ウルフがオーク達の前へと躍り出る。

　ウルフはその場で飛び上がり、中空で横方向にクルリと一回転して見せると、オークの首に一筋の赤い線が浮かび、つぅーと血が流れる。

　オーク達はウルフの行動に一瞬呆けたものの、薄皮一枚切られた程度だと判断すると、頭上に掲げられた木の塊を振り下ろす為――身体に、そして丸太のような太い腕に力を込めた。

　オークは再度、凄惨な光景を想像したのだろう。

　下劣に鼻を鳴らすと、再びその顔面を醜悪に歪ませたのだが……

「ふごっ！？」

「ごぼっ！？」

　力を入れると同時に、首に入った赤い線がぱっくりと開き、そこからドクドクと血を溢れ始めさせる。

　オーク達は胸元に生温さを感じると、自分の胸元が血で染まっていることに気付いて慌てて血の出所を探るのだが……

　探り当てると同時に自分の首に深い傷があることを理解し、それと同時にこれ以上血が溢れないように慌てて両手で首を抑えることになる。

　その結果、メーテ達を襲う筈だった巨大な木の塊は、重量感を感じさせる低い音を周囲に響かせて地面に転がることになった。

　そして、その音が響くのとほぼ同時に二匹のオークは膝から崩れ落ち、必死に首を抑えながら、自分達の状況を整理するように視線を彷徨わせる。

　しかし、オーク達は状況を理解することも出来ないまま。

　混乱したままに、膝をついた状態から前のめりに倒れ込むと、自分が作りだした血溜まりの中で命の灯を消すのであった。

「ワォーーーーーーン！！」

　そんな哀れなオーク達を前に、勝ち名乗りを上げるウルフ。

「ウルフ！　お前が倒したら魔法の授業にならないだろうが！」

　しかし、メーテに怒られてしまう。

「……クゥーン」

「え、アルに良い所を見せたかった？」

「ワォン！」

「くっ、メーテだけずるいと言われてもだな……

こ、これは特別授業なんだから仕方ないだろう？　な？」

「わふん？」

「ベ、別に調子になんか乗ってないし！

それは濡れ衣というものだぞウルフ！」

「ワッフ、ワフワフ、ワッフ（そしてこれが風刃）」

「は、はぁ？　そんな言い方してないわい！　と言うか真似をするな！」　

　魔物の死体を前にして、気の抜けた口論を交わす一人と一匹なのだが……

　その様子を、アルは引きつった笑みを浮かべながら眺めていた。

　気が付けば、ぐっしょりと濡れていた手のひらは渇いており。

　いざという時の為に握っていた火掻き棒は床を転がり、足の震えさえも止まっている。

　あまりにも現実離れした光景を目撃したことによって、恐怖という感情がアルの中から霧散してしまったのだろう。

　そして、それと同時にアルの胸の内には違う感情が芽生えていた。

　それは、強さというものに対する憧れ。

　守りたい。そう思っても震えることしか出来ず、ただただ無力だった。

　今回は誰も怪我しなかったとはいえ、次もそうだとは限らない。

　魔物が実際に存在するこの世界。

　次は二人の手に負えないような魔物が現れるかもしれない。

　そのような時――

　守られてるだけなのは嫌だ。

　メーテやウルフと並んで戦えるだけの力を。

　欲張りかもしれないけど、出来る事なら守ってあげられるだけの力が欲しい。

　アルの胸の内で、そんな強さへの憧れと渇望が芽生え始めていた。

　アルは固く決意する。

　二人に守られるだけの存在であることに対する決別を。　

　それともう一つ……

　メーテとウルフには絶対に逆らわないでおこう……そんな情けない決意を。

　そのような決意をアルが固めてるいる事など露知らず。

「はぁ！？　ウルフだって空中でクルンとかしてただろうが！？

いつもはガブって噛む癖に、少しばかり気取っているように見えたが？」

「わふっ！？　わふっわっふ！！」

「あ～やだやだ。洒落た真似などして、アルの気を惹こうとしてるのが見え見えだぞ？」

「わっふ！　わふッ！」

「ば、馬鹿を言うな！　そそそ、そんな下心など微塵も無いわい！」

　窓の外では一人と一匹の口論が続くのであった。