第6話 教育方針

 頬を撫でる感触。

 それがくすぐったくて、ぼんやりとした意識を覚醒させていく。


 覚醒しきれていない意識の中で頬を撫でる感触を探れば、金色の瞳と視線が合い、頬を撫でる感触の正体が、ウルフに頬を舐められていたからだと分かる。


 少し湿った頬を指先で拭い、「おはよう」と挨拶をすると、ウルフも「わふっ」と吠えて挨拶を返す。

 そんなウルフの頭を撫でると、気持ち良さそうに瞼を細めた。


 視線を窓へと向ければ、カーテンの隙間から伸びる陽光。

 部屋を分割するように一筋の陽光が床を照らしている。


 僕はベットから身体を起こすと陽光を跨ぎ、これから襲われるであろう眩しさを覚悟をすると、勢いよくカーテンを開く。

 次の瞬間、容赦なく陽光が寝起きの顔を照らし、覚悟の甲斐も無く、僕は思わず目を細めた。


 そんな眩しさと共に陽の暖かさを肌に感じると、いつの間にかウルフが僕の隣でお座りをしており、僕はウルフの頭をワシャワシャと頭を撫でると、寝室の扉を開き、ウルフと一緒にリビングへと向かう。


 リビングではすでに起床していたメーテが朝食の準備を始めており、フライパンを軽快に揺すっている。

 

 熱せられたフライパンで踊る音や、肉の脂が溶ける香ばしい匂い。

 五感を刺激する音や匂いに、寝起きのお腹がぐうぅと鳴った。



「おはようめーて」



 朝食の準備をするメーテの背中に、僕は朝の挨拶を投げかける。



「ああ、おはようアル。すぐ出来上がるからちょっとだけ待っていてくれ」


「うん。わかった」


「わっふ!」



 メーテが朝の挨拶を返すと、続けてそのようなやり取りを交わす。



「アル、パンケーキには何をのせる?」


「えっと、ばたーとひろっぷで」


「ひろっぷ? ああ、メープルシロップのことか、了解した」


「うん、ありがとうめーて」



 更にそのような会話を交わすと、お互いに微笑み合う。

 僕の異世界での一日は、こんな風に始まるのであった。






 ラグの上で横たわり、ウルフとじゃれ合いながら朝食が出来上がるのを待っていると。



「さあ、朝食が出来たぞ」



 どうやら朝食が出来たようで、メーテはテーブルの上に朝食を並べていく。

 しかし、流石にウルフはテーブルでという訳にはいかないようで、床に置かれた木製の食器に、ドンっと肉の塊が乗せられることになった。


 そして、僕はそんな様子を横目で眺めながら、少しだけ羨ましく感じてしまう。

 何故なら、今だ歯が生え揃っていない為、お肉を食べる機会が少ないからだ。

 まあ、朝食から肉の塊というのは流石にキツイものがあるが、普通にお肉を食べられるウルフが少しだけ羨ましい。

 

 そんな、無い物ねだりはさて置き。

 メーテと僕の朝食は?というと。


 角切りにされたバターと、たっぷりのメープルシロップが染み込んだパンケーキ。それに、すりおろした果物が入ったヨーグルト。

 僕用のコップにはミルクが注がれおり、メーテのコップには珈琲が注がれている。

 

 そして、朝の澄んだ空気の中だと甘い香りが際立ち、珈琲の苦味がかった香りが心地よく鼻孔をくすぐる。


 ……しかし、そんな珈琲の香りを嗅ぐと、珈琲が好きだった両親のことや、前世での朝の団欒を思い出してしまい、少しだけ寂しく感じてしまう。


 朝起きて、階段を降りるときには、既に漂っている珈琲の香り。

 リビングの扉を開けば、新聞紙を片手に珈琲をすする父親の姿に、朝食の準備に追われる母親の姿。

 テレビの前では、妹が朝の占いに一喜一憂し、結果が悪ければ僕に八つ当たりする。

 そんな朝の団欒を思い出してしまうのだ。


 もう戻れない事は充分理解している……

 だけど、ふと思い出してしまい、寂しく感じてしまうのは仕方がない事だと思うし、それを否定しても意味が無いのだろう。

 

 ともあれ、いつまでも寂しそうな表情をしていたのでは、朝食を作ってくれたメーテに対して失礼だ。

 そのように考えると、寂しさを霧散させる為に、いつもより大きな声を上げる。

 


「いただきます!」


「――うむ、いただきます」


「わふっ!」



 僕が大きな声を上げると、目を丸くするメーテ。

 しかし、すぐに目を細めると、微笑ましいものを見るような視線を向けた。






 食事の挨拶を済ませた僕達は、朝食を口へと運ぶ。

 ウルフは口から迎えにいってるけど……狼だし、仕方がない事なのだろう。


 そんなウルフを横目に、僕も負けじとパンケーキを口に放り込む。

 すると、フワフワに焼きあがったパンケーキの食感。それにメープルシロップの甘さとバーターの塩味が口内に広がっていき、思わず頬が緩んでしまう。

 

 そして、そんな甘いパンケーキはミルクやヨーグルトととの相性も抜群で、交互に口に運んでいると何枚でも食べられそうに思えてしまう。

 

 とはいっても、この身体では多くは食べられないというのが現実だ。

 なので、僕はゆっくりと朝食を味わい、しっかりと堪能したところでミルクを飲み干した。

 もちろん朝食を終えた後は、作ってくれたメーテに感謝する事も忘れていない。



「めーておいしかった。ありがとう」


「くふっ……んっ、こ、この程度なら誰にでも作れると思うぞ……くふっ」



 感謝の言葉を伝えると、ニヤけたり、済まし顔を作ったり、忙しなく表情を動かすメーテ。



「ワフッ!」



 そう一吠えしたウルフは、口の周りをひと舐めすると、尻尾を左右にブンブンと振っている。どうやら随分とご満悦のようだ。


 そうして朝食を終えた後は、少しだけミルクを注ぎ足して貰い、雑談に興じる。

 これが、いつもの朝の風景なのだが、一つ余談がある。


 どうやら、この世界には「ごちそうさま」に代わる言葉が無いようだ。

 「いただきます」に代わる言葉はあるのだけど、「ごちそうさま」は無いようで、食後の挨拶をどうするべきかで悩まされてしまった。

 

 まあ、結局は「おしかった」といった味の感想や、「ありがとう」といった感謝の言葉を伝えることで落ち着いた訳なのだが――

「いただきます」という言葉に関しては、前世でも異世界でも他の命をいただくという意味で使用しているのが何処か不思議で、それ以上に同じような価値観を持って、同じような言葉を共通して使用しているという事に、何ともいえない感動を覚えることになった。


 ……本当に余談である。






 朝食を終えた僕達は、二人と一匹で家を出る。

 メーテが育てている野菜の収穫や、葉切りに水やりを手伝った後は、いつもの青空教室だ。


 切り株の椅子に腰を下ろし、筆記用具をテーブルの上に並べると、勉強の意識へと切り替える。


 すると、切り株のテーブルを挟んだ向こう側で、ウルフが胸を張り、メーテが偉そうな雰囲気を漂わせる。


 なにかを待っているようにチラチラと視線を飛ばす一人と一匹。



「お、おねがいします。めーてせんせー、うるふせんせー」



 恐る恐るそう言ってみると――



「うむ、まずは復習からだ……くふっ」


「ワン、ワオーーーン!」



 やはり、これが正解だったらしく、満足そうな表情を浮かべる。

 メーテとウルフが喜んでくるているようなので、それはそれで構わないのだが……


『この流れは毎回やらなきゃいけないのかな?』


 そう思うと、少しだけ不安になった。


 そうして始まった青空授業。

 今日からは午前中が座学、そして午後からは実技と言う事で、今の時間帯は、先日習った【基本五属性】について復習する時間だ。


 メーテが問題を出し、僕がそれに答えるという形で進行しているのだけれど、流石に全問正解という訳にはいかず、答えられない場面が度々あった。


 しかし、答えられない度に……



「くっ……いや、ここは私の説明の仕方が悪かったな。

もっと分かりやすく説明することが出来た筈なのに……これは私の怠慢なのだろうな」



 メーテは唇を噛みしめながら自責し。



「くぅーん……」



 ウルフに至っては悲しそうな声で鳴くと。


『今のはしょうがないよ? 落ち込まないで?』

 

 そう言わんばかりに、僕の膝を優しく前足で叩く。


 どうやら、この先生達の教育方針は朝食のパンケーキより甘いようだ……


 しかし、気を遣わせてしまうのが申し訳なくて、より真剣に授業に取り組もうと考えたのも確かだった。

 実はそれが狙いで、敢えて甘い態度を取っているのであれば、恐ろしい策士のように思えてしまう訳なのだが……

 


「私は何の為に魔法を追求してきた? 魔の極みに至る為か? それとも統べる為か?

否! アルに分かりやすく魔法を教える為だろうがッ!」


「わっふ! わっふ!」


「そうだろ? ウルフも分かってくれるか!」



 ……ただ単に甘いだけのような気がするのも否めない。



 その後、座学の授業は、太陽が真上に昇る頃まで行われた。

 先日の復習をした後は、【基本五属性】について更に詳しく教わり、一歩踏み込んだ授業が行われた事で、魔法の知識を深められたような。そんな実感を憶えることができた。


 そして、太陽が真上に昇ったという事で、昼食にする事にした僕達。

 テーブルの上の筆記用具をどかすと、そこに昼食が置かれる。


 昼食に用意されていたのは、林檎のような爽やかな甘みのある飲み物と、レタスにトマト、ほぐした魚をパンで挟んだものが用意されていた。

 見た目はツナサンドといった感じだ。


 いつも食事を作ってくれるメーテに感謝しながらパンを口に運び、飲み物で喉を潤す。


 そして、食事が食べ終わって一息ついた頃。



「さて、食べ終わった事だし、果実水を飲み終わったら実技の授業を始めるか」



 実技。その言葉を聞いた僕は、逸る心が抑えられず、飲みかけの果実水を一気に飲み干し――



「のみました!」



 僕はそう言うと、空にしたコップをメーテとウルフに見せつけた。


 そして、そんな僕の姿を見たメーテとウルフ。



「そんなに焦らなくても良いんだぞ?」


「わふ わっふ?」



 やれやれと言わんばかりの笑みを浮かべるのであった。

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