第2話 まほうを学ぼう
迎えた、異世界生活3年目。
僕は異世界の価値観に戸惑いながらも順調に知識を蓄えていき、未だ完璧とは言い難いものの読み書きを覚えることにも成功していた。
そうして読み書きを覚えた僕が、次に着手しようと考えているのは――
そう、それは魔法である。
メーテが、日頃から当たり前のように使用している魔法。
竈に火を着けり、コップを水で満たしたりと使用方法は様々だが、そんなものを見せつけられてしまったら興味を持たない方が嘘というものだ。
そんな僕の気持ちを裏付けるように、僕が暮らしていた世界では映画やゲーム、漫画に小説。ありとあらゆる媒体で魔法というものが表現されていた。
そして、そんな世界で暮らしていたのだ。
魔法を使用する自分を思い描いたのは一度や二度では無いし――
『世界に魔法が存在するのであれば、絶対使えるようになりたい』。
そう思う事は、ごくごく自然で、ごくごく当たり前な欲求だったのだと思う。
(さて、魔法教本のようなものがあれば良いんだけどな)
そんな事を考えながら数ある蔵書。その背表紙へと目を通していく。
しかし、一通り目を通してみたものの。
【五大性魔法と理論】【水属性魔法と治水考察】
【土属性魔法と建築と検証】【聖属性魔法における精神と信仰】
小難しそうな本ばかりで、僕でも理解出来るような初心者向けの本は並べられていないようだった。
(【子供でもわかる初めての魔法】なんて都合の良い本はないか……)
などと考えながら、再び、小難しい題名が並んでいる蔵書に目を通していく。
すると、一冊の本に視線が止まり、その本の題名をみれば【五大属性と素養】と書かれていた。
メーテの蔵書の中では比較的読みやすそうな題名だった為、僕はその本を手に取ると、ぱらぱらとページをめくり始める。
始めるのだが……うん。読みやすそうなだけでした。
軽く目を通してみたものの、分かった事といえば、この世界には【風】【火】【土】【雷】【水】という属性が在るという事くらいだった。
(独学で魔法を取得するのは難しいのかもしれないな……)
開いた本の文字を眺めながら、今後の方針を模索していると。
「もう魔法に興味がるのか?」
「ひうっ!?」
背後から声をかけられた事で、思わず間の抜けた声が漏れ、肩が跳ね上がる。
恐る恐る振り返ってみると、そこには眉根に皺を寄せ、僕を見下ろすメーテの姿があった。
「アル、もしかして魔法に興味があるのか?」
メーテは少しだけ腰を落として尋ねる。
しかし、僕はその質問に対して、すぐに答えを返すことが出来なかった。
……本当ならここで素直に「うん」と答えるべきなのだと思う。
これだけの蔵書を持ち、普段から生活の一部として魔法を使用しているメーテなのだ。
無理して独学で学ぶよりもここで「うん」と答えて、一から魔法を学んだ方が絶対に良いに決まっている。
だが……「魔法を教えて欲しい」。
そう素直に即答できないのには理由があった。
それは、この年齢で魔法に興味を持つということが不自然であり、不信に思われないだろうか?という事だ。
この二年間、考える時間だけは無駄にあり、僕が置かれている状況を考察する時間は充分にあった。
そうして考察した結果、出した一つの結論というのが……
僕が、捨て子であるという事だ。
切り替わる意識の中で聞いた男女の会話。
それらの会話から察するに、二人に何らかの事情があって、僕を捨てることになったのだろう。
そして、そんな僕をメーテが拾い、育ててくれているという結論に至った訳なのだが……
メーテやウルフが愛情を注いでくれているのは充分に分かっている。
分かってはいるのだが……結局は捨てられていた子供だ。
子供として逸脱した行動をする事によって、気味の悪い子供と言う認識をされてしまったら僕はまた捨てられてしまうかもしれない。
そして、もしそうなってしまった場合、身体能力は二歳と少しなのだ。
僕の想像する異世界なのであれば、魔物なんかも存在するかもしれないし、そうだとしたら、いとも簡単に死を迎える事になってしまうだろう。
そのような考えがあったからこそ、文字を覚えてからはなるべく目立たないように魔法の勉強をし、出来る事なら独学で修めようと考えていた。
もし、また捨てられる事になったとしても、一人で最悪の状況を打破できるように。
だから。そう考えていたからメーテの質問に答えられないでいた。
――僕が答えられないでいた為、二人の間に沈黙が流れる。
数十秒? 一分? それ以上だろうか?
暫しの沈黙が流れた後、メーテは困ったような表情で頬を掻いた。
そして、メーテは僕の前にしゃがみ込むと、目線を合わせ、もう一度尋ねる。
「どうしたアル? 魔法に興味があるんじゃないのか?」
そう尋ねる瞳は吸い込まれそうな紅。
その紅い瞳で、メーテは僕の目を覗き込む。
――約二年という歳月を共に過ごし、メーテと言う人物を僕なりに理解してきたつもりだ。
子育てなど、きっとしたことなんてなかったんだと思う。
それでも、本と睨めっこして離乳食を作ってくれた。
慣れないたどたどしい手つきでオムツを換えてくれた。
字が読めない時には、僕が寝るまで絵本を読み聞かせてくれた。
時には失敗して、もの凄く苦い離乳食を食べさせられたりもしたし。
体を洗ってくれた時などには、湯船に落っことされた事もあったが……
不器用ながらも愛情を注いでくれているという事は分かっていた。
確かに、捨てられて死んでしまうのは怖いし、恐ろしいことだと思う。
だけど、それ以上にメーテに気味の悪い子だと思われてしまうのは……
メーテにそう思わせてしまうという事が、今まで注いでくれた愛情を裏切ってしまうようで……僕はそれが怖かった。
僕は、やはりどう答えていいのか分からず、思わず目を伏せてしまう。
そして、また暫し、無言の時間が流れるのだが……
不意に頭に手が置かれ、優しい手つきでクシャリと撫でられる。
「め、めーて?」
頭を撫でられた事で思わず僕は顔をあげた。
「アル、魔法に興味があるんだろ?」
すると、僕の目に飛び込んで来たのは、僕の目を真っすぐに見つめるメーテの瞳と、優しい微笑み。
「……うん」
その微笑みを見た瞬間、素直な気持ちを言葉にしていた。
今まで葛藤していたのはなんだったんだ?そう思う程にすんなりと。
「そうか。よし、そういうことなら善は急げだ。
明日から魔法の授業に取り掛かることにしようじゃないか」
メーテは微笑みでは無く、満足そうな笑顔を僕に向けた。
あまりにもあっさり受け入れられたという事実に、半ば放心状態になってしまい、それと同時に、悪い方向ばかりに考えてしまっていた自分の思考に呆れてしまう。
そういった表情が表に出てしまっていたのだろう。
「どうした? きょとんとした顔して?」
僕の顔を見て、首を傾げるメーテ。
「う、うん、なんでもないよ」
なんでも無い訳では無かったが、咄嗟にそう答えるとメーテは怪訝な視線を送る。
しかし、深くは聞かないことにしたようで。
「そうか、私の教えは厳しいからな、覚悟しておくんだぞ?
ふむふむ……もう魔法に興味持つとは流石私のアルといったところだな、くふっ」
最後の方は小声で聞き取れなかったのだが、そう言い残して部屋を後にするメーテ。
気のせいかもしれないが、その足取りは軽く見えた。
僕は、一人残された部屋で溜息を吐く。
(……悪い方に考えるのが癖になってるのかもしれないな)
実際そうなのだろう。
異世界への転生、加えて前世の記憶までが残っている。
普通に考えて、これだけでも思い悩むのには十分な要素だといえる。
更には、捨てられたであろうという環境下で、捨てられるかもしれないという恐怖。
知らず知らずの内に、負担を感じ、気を張ってしまった結果。悪い方に物事を考える癖がついてしまったのだろう。
(最悪の事態を想定しておくのは間違いじゃないと思うけど……
その考えに囚われすぎるのも良くないって事だよね……)
そうして、ひととおり反省すると。
(よし! 何はともあれ今は魔法を学ぶことに集中しよう!)
頬を叩くことで気持ちを切り替え、翌日から始まるであろう魔法の授業を思い、胸を高鳴らせるのであった。
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