第31話

怯える犯人の女。

ラビットと九宰以外は、みな、犯人逮捕の瞬間のための沈黙に身を投じた。


しかし、その静寂を破って、ラビットが言った。


「犯人逮捕の前に、モモの死の真相を解き明かそう。城田君」


名を呼ばれた城田が「はい!」と返事をする。


「悪いんだけど、もう一度、モモ役をやってくれるかい?」とラビットが言う。


「喜んで!」


城田は、がばりとバンダイの部屋のマンションの玄関に伏せ、四つん這いになった。


手錠をしまった九宰が城田に命じる。


「モデルガンを新聞の差し込み口に差し込んだあと、モモは玄関から部屋に戻り、

 そこからリビングテーブルに前足をかけている。

 その通りにしろ」


素直に城田が従う。


四つん這いで歩く城田犬、そして前足がわりの両手をかけたリビングのテーブルには、

クリアコーヒーのガラスビンがあった。


このマンションのバスルームの現場写真と、あまりの部屋のバスルームを見た城田には、

次にとるべき行動がすぐにわかった。


城田は苦労してガラスビンをくわえると、バスルームに向かった。

そして、バスルームに置かれた水飲み用のウエッドウッドの深皿に、ビンを沈めた。

ビンに水が入る。それを器用にくわえて城田は、バスルームの一角に立てた。


そこで城田はラビットと九宰を振り返って

「中に入っていた球根はどうしたんでしょうか?」と言った。


その言葉にラビットが笑って、ポケットから球根状のものを取り出した。


「あまり、あんたがバンダイと食べた最後の晩餐には、

 ワイン、それにアボカド料理があったろう?」


あまりが頷く。


九宰が言った。、


「だが、キッチンの生ゴミ入れには、アボカドの種がなかった」


ラビットが頷いて続ける。


「そして、あんたの部屋のバスルームには、

 クリアコーヒーのガラスボトルの中にアボガドの種が沈められていた。

 それ、モモに仕込んでやらせていたんだろう?

 入浴時に化粧品ボトルを持ってこさせるみたいにさ」


あまりは頷いた。


「ええ。そうよ。

 モモにバスルームに、空きビンに花を飾らせたり、観葉植物を飾らせたり

 してたわ。

 この、アボカドの種はバスルームで観葉植物になるってスタリストに教えて

 もらったのよ。

 でも、それがどうかしたの?」


ラビットは、モモの水皿に、さきほど取り出した球根状のものを、ぽちゃんと投げ入れた。


「これはアボカドの種。

 あんたが用意したオードブルに使ったアボカドの種をバンダイはお持ち帰りして、

 バスルームに置いてあったモモの水皿に放り込んだのさ」


「どうして、そんなことを?」


あまりの質問にラビットは、答えなかった。


「とにかくモモは、水皿の中にあったアボカドの種をくわえて、クリアコーヒーの

 ビンに沈めた。

 元飼い主であるあんたの家でそれをしていた時のように。

 それからのことは、城田君、君から話してくれるかい」


「はい」と頷いた城田が、蜂須賀の方を見て言った。


「これは、モモの唾液痕を全部採取しようと提案した蜂須賀のおかげなんですが、

 バスルームから戻ったモモはリビングの隅でぐるぐる激しく回っています。

 おそらくクリアコーヒーによって、嘔吐、下痢、腹痛、頻脈などの症状が現れて

 きたんでしょう。

 途中でトイレにも行っています。

 その後、通報で駆けつけた我々警察官の前で、激しく嘔吐して、10分足らずで

 死亡しています」


改めて聞かされた元愛犬の死の様子にあまりの目が見開かれ、みるみるうちに涙がたまる。

そのみじんも演技のない、美しい顔に向かって城田は言った。


「これは、あくまでも俺の想像なんですが、モモは飼い主のバンダイがどれだけ顔を

 舐めても、噛んでも、食べても、いっこうに起きないこと、それにくわえて、

 クリアコーヒーの摂取で徐々に体調がおかしくなっていく不安と恐怖の中で、

 かわいがってくれた元飼い主のあなたのことを思い出したんだと思います。

 リビングのテーブルにのっていたクリアコーヒーのビンを、かつてあなたに

 教えられたようにバスルームに運んだ。

 そこにあったアボカドの種をあなたの家のバスルームで、したように沈める。

 それからモモちゃんは・・・」


城田はここで、モモちゃんと慈しみをこめて呼んだ。


「バスルームから出てきたモモちゃんは足の裏がかなり濡れていました。

 おそらく、長い時間、バスルームにいたんだと思います。

 元飼い主のあまりさん、あなたを探していたのかもしれません」


「私、、、モモの遺体は、必ず引き取って、手厚く葬るわ・・・」


泣きながらそう言うあまりに向かって、ラビットが言葉を継いだ。


「あんたを探していたのは、モモだけじゃなくて、バンダイもだよ。

 それが事件の謎を解くカギになった」


ラビットがアイパッドを開いて、バスルームの現場写真をあまりに見せた。


「バンダイがアボカドを持ち帰ったのは、あんたの家のバスルームにあったのを

 真似するためさ。

 バンダイの家のバスルームには、あんたが自宅で使っていたシャンプーやソープと

 そっくり同じものが置かれていた」


写真を見たたあまりが驚く。


「本当に全部、同じ。。。どうして、どうしてこんな」


「あんたは事務所から接近禁止が出て、鍵も返却させられて、三か月前から

 バンダイのマンションにはそうそう出入りはできなかったんだろ」


あまりが頷く。


「もちろん、接近禁止書類にハンをついたあとは、バンダイもあんたのマンション

 にはそうそう行けない。

 あんた恋しさにこんなことをしたのさ。

 そして、あんたに会えないバンダイには、あんたの身代わりが必要だった」


「身代わり?」


九宰がアイパッドを操作した。


「ここに、三船ウタの所属事務所『ゲッツー・バーニング』からラビットの携帯に

 送られてきたメールがある。

 ここには、ウタの過去三か月の仕事のスケジュールが入っている。見てみよう。」


そのカレンダーには


「バンダイの送迎」

「バンダイのブログの更新、管理」


という文字が、連日のように並んでいた。


ラビットが、ウタを見つめて言う。


「仕事のないタレントが、事務所の売れっ子先輩の送迎や事務所の雑用をするなんて、

 普通のことだよね」


目を伏せたウタを刺すように、九宰が続けた。


「そして、性欲処理にカキタレ扱いされるのもな」


その言葉に、ウタはびくりと肩を震わせた。


ラビットがあとを引き取る。


「ウタさん、君もバンダイにはとことん、尽くしたもんだよね。

 赤間くんが嗅ぎ取ったように、君とあまりは同じ匂いがする。

 君が使っているメイク用品は、すべて佐々木あまりと同じものだね。

 送迎をしていたんなら、マネージャーの佐々木からバンダイの部屋の鍵を預かる

 こともあったろうし、モデルガンの購入だって、細工だって、特別弾を仕込んで

 おくことだって出来たよね。

 バンダイのベッド、君の家のベッドを調べれば、二人分のDNAの宝庫でしょ?

 そんな君はもちろんバンダイの狂言自殺、バカアイデアの話も聞いていたはずさ」


そのとき、らん丸が飼い主の危機を察して、ウタの方に近づこうとした。

椅子につながれたらん丸がウタの方に走り寄り、ガターンと音立てて、椅子が倒れた。


その悲壮な音の余韻の中でラビットが言った。


「あまりの愛犬、ラブの兄弟犬のらん丸を飼い出したのも、バンダイの命令。

 君とあまりは似てもにつかないけど、押しつけたあまりのメイク用品と同じよう 

 に、君にラブそっくりな犬を飼わせて、いいように扱って、マジタレのあまりを

 思い出していたんだよね、バンダイは」


マジタレ―芸能人用語で、本命の彼女という意味だ。


畳みかけるように九宰が言う。


「殺害動機はこれか? 女のプライドってやつか」


ウタは、近寄ってきたらん丸を突き飛ばして、キッと九宰を睨みつけて言った。


「バッカみたい。そんなわけないでしょ。

 バンダイに送迎の車の中でヤられようと、中出しされようと、犬を飼わされよう

 と、あまりとそっくり同じメイク用品を使うように強制されようと、そんなの

 殺人動機になるわけないわ。

 やめてよね。そんなこと言われたら、まるで私がバンダイになんか感情がある

 みたいじゃない。

 そんなものないわ。

 いい、私はね、覚悟が違うの。この仕事に人生かけてんの」


そこまで言ったウタは、あまりの方をにらみつけた。


「私がバンダイを殺したのは、バンダイが出演する『デブ×ラブ グルメ探偵

 バンダイ』を打ち切りにしたかったからよ。

 番組の企画会議でさ、車や工業機械と人間が能力を競うアクション・スタント・

 バラエティーの企画が持ち上がっていて、私もその出演者候補に挙がってんの。

 そもそもバンダイも、視聴率が低迷している自分の注目度を復活させるために

 狂言自殺、お笑い事故を思いついたの。

 でもそんなのが成功して、注目を集めるなんてことになったら、私の出演企画が

 流れちゃう。

 だからバンダイを殺したの。

 でも、私がほんとに殺したかったのは、ここにいる憎ったらしい工藤あまり

 なんだけどね」


あまりが、長いまつ毛を持ち上げて、見開いた。


「私があなたにいったい、何をしたっていうの?」


ウタは鬼のような形相で吼えた。


「私は、ずっとずっと渋川達也監督作品に出たかったのに。

 それを高額なギャラを積まれても頷かなくて、主演オファーなのに平気で断って、

 ふざけんじゃないわよっ!!

 私なんてタダでも出たいのに!!

 むしろ監督、助監督、プロデュ―サー、相手に枕営業してもいいくらいなのに」


興奮して、あまりに飛びかかろうとする三船ウタを、蜂須賀が飛びかかって押さえつけた。


「離してよっ」


蜂須賀の腕の中でウタが暴れる。

さすがジャパンアクション学園所属、女ながらも腕力がある。


蜂須賀は九宰をうかがう。


「俺が手錠かけてもいいですか?」


九宰が頷く「構わん」


その瞬間、蜂須賀の手によって、ガチャリと手錠がウタの手にかけられた。


それ見た赤間が、九宰とラビットに向かって言った。


「九宰さん、ラビットさん、どうして三船ウタを怪しいと思ったんだっぺ?」


九宰が黙っているので、ラビットが代わりに答える。


「自殺予告のブログが未公開なのが、気になったからさ。

 バンダイみたいに根っからウケたい骨の髄までボケ気質のタレントが、

 印税がどうとか、中途半端なコメントが最後の公開コメントなのは変だなと。

 僕と九宰はドッグフードから狂言自殺の可能性に思い当ったときに、あまりとの

 交際について書いていた内容のブログは公開されていなきゃおかしいと思った

 のさ。

 ブログを管理しているのは同じ事務所の人間だろ? そこからウタに注目した

 んだ」


そこで、ふと思い出したように、ラビットは、あまりに向かって言った。


「そうそう、『FXで儲かったら3億円、あまりにやる』っていうバンダイの言葉、

 あながち嘘でもなかったよ」


あまりは、「は?」という顔をした。


「3億円なんて、バンダイのどこにそんなお金があんのよ」


「バンダイのブログの書籍化、水面下で話が持ち上がっていたよ。

 ま、3億の印税はどうかなって思うけど、本人が死んじゃったことだし、死に方も

 相当変わっているし、書籍化されたら、そこそこ売れるんじゃない?

 これはさ、偶然、聞いた話なんだけど、書籍化の契約書類に書き込む銀行口座を

 工藤あまりにしたいって、相談していたみたいだよ」


「あはっ、そんなこと考えてたの。あの人って、ほんとバカねぇ」


言いながら、あまりはしゃがみこんでボロボロと泣き出した。



こうして、「食いしん坊バンダイ殺人事件」は、遺体発見からたった1日で解決した。

板倉バンダイと工藤あまりの交際スキャンダルは、双方の事務所が手を回して、闇に葬り去られた。

逮捕された三船ウタも、工藤あまりとバンダイの関係については、口を閉ざした。

おそらく、所属事務所が服役後のウタの人生設計に、何か魅力的なプランを提示して口止めしたのだろう。

ラビットの活躍により、国際的な名女優、工藤あまりの名誉は、無事守られたというわけである。

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