第13話

東京監察医務院で乱堂は、バンダイの飼い犬、モモの解剖を終えて、マスクと術衣を取った。


お手上げだ―。

モモの死因は多臓器不全だった


現場で爪を鳴らして落ち着かなげに歩き回っていた様子や嘔吐後に劇的に症状が悪化して死んだところ、ずっとモモに付き添っていた城田から報告を受けた頻脈。


そういうものを頼りに解剖して、さまざまな検査を行い、急性腎不全になっていることまでは、つきとめた。


だが、死因がわからない。

モモの胃の中身は、ほとんどバンダイの顔の骨と肉と脳だった。


他には、バンダイの胃の中に少量付着していた物と同じ、芳香性のハーブ水のようなものが、混じっていた。


乱堂にとって意外だったのは、モモがドッグフードを食べていないことだった。

バンダイの死後に、モモが食べたのは、飼い主と成分不明のハーブ水、この二つだけ。


バンダイの顔の肉ごと、毒物検査にかけてみたが、毒物反応はまるで出ない。


しかも、咀嚼されたバンダイの肉には、腐敗は見られず、蛆(うじ)のわいた痕跡もなかった。

これはバンダイが死後、蛆がわく時間さえ与えられず、その顔面を食べられたことを意味していた。


毒物検査にかけたあと、肉をざるでこしてさらってみたが、脳疾患をはじめ、鉄針、弾丸、バンダイを死なせた原因になりそうなものは何一つ出なかった。

唯一、2ミリほどの黒いプラスチックの破片が出た。

しかし、これは床に落ちていたゴミを、嘔吐物とともに誤って採取した可能性が高かった。

バンダイの部屋の家具や調度品には、犬が噛んだ跡は見当たらなかった。

そんな風によくしつけされたモモが、いたずらしてプラスチック製品を食べるとは考えにくい。


乱堂は、あまりの空振りの連発に、笑ってしまった。


案外、赤間の言った通りだったりしてな。


バンダイによるモモを巻き込んだ、無理心中ー。


法医学者ってのは、孤独だな。

そう呟いて、乱堂は、犬が飼い主を食べる事例の論文が載った、法医学ジャーナルを手にした。


どうして飼い犬が、死んだ飼い主を食べるのかは、はっきりとはわかっていない。


野生のオオカミ、野犬は、死肉、獲物の顔は食べない。

柔らかく栄養と脂肪がつまった腹肉から、まっさきに手を付ける。

そのこととまったく矛盾して、屋内で飼われる大型犬が、飼い主の顔を食べるケースが多い。

飢えていなくとも、骨も脳も、こだわりなく食べる。


一説には、いっこうに起きない飼い主を心配して、起こそうとその顔を舐めたり、噛んだりしているうちに、飼い主をうっかり傷つけて、血の味に興奮し、本能を刺激され、さらに無反応な飼い主に、より強い刺激を与えようという思いから、気づけば肉を噛みちぎり、咀嚼しているのだという。


実はジャーナルには載っていないが、法医学学会の集まりで、乱堂は耳にしたことがある。

飼い主を食べた犬は、その大半が、それからほどなく死亡するのだという。


殺処分だけではない。

飼い主の骨が胃に刺さり、それが原因で死亡するという。

飼い犬の後追い自殺なのか、飼い主の道連れ犬殺しなのか、どちらかわからないが、それは実に不思議な現象だ。


そして、モモはいったい、どの例になるのか。


乱堂は、解剖しおえたモモの遺体に、手を合わせて、


「死因不明なんて、九(きゅう)ちゃんに、どう言うかな」


と独りごちた。


その時、白衣の中で電話が鳴った。

電話の主は今もまだ、現状で鑑識作業を続けている蜂須賀だ。


乱堂は電話に出た。


「どうした?」


「乱堂先生。

 マンション内の床についた、犬の唾液痕をすべて保存採取したいんです。

 何かいい方法がないですかね?」

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