第12話
あまりと佐々木の事情聴取を終えた九宰は、ラビットに言う。
「あの女、アリバイが完璧すぎて、臭いな」
証言によれば佐々木は、そのままあまりのマンションに泊り、翌朝、8時頃にあまりとともに部屋を出たという。
その後、佐々木は事務所に出勤し、あまりは「ラブ」という愛犬の散歩に、公園に行った。
この犬の散歩は日課で、特に不審な点はない。
ラビットが調べてみると、あまりは以前に、介護犬のトレーナー役をしており、その際にドッグトレーナーのB級ライセンスまで取得していた。
工藤あまりは、桂塚歌劇団出身で、22歳で女優デビュー。
数年前には世界的に権威のある映画賞、モカデリーで国際女優賞を受賞。
今は国内外のドラマや映画、舞台でひっぱりだこの人気女優だ。
華々しい経歴と才能。
天は女優という人種には、二物でも三物でも与えるものだ。
もっともあまりの場合は、絶望的に男を見る目がない、という欠点とひきかえだが。
佐々木の方は、事務所を12時に出て、13時にバンダイのマンションを訪れ、遺体の第一発見者になっている。
一方のあまりは、9時に帰宅して10時に舞台稽古に入った。
遺体を発見した佐々木から、電話でバンダイの死を聞き、14時に、バンダイのマンションに来ている。
佐々木もあまりも、どちらもアリバイの裏は取れている。
「女優ってな、そんなに股がゆるいのか。恋人のマネージャーを誘うほど」
という九宰の言葉に、ラビットは「女優によるね」とニッと笑って答えた。
それから二人は乱堂から送られてきた検死報告書や、現場写真の詰まったアイパッドを開き、頭を寄せ合い、めくり始めた。
途中、現場にいる蜂須賀からも現場の証拠写真が送られてきた。
一通り見終わったラビットは、九宰をうかがうように見た。
子どもの頃のように、ヤバいイタズラに誘うときの顔で。
「俺は、これからあまりの部屋に行かなくちゃだ。
九ちゃんはどう? ちょっと難しいよね」
「そうだな」
現時点でバンダイの死因は不明。
任意の事情聴取はできても、重要参考人とは言えないあまりの自宅を家宅捜査するのは、警察の権限では無理だ。
「じゃあ、一人で行くか」
ラビットがそう言ったとき、九宰の口元にドSな笑みが浮かんだ。
「栃木弁をしゃべる警察犬をお供に連れてくってのはどうだ?」
ラビットは、現場であった赤間の純朴そうな顔を思い出し、
「ああ、例のあの子?赤間くんだっけ」
言いながら、九宰から聞いていた赤間の特殊能力を思い浮かべたラビットは
「面白そうだ」と答えた。
「でも、あまりには赤間くん、警官ってバレてるよ。いいの?」
九宰は平然と言った。
「構わん。
訴えられるようなヘタを打っても、赤間が懲戒免職になるだけだ。
俺は痛くもかゆくもない」
同時刻―
「・・・のっぱす!!!」
城田とともに、バンダイのマンションの防犯カメラの記録を見ていた赤間が、奇妙な音でくしゃみをした。
ちなみに、のっぱすとは、栃木県で乗り遅れるという意味だ
「大丈夫か、赤間」
城田がティッシュを差し出すと
「はあ、なんか鼻めどから、鼻水のひょごって…」
と言いながら、ずびびびーむと盛大に鼻をかんだ。
ひょごるー噴出、あふれるという意味だ。
「はあー、せせっとしたす。これで鼻めどすぅすぅでず」
鼻めどー鼻の穴、せせっと―さっぱりした、という意味だ。
赤間は気持ちよさそうに、ふんふんと鼻を鳴らした。
城田は、「そうか、よかったな」とタッグを組む警察犬を相手にするときのような錯覚に陥りながら、目は一部の隙もなく、モニター画面を見つめている。
モニターが示す録画時刻は、遺体が発見される5時間前、今朝の午前8時30分。
マンションの玄関から、黒い大型犬を連れて、出て行く一人の女がいる。
住人だ。
城田は、こういう時、職業病で真っ先に犬に目がいく。
犬種はフラットコーデットレトリバー。
黒と茶の毛色を持つレトリバーで、レアな犬種だ。
大人しく頭のいいゴールデンレトリバーより、やんちゃで少年ぽい気性の犬。
実物を見るのは初めてだと、思わず、目を細める。
その瞬間、赤間がモニターを指差した。
「城田さん、城田さん!
俺、この人にも会いますた!
バンダイさんのマンションを出る時に、会いますた。
芸能人(げいのうずん)です!」
そう言われても、城田は芸能人にうとい。
「そうか、佐々木あまりと同じように女優なのか?」
「わがんねぇす。
とにかくテレビで見たことあるます。
『げきおこぷんぷん』だったか、『悦子の部屋』だったか、『ギルガメッツ・
スクープ』だったか、俺の好きな番組で見ますた!
とにかく芸能人(げいのうずん)です」
朝のお子様番組から、昼の熟女が司会のトーク番組、深夜のAV女優アイドルが総出演のセクシー・バラエティまで見まくりじゃねえか。
しかも好きな番組って、こいつ、どんな女の趣味してるんだと赤間の端正な顔を眺めて、城田はちょっと引く。
とはいえ、そんな城田も、三度の飯より、女より、何より犬が好きというある意味、変態なのだが、自覚がないから仕方ない。
赤間が言った。
「そういえば! この人、あまりさんとそっくり同ず、何かいい匂いがすますた!」
城田は、目を見開いて、赤間の形の良い鼻を見た。
その瞬間、無造作にドアが開けられ、九宰が入ってきて言った。
「おい、赤間、城田!
これからラビットが、工藤あまりの自宅マンションに行く。
同行しろ」
「俺も?ですか」
城田の驚きに、九宰は顔色を変えずに答える。
「ああ、お前の大好物があるからな。あまりは犬を飼ってるそうだ。
女優の飼い犬だぜ、さぞかし立派で高級な犬だろうよ」
それから、城田の耳に唇を寄せて囁く。
「赤間を頼むな、ヤツがヘタうちゃ、お前も懲戒免職だ」
愛する警察犬に引き離される恐怖に、城田はぞくりと背筋を震わせた。
「したっくれ、こっから芸能人(げいのうずん)のお宅訪問け?」
興奮した赤間が完全に敬語を忘れて、丸だし栃木弁でにこにこ笑う。
額に浮いた脂汗を、そっと制服の袖で拭って、城田は言った。
「犬といえば、このマンションの住人に、バンダイと同じように芸能人で、
黒いレトリバーを飼っている女がいました。
名前は…。
すいません、朝の8時30分にマンションから出た住人の記録と照合しないと
わかりません。」
城田がそう言うと
九宰が
「ラビット、わかるか?」と言って顎をしゃくった。
ドアの外にいたラビットが片手を額に当てて、敬礼のようなポーズで、よっと挨拶する。
城田は、ドアの外のラビットに見えるように、モニターの向きを変えた。
モニターの中の女の姿を見たラビットが、ピースサインをする。
「三船ウタ、公式年齢は27歳。実年齢は33歳。
女優、タレント、リポーター、歌手、ダンサー、どれもそこそこっていうか、
Cクラス。
バンダイと同じ事務所の所属タレントで、バンダイの上の階の部屋に住んでるよ」
ラビットは、犬好きの城田と同じように、黒い犬をじっと見つめて言った。
「ふう-ん。三船ウタが犬を飼ってたなんて、初耳だ」
言うやいなや、ラビットは携帯電話を取り出して、電話をかけた。
通話先は、バンダイと三船のウタの所属事務所「ゲッツー・バーニング」だ。
「こんにちは、ラビットです。
お宅の所属タレント、三船ウタについて詳しい情報がほしいんですが。
はい、メールで送ってください。
犬を飼っているようですが、いつから飼い始めたのか知りたいんです。
よろしくお願いします。」
電話を切ったラビットは、城田と赤間に尋ねた。
「今朝8時30分に犬とともにマンションを出たあと、ウタが帰ってきたのは何時?」
「9時頃です。今、映像を用意します」
城田が映像を早送りして、ウタが犬を連れて玄関を通るところを映し出す。
犬の散歩ついでにコンビニに寄ったらしく、コンビニの袋を手に提げている。
2リットルのペットボトルやサプリメントの小袋が透けて見える。
ラビットはモニターを眺めて、
城田に問う。
「ねえ、このあとウタはまっすぐ6階にある自室に入っているのかい?」
城田がマンションの開錠記録を確認して答える。
「はい、玄関の開錠記録が8時58分45秒、ウタの603号の開錠記録は9時01分15秒。
3分ありますね。
まず、玄関からエレベーターに乗り込むまで1分10秒かかってます。
エレベーターの移動時間は6階まで1分。
エレベーターからウタの部屋まで50m。徒歩で分速80mとして、45秒から50秒。
矛盾はありませんね」
「ありがとう」と城田に笑いかけたラビットは
「わざわざ重いペットボトル入り買い物袋を持って、走るわけないか」と呟いた。
「どういう意味です?」
城田が聞き返そうとしたとき、ラビットが片手をあげて制した。
携帯に電話がかかってきたようだ。
「はい。・・・三船ウタは3カ月前から、犬を飼い始めたんですね。
事務所の先輩、バンダイのすすめたブリーダーから購入。
わかりました、ありがとうございます」
電話を切ったラビットは、いたずらっぽい目で城田に言った。
「今の話、警察犬係の城田くんは、どう思う?」
「率直に言って、フラットコーデットレトリバーとは、いきなりレアな犬種に
きたなと。
これがドッグトレーナーライセンスを持つ工藤あまりだったら、全然違和感ないん
ですけどね。
正直、タレントっていうと愛玩動物、小型犬を飼うイメージでしたね。
よく知らないんですが、三船ウタってアクティブなキャラなんだなと思いました」
その答えにラビットは満足げに頷く。
「そうだね。
これから送られてくる三船ウタの情報が楽しみだ」
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