第6話

九宰がマンションの玄関ドアに向かったところで、カン高い女の声がした。


「離してください!!」


一目で芸能人とわかる、美しい女がイエローテープの規制線の前で、警官ともみ合っている。


バンダイの元恋人で女優の工藤(くどう)あまりである。


36歳― 例のバンダイからの借金の申し込みを断った女だ。


どこから、事件のことを知ったのか、やってきた彼女は、ちょうど遺体を搬出するところに出くわしたらしい。


遺体のくるまれた青いビニールシートに取りすがろうとして、警官に制止されていた。


「あれ、犬の死体の方でずよね?」


赤間が言う。


バンダイの遺体は、一足先に東京都監察医務院に搬送されたばかりだ。


工藤あまりの目の前で、ビニールシートにくるまれたモモの遺体が運ばれていく。


「どこへ連れて行くんですか!!」


悲鳴のような声だ。


近寄った九宰が、女をねめつけるように言った。


「解剖するんだ」


睡眠不足なのか顔がむくんでいるが、顔立ちは女優らしく美しいあまりが、目を剥(む)く。


「か、解剖!

 そんな、どうして!!」


ここはミュージカルの舞台じゃねえ、うるせえ。


と九宰が顔をしかめた。


それでも一応、答えてやった。


「こっちの事情でだ」


女が涙ぐむ。


そのあたりも、顔立ちの派手な美人だけに芝居がかって、うさん臭く見える。


こういう場に、マネージャーも伴わないでくるのも、何か意図があるのか。


九宰は言った。


「ちょうどいい。

 参考人としてあんたに話が聞きたい。」


「事情聴取をされに、ここにきたんじゃないわ」


女は泣いたままの凄(すご)みのある目で、九宰を睨むようにして見る。


「どうせ遅かれ早かれやるんだ。

 仕事を投げ出して、ここに来たんだろ。

 なら、ついでにやってけという気づかいだ」



そこに背の高い、一人の男が現れた。



「相変わらずのドSぶりだね、九(キュウ)ちゃん」


九宰は唇の端で笑った。


「・・・遅いな。やっと来たか」


その瞬間、赤間がラビットを指さして、声を上げた。


「あーーーー、

 『おはよう、ウサトロさん』だ!」


ラビットは、朝のニュース番組のアナウンサーのように、白い歯を見せて笑った。


「懐かしいな、そうやって『ウサトロ』って呼ばれんのも」


赤間が興奮ぎみに、九宰に言う。


「俺、俺、俺、芸能人(げいのうずん)に会ったの、初めてでず」


それ、さっき聞いた。


どうせ言うなら、工藤あまりに言ってやれ。


ラビットは芸能人じゃない。


九宰の三枚刃深剃り剃刀のような瞳に、さわやかな笑顔のラビットが映っている。



ラビット― 本名は、甘粕兎太郎(あまかすうたろう)


3年前までCBSテレビ、朝の情報番組「モーニング・ジャンプ」の看板アナウンサーを務めていた。


その頃の番組内での愛称は「ウサトロ」。


朝っぱらから、女性ファンのハートと下半身をトロかせるキュートさからついたニックネームだ。


愛嬌たっぷりのどんぐり眼(まなこ)に広い額に垂れかかる黒髪、大ぶりな目鼻立ち、活舌のよいくっきりした声は、どこから見ても、知的でさわやかな男性アナウンサーにしか見えない。


だが、今は、CBSテレビを辞め、「ラビット」の名で、イオニアルの芸能人専門の事件調査官を務めている。



九宰とラビットの間に漂う友好的な空気に、赤間が尋ねる。


「えっと、2人は、もしかしてお知りあいなんでずか?」


九宰は言った。


「ああ、実は同い年の従兄弟(いとこ)だ」



そこに割り込むように工藤あまりが叫んだ。


「ちょっと! 事情聴取はどうなったのよ。

 しないなら、もうあたし、帰るわよ」


九宰は言った。


「あんたの話を聞くのは、第一発見者、佐々木のあとだ」


「待たされるの! バカらしい」


あまりがまなじりをつり上げる。


「そう言うな。

 ラビットの同席つきで事情聴取を受けられることを素直に喜べ」


「・・・・」


あまりは、「ラビット」の名を出されて、仕方なく黙った。


芸能人関係の事件の際に、裏で活躍し、鮮やかに鎮静化させる事件調査官「ラビット」の噂は、業界で知らない者はいない。


まさか、その正体が元アナウンサーの甘粕兎太郎(あまかすうたろう)だとは知らなかったが、それでも、自分の女優生命を守りたかったら、ラビットに協力するのは悪い手ではないと、とっさに判断したのだろう。


「あんた、ちゃんと守ってくれんのよね?」


ラビットにあまりがそう言うと、彼はさわやかに笑った。


「ああ、あんたが嘘さえつかなきゃね」

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