第5話

現場は密室。


玄関、窓といった人間が出入りできるような場所は、すべて施錠されていた。


隙間といえるようなものは、トイレの換気扇、最近、取り外されたエアコンダクトの取り付け用の穴(直径7㎝程度)、玄関ドアにある新聞の差し込み口だけである。


そして室内に残されていた封筒入りの遺書の内容は、たった二言、手書きで


「死にます、死にます。」



遺書を見つめる九宰の冷ややかな目の横で、この遺書をみた40代以降の捜査官はみな、昔、こんなギャグがなかったっけと、失笑している。


タレントの考えることは、わからないな、死の最期に及んでまでウケたいのかと、九宰は呆れながら、もう一つのバンダイの遺書に目をやった。


バンダイのパソコンには、この封書の遺書とは別にもう一つ、克明な遺書が入っていた。


もっともこちらも、真面目というには無理がある。


それは


「食いしん坊、バンダイのちょっと一口、逝(い)ってきます!」


というタイトルのブログだったからだ。


思いっきりスベッてるだろ、どころの話ではない。


内容は半年前に始めたFX(外国為替相場)取引で、さんざん大負けしていく様子をつづったブログだ。


手持ちの資金がどんどん溶けていくのに、イタイタしい自虐コメントが連投炸裂している。



「会心のオウンゴーーーーーーーーール!

 サッカー見ながら、

 葛藤(かっとう)のロスカットーーーーー」



「ドル円の最安値更新という悪夢に、布団の綿を食べてました」



「~システムエラーの魔物~

 あまりのひりひり感に、10円台でしていた指値注文を取り消そうとしたら、

 業者がシステムダウン。

 『現在、お取引機能をご利用いただけません。

  お取引再開まで、もうしばらくお待ちください』

 24時間、戦いました。

 最後には

 『現在、お取引機能をご利用いただけません。

  お取引再開まで、もうしばらくお待ちください』

 の文字を入力した、女性に惚れてました。

 たぶん、彼女と結婚すると思います。」



私生活も仕事という芸能人は本当に大変だ。


FXの知識は乏しい九宰にも、この板倉バンダイという男が、底抜けのアホだということはよくわかった。



そしてブログは死ぬ1カ月まえの日付で


「このブログが書籍化されたら、3億円の印税、入んないかな」


というコメントが入れられ、それを最後に、更新は止まっていた。


だが、未公開なだけで日記の記録そのものは続いており、2億の資金がとけたところで、さらに1億の大損を出し、元恋人に借金を申し込んで断られた経緯がつづられていた。


殺人だとしたら、この元恋人が、第一容疑者になると、九宰は踏んでいる。


そして死ぬ2週間前に、バンダイは


「決めた、俺、自殺しちゃうもん。

 地獄の釜の湯で、カップラーメン作って食べるからな!!!」


というコメントを残していた。


これももちろん、未公開だ。



パソコンでブログを読み終えた九宰は


「やれやれだぜ」


と、瞼(まぶた)をもんだ。


バンダイの寒いギャグの乱舞に、脳が腐りそうな気がする。


聴取情報によれば、このブログの管理は、バンダイの事務所の人間がやっているという。


バンダイの所属事務所「ゲッツー・バーニング」の社長の弁では、仕事のない所属タレントや芸能プロダクションでならタダでも働きたいというインターン学生など、いくらでも雑用人員はいるということだった。


一方で、ツルッターやイスタングラムといった他のSNSは、炎上ループで、とっくの昔に事務所命令でやめさせられていた。


九宰にとっては、これ以上、バンダイのコメントを読んでいたら、「ちょっと一口」どころか、「2、3発殴るぞ?」という気分になりそうだったため、ブログ以上に激しくドすべりしているに違いないバンダイのツルッターを見ずに済んだことは幸いだった。



「遺書があって、現場が密室で、自殺と断定するのに、何が問題あるんですか。

 そりゃ、飼い犬まで死んだのは不審ですが、被害者が毒物を摂取(せっしゅ)して

 いたんなら、その体を食べた犬も死ぬのは当たり前ですよね?」


鑑識の蜂須賀が、遠慮がちに九宰に声をかける。


鑑識作業をした蜂須賀は、この部屋に第三者が出入りした痕跡はないと、暗に九宰に伝えたつもりだ。


「いくらタレントだっていってもギャグだけじゃ、人間やってけない。

 死に際は、なおさらな」


「どう意味ですか?」


蜂須賀が尋ねるのに、九宰は睨み返した。


「お前、いったい何年鑑識やってんだ?」


「五年です」


「乱堂先生の話じゃ被害者は即死。

 毒物を摂取したにしても、そのために使った容器も注射器も、むろん毒物も

 何一つ被害者のそばから見つかっていない。

 自然死の可能性もあるんじゃないか」


蜂須賀が謝る。


「すんませんでした」


「そもそも遺書がおかしい。

 こんな遺書でこいつの43年の人生が残せるか?

 伝えられるか?

 仮にも芸能人として売れっ子だった人間が、死ぬんだ。

 もし本当に自殺なら、これとは別に真面目な本物の遺書があるはずだ」


蜂須賀は敏(さと)い。


「では、この封書とブログ遺書は、芸能人として、事務所から言われて、キャラ

 売りのために用意した遺書だとでも?」


九宰は頷いた。


「ともかく、マネージャーの佐々木の事情聴取だ。

 行くぞ、赤間ぁ」


と顎をしゃくった九宰のあとを


「は、はいー!

 了解すますたー!」


と、犬のように赤間が従いていった。

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