第4話
九宰はバンダイの遺体の着ている服に、その「めんこ、うんまい匂い」がついているのか、確かめるように遺体を見た。
着衣は白いシャツと麻のチノパン。
ベルトはなく、素足だ。
「赤間、クローゼットと衣装ダンスを確かめたろ。
被害者の着衣が、日常生活においてどういうランクづけか、言ってみろ」
「おしゃんこらじゃねぇす。
くつろぎのリラックススタイル、でず」
おしゃんこら― 大人しい上品なという意味である。
九宰は芸能人にしちゃ、おかしいと首をひねる。
遺書が用意されている点とも符合(ふごう)しない。
芸能人ならば、たとえルックスが売りのタレントでなくとも、普段から身なりにはこだわるし、自殺すれば報道されることもわかりきっている。
最後の晩餐(ばんさん)ならぬ、最後の衣装には気を遣うものだと、九宰はラビットから、そう聞いている。
第一発見者のマネージャーの佐々木は、合鍵で開錠して現場に入っている。
現場はいわゆる密室というやつだ。
九宰は乱堂に尋ねる。
「自殺、他殺どっちだ?」
「わからんな、どちらともいえない。
容疑者候補はいるのか?」
「一応、いる―」
九宰は、少し考えて話を変えた。
「着衣の乱れだが、死後、犬に荒らされて乱れたものとは別に、死ぬ前に誰かと
争ったものがあれば、判別できるか?」
乱堂は首を振る。
「死斑に不審はない。
生前に争った形跡は見当たらない。
死因はなにかわからんが、ほぼ即死だよ。
立っている状態で絶命。
そのあと床に倒れて、犬にのしかかられはしたが、誰かに動かされたという
形跡はない」
「そうか・・・。
もう一つ、聞きたい。
被害者の顔に、例えば肉汁か何か食本能を刺激するような薬物をスプレーして、
犬に襲わせることは可能なのか?」
これを乱堂はこともなげに否定した。
「可能も何も、犬が死んだ飼い主を食うのは、別に珍しいことじゃない」
「・・・そうなのか」
九宰は目をしばたいた。
「ああ、独居老人の孤独死の現場で、ペットの小型犬が遺体の顔をかじってる
なんて光景はザラだ」
だが、この板倉の場合は死後1日、経っていない。
エサも残っている。
犬が激しい飢餓状態に陥ったとも思えない。
九宰の顔に浮かんだ疑問を読んだ乱堂が言った。
「前に法科学ジャーナルで読んだんだが、ペットの犬が遺体を食べたケースのうち、
24%は、体の一部を食べられた被害者の遺体が発見されるまでに、1日たって
いなかったというデータがある。
このケースと同じだ。
いろいろ確かめたい気持ちはわかるが、九(キュウ)ちゃんよ。
詳細は解剖のあとにしてくれや。
推測であまり物は言いたくねえな」
「すまんな」
九宰は素直に謝ったものの、続けた。
「もう一つ、頼みがある。
犬の顔に毒物を塗布して、被害者を毒殺した可能性についても、解剖のときに
気をつけて調べてくれ」
「グルメタレントが、愛犬との死の接吻(せっぷん)をしたかどうかを確かめろ
ってことだな」
九宰は頷く。
「こいつの最期の晩餐が愛犬の顔じゃないといいがな」
そのモモは、今も激しい嘔吐を続けている。
すると、
「ゲウッ!」
ひときわ、激しい嘔吐音が聞こえたその時、九宰が振り返ると、ドドウッと音がして、モモが横倒しに倒れた。
「乱堂さん!!、来てください!」
言いながら、城田がモモの喉元に手をやり、瞳孔を確かめる。
乱堂と九宰がモモのそばに駆けつけた時、城田が言ったのは
「死んでます」
の一言だった。
モモの遺体を見つめて、城田が深く頭を下げる。
「すみません。
俺がすぐ病院に連れて行く判断をしていれば」
とはいえ、モモの最初の嘔吐からまだ10分しか経っていない。
鑑識の蜂須賀が、かばうように言い添える。
「いや、俺が、城田の提案した犬の病院搬送を止めたんです。
嘔吐物をすべて回収したかったんで。
すいませんでした」
乱堂が、頭を下げる二人を見て、息をつく。
「この犬も解剖室にご招待だな」
ぐっ!
と後ろで、赤間の声がした。
涙を流して、それをスーツの袖で拭っている。
「かあーそんんなああああ。
でも殺処分になるより、飼い主と一緒に死ねたんだから、よかったべな。
きっとこの事件はバンダイさんの仕組んだ飼い犬との無理心中事件だべ」
泣きじゃくる赤間に向かって、九宰が冷ややかな声色で言った。
「・・・赤間。
むやみやたらに現場にDNAを落とすな」
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