第3話

「犬の吐瀉物(としゃぶつ)は残らず、採取しろ」


九宰は、モモを抱きかかえている城田と、そばにいた鑑識員の蜂須賀連也(はちすかれんや)に命じて、遺体の側に戻った。


命じられた蜂須賀は、すぐに吐瀉物の写真を撮り始めた。


青い制服に包まれた体は172㎝と小柄だが、引き締まっている。


男にしては色白な肌。


目尻の上がった切れ長の眼、まっすぐな眉と小さく薄い唇、四角いアゴ、その極端なバランスは、蜂須賀の過敏さと意志の強さを雄弁に語っている。




ゲウッ、ゲウッ


というモモの嘔吐音はまだ続いている。



乱堂の背中ごしに、九宰は遺体を見下ろした。


モモに食べられていない手足や胴体は、ふくよかな肉付きだが、いかにも健康そうに見える。


だが、体重30キロのモモが、顔を食べるためにのしかかったせいで、着衣は汚れ、乱れている。


シャツにはモモの長い爪で引き裂かれた跡がついていた。


すぐ近くでクローゼットの捜索をしていた、赤間が言う。


「バンダイっていえば、

 『ちょっと一口、いいですかあ』

 の決めゼリフで試食をねだる、食いしん坊キャラですたよね?


 俺、芸能人(げいのうずん)にあったの、初めてでず」


でへへと、嬉しそうに赤間は笑うが、初めてもなにも遺体で、会ったといえるのかどうか。


「さすが、グルメ芸能人、なんか体からめんこ、うんまい匂いがすますね」


そう言って鼻を鳴らす赤間に、乱堂が


「そうさな。

 板倉の最後の晩餐(ばんさん)は、案外、ペットフードを

 『ちょっと一口、いいですかあ』、

 だったりしてな」


と言う。


その言葉に九宰がピクリと反応する。


「それはどういう意味だ」


「ああ、冗談だ。

 食われた顔の中にドッグフードがあったよ。

 こりゃ、おそらく犬の体についたドライフードが、犬が被害者の顔を

 食べあさってるときに落ちたんだな。」


「そうか」


「もう採取したがな」


と乱堂が言うと


「写真を見せてくれ」


九宰はそばにいた検視第一係の捜査官に、声をかける。


さっと差し出されたカメラには、空洞になった頭蓋骨、その赤い肉の上にぽつんと、小さな丸いドッグフードが落ちていた。



「ご苦労・・・」


そう言って検死係にカメラを返した九宰は、きっきの赤間の台詞が気になった。


「めんこ、うんまい匂い」―


標準語で、ひどく美味しそうな匂い。


死後16時間たった遺体、失禁尿、犬の嘔吐物・・・、不快死臭を選りすぐったこの部屋で、赤間はそう言った。


それは、ごく一般人である九宰にはわからない。


実は赤間には死体から放たれる死臭以外の、香水や嗜好品など被害者のパーソナルなものに由来する臭いを嗅ぎ分ける能力がある。


いわば、人間警察犬のようなものだ。


九宰は、赤間が高校生のころにある事件で出会い、その能力を知って、警視庁への入庁をすすめた。


入庁後は栃木弁の聞き取りに手を焼いたが、なるべく赤間と話して、自分の解読力と赤間の標準語トーク力をあげて、今のレベルまでにした。


こいつが標準語のうまい女でも作ってくれりゃ、こんな手間はないんだが、と半ばキレぎみに九宰は思うが、


「標準語の女の人は、外国人みてぇでおっがねえす」


と赤間にはその気がない。


『栃木弁をしゃべるお人好しな犬』


それが、九宰の赤間評のすべてである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る