第2話
グルメ番組のリポーターを務める板倉万代(いたくらまよ)、通称バンダイ(43歳)の遺体を発見したマネージャー、佐々木伸之(ささきのぶゆき)の通報を受けて、現場に入った警察官は、みな一様に息を飲んだ。
その男の顔は、ごっそりとない。
赤い肉が無残にのぞく空洞だった。
遺体を見下ろしていた刑事の九宰領一(くざいりょういち)が、呟いた。
「どうやら、あのゴールデンレトリバーにとっては、飼い主の目玉も唇も鼻骨
(びこつ)も顎骨(がくこつ)も、単純に『骨と肉』でしかなかったらしいな」
ゆるいパーマヘアに、やや三白眼気味な目。
三角に尖った顎が九宰の怜悧(れいり)さを表していた。
その九宰の視線の先には、鑑識課警察犬係の城田櫂(しろたかい)に首を抱かれて、カツカツカツとその場で足踏みする、犬のモモがいる。
背が高い城田は、全身でモモを包むようにして、
「よしよし」
と絶えず声をかけていた。
その奥二重の目は糸のようになって、モモに注がれている。
佐々木が通報時に、室内に大型犬がいることと、その犬が飼い主の板倉の死体を食べていることを伝えていたため、警官は厳戒態勢で現場に入ったが、モモには落ち着きこそなかったが、凶暴さはうかがえなかった。
「かあーいそーんなあ。あの子殺処分だべ」
そう栃木弁で独り言を呟いたのは、刑事の赤間脩(あかましゅう)だ。
人がいい男で、実家で飼っていた犬のことでも思い出したのか、涙までにじませている。
ちなみにこの栃木弁、これでも警視庁に入庁後、だいぶ努力して直しているのだが、まだまだ初めて聞く者に失笑を与えてしまう。
若干、25歳。
警察官より男性ファッション誌「メンズアンノ」モデルの方がはるかに適性がある、というくらい、赤間は恐ろしくルックスがいい。
「これ、絶対、週刊誌に抜かれたらおっかねえことになるますよね」
赤間のその言葉に、事情聴取のため、別の刑事にマンションの外に連れ出されてかけていた佐々木が、その手をふりきって、九宰の元へ戻ってきた。
さすが芸能人のマネージャーというべきか、周りの様子からこの現場の捜査指揮官が九宰だと察したらしい。
佐々木は、九宰に向かって、小柄な体を拝み倒すようにして言った。
「あのぅ、この件、イオニアルの調査官を呼ぶのはダメでしょうか?」
九宰は冷たい顔をして、
「どうだかな」
と呟く。
イオニアル―外資系の保険会社。
もともとイタリアのメディア王を創始者とする「イオニアル」は日本国内でもマスコミ畑の人間を会長及び社長職に据えている。
その人脈を生かして巧みなコマーシャル戦略を展開し、ここ数年の間に急激に業績を伸ばしてきた会社だ。
顧客には俳優やタレント、テレビ局のプロデューサーといった業界関係者も多い。
基本的に芸能人は、一般人が加入するような損害保険や自動車保険、生命保険とは別に、顔や身体といった自分自身が保有する資産に対して、事務所によって保険をかけられている。
例をあげれば、八頭身の美脚を売りにしているあるアイドルは、17歳の若さで、すでに片足に1億の保険をかけている。
両足で2億。
もちろん、そのかけ金は、所属事務所が払っている。
芸能関係者の顧客。
それは大きな宣伝効果であるとともに、
マスコミにつけ込まれやすいもろい側面であるともいえる。
さらに業界、芸能界関係者の価値には、「ネームバリュー」がある。
たとえば、巨匠と呼ばれるような、高額納税者の売れっ子映画監督でも、ひとたび、犯罪や不倫で訴えられるなどのスキャンダルに巻き込まれれば、その名前が持つ株価は大暴落だ。
それが加害者だろうと被害者だろうと、巧妙に仕組まれたハニートラップだろうと関係ない。
次の仕事および関係各所に多大な損害をもたらす。
以上の理由から、ワイドショーに映し出されるような特殊な状況下のゴタゴタをさばくために、イオニアルでは芸能人事件の専門調査官が雇われている。
「もう事務所(うち)の社長から、イオニアルに話はしてあるんです」
佐々木の言葉に、九宰は被害者の板倉の遺体を調べている監察医の乱堂亘彦(らんどうわたひこ)に声をかけた。
「どうだ、死因は?」
がっしりした体格の40がらみの乱堂が首を振る。
「注射痕もない。
毒物を摂取したような形跡もない。
死後に顔を犬に食われたってこと以外は、今はわかることはない。
解剖はまぬがれんな。」
「そうか、なら解剖から検査まで、少し時間がかかるな。」
そう独り言を言うと、佐々木に向き直った。
「呼べよ、きっとラビットが喜んでやってくるぜ」
「ラビット?」
そう尋ねたのは、赤間だ。
赤間はまだ捜査一課に配属されて一カ月しかたっていない。
佐々木の方は業界関係者だけあって、ラビットのことはよく知っている。
九宰は説明する気も答える気もない。
「呼ばれれば、ここにも来る。会えばわかる」
そのとき、
ゲッ、、ゲッゲッ、、、。
と奇妙な破裂音が部屋の中に響いた。
「九宰さん!乱堂さん!」
鑑識に、爪の微細証拠などの採取をされるモモを見ていた城田の声だ。
「来てください!
犬の様子がどうもおかしいんです。」
ゲッ!
さきほどまで板倉バンダイの遺体を調べていた乱堂が、手袋をつけかえて、九宰とともにモモに走り寄る。
カツカツカツとモモがもだえるように床で足踏みする音が響く。
ゲウッ!
その瞬間、ヒゲの生えた板倉の顎の皮膚が、フローリングの床に吐き出された。
九宰の
「やれやれだぜ・・・」
という呟きが終わる前に、次々と板倉の顔のこまぎれ肉が、床に投げ出されていった・・・。
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