第百四十一章 親衛隊

 新体制が動き出すまでと脇目もふらず突っ走っていた日々。やっと総ての組織が一歩ふみ出して気持ちに余裕が持てるようになった。体が鈍ってきていると自覚して、懐かしい林泉寺の裏山に足を延ばした。


 木剣を腰にさして周回コースを廻りはじめようとした。なにか違和感がある。最後に走ったのは何時だったか? 虎千代さまが還俗し三条城へ、そして元服し景虎と名乗りをかえたのは三年前の八月だった。


 それから林泉寺へ出向いたのは、母虎御前の葬儀を営んだ二年前の五月だったはず。一周忌の法要に参列したが、三条城から栃尾城へ進軍する時期が迫っているので、トンボ返りの慌ただしい法事だった。お墓参りに、どの程度の頻度で来ているのか分からないが、お盆とお彼岸くらいであろう。


 違和感は下草が茂っておらず、赤土がむき出しになっているところ。三年ちかく経っているので、草をかき分けながら走らなければと覚悟していた。誰かこのコースを使っているのだ。このコースを知っているのは一人しかいない。


 道を駆け上がるが、すぐ息がきれて喘いでしまう。尾根の頂上まで、やっと辿りつく。日ごろの運動不足がてきめんに現れる。周りを見わたして呼吸を整える。左手に春日山城が屹立している。


 うん、東斜面の下から叫び声らしき音が聞こえてきた。下にある広場からのようだ。コースを外れ藪をこいで斜面を下ってゆく。声がだんだん大きくなって、馴染みある かけ声と分かる。広場で木刀の打ち込みをやっているのだ。それも一人や二人でない。


 こちらも一寸いたずらっ気をだして、気配を消してソッと近づいてゆく。木立の陰から覗くと、二十人ほどの若者が素振りをくりかえていた。年頃は十二・三才から十八才くらい。あたらしく小姓や側衆に取り立てられた者たちに違いない。景虎さまの姿を確認する。お側衆の小島 弥太郎が教官らしく、声をあげて叱咤している。さっそく武道の鍛錬にひっぱり出したのだろう。手造りの親衛隊だ。


 自身も木刀を裂帛れっぱくの気合いとともに打ち下ろしている。初心者は取りあえず量をこなす。変なくせが付かぬよう気をつけねばならぬが、まず筋力と体力をつける必要がある。景虎さまは実戦経験があるので、質をたかめる練習に入っているようだ。いろんな場面を想定しながら打ち込みを考案しているのだろう。


 自分の殺気など気にとめたことはないが、試しとばかり丹田に力をこめて景虎さまに気を放つ。ムムム、とくだん目立った反応が返ってこない。そうそう小説のような訳にゆかないか。試しにとか、いたずらっ気、など真剣味が足りない。殺気など持ちようがないので、形だけやっても放射されるわけがないか。こうなればアッサリ降参するしかない。


 ゆっくり木立から姿をあらわし皆の方へ近づいてゆく。下草を踏みしめる音に、さすが耳ざとく景虎さまが気がついて振り返った。


「おお、先生がここまで来られるとは」

「いやあ、体が鈍ってきたのがわかって、少しいじめようと思い足をはこびました」

「皆の者、稽古は一休みじゃ。こちらが我が剣の師匠、永倉先生であるぞ。挨拶をいたせ」


 一同 声をそろえて唱和し頭をさげた。


「いやあ、お恥ずかしい。出藍の誉れ、今では愛弟子がはるかに腕前が上がっております」

「先生 ひさしぶりに組太刀をふるってみたいのじゃが」

「こちらこそ お願いしたいところでございました」


 久しぶりとあって、はじめは一寸ギクシャクしたが体は流れを覚えていた。すぐ昔にかえって無心に木刀を振るう。景虎さまは、さらに剣の冴えが上達していた。相打ちなど十に三つしか取れない。こちらの木刀は切っ先の軌跡を見切られている。それに怯まず相手のうごきに合わせて技を繰り出してゆく。合わせでカンッとぶつかる音がひびく。


 組太刀を五本、合わせ太刀を六本をやっただけで汗がふきだしてきた。

「いやあ、気持ちのいい汗が流れ出るわ。たまには本気になって、ぶつかる相手がおらんと腕も上達せぬ。先生もお忙しいであろうが、時間をつくって付き合ってくだされ」


 小姓たちは声もなく呆然と見入っていた。 小島 弥太郎が感に堪えない面持ちで声をはりあげた。

「文弱者とひそかに侮っておりましたが、かような腕前とは! 無礼の数々がございましたら、お詫びいたす次第。ぜひ拙者にもご教授ねがいたい」

「先生の技を身につけたら正に鬼に金棒じゃのう。執務がつづいて気がふさいだ時は、ここで若い者を鍛えてやって下され。わしも稽古をしとうなって供をつれて参った」


 何か喋らなくてはならぬ雰囲気になった。

「では、形稽古の基本をお教えしよう。相手が一歩踏みこんで打ってくれば、こちらは前後左右に動いて敵の太刀筋をかわす。そのまま木刀を振りおろすと相手の体に届く」


「間合いが近いので、相手は体当たりしたり足を払ってくる。そのため足を平行に置かない。前の足は相手にむき、後ろの足は直角に置く。これで前後左右、思いのまま足さばきが出来るというものじゃ。これを撞木しゅもく足と申す」


 前の世の竹刀の剣道は、この足を嫌った。竹刀が長いので間合いが遠い。一歩踏みこんだくらいでは竹刀が相手に届かない。そのため真っ直ぐ飛び込んで打つしかない。必然的に足は平行にしてかかとをあげ摺り足の状態で飛び込む。


「両肩を落とした柔らかな構え。左足は撞木にとって踵をつける。自由自在の足さばきで、縦方向だけでなく左右のうごきを交える。打ちこむ、引き込んで返す、すり上げる、切り落とす、この動きが俊敏でなければならぬ」


「一言で申すなら、舞うように足をつかい攻めかけて、腰から始動してスパンッと一拍子で打ちこむ、となる」


「形稽古では、教える側が打太刀となって斬り込んでゆく。弟子側は仕太刀となって、その形にそい打太刀の攻撃を制する。これを反復するのみ。無意識のうちでも正しく使えるように稽古をかさねるしかない」 


 景虎さまがつけ加えた。

「良いか、わしと先生はこれを繰りかえして体で覚えた。初めて人を斬ったときを今でも思い出す。振り返ってみれば、あの一派のなかで一番の剣の遣い手であったかもしれない。わしには太刀筋がハッキリ見えた。これが日ごろの鍛錬の証だと思っておる」


「戦場では、そなたらは親衛隊として常にわれと行動を共にする。攻撃にせよ、守りにせよ、われらは常に一体で動く。心して鍛錬に励めよ」


「はっ!はっ!」 全員が声を張りあげた。

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