第百四十章 補佐官

「すでに胎内川の改修工事がもくぜんに迫っております。この工事の予算は設計が終わりますと、工事費の見積もりが責任者から提出されてきます。この工事だけの特別会計をたちあげ複式簿記で管理いたします」


「資金の調達法はあたらしい銅銭が主な資金の源泉となります。支出も人件費、ならびに工事詰め所や飯場、食堂、浴場などの建設費、そして食糧の購入費など消耗品の支出を一元管理いたします」


「こうした工事は今後も永続的に実施されるでしょうから、支出の詳細をつかむことは大きな実例として活用できます。工事費の積算資料として貴重な財産となります」


「そうなると我々もはやく複式簿記の手法を習熟せねばならぬなあ。教育から実践と目がまわる忙しさとなるじゃろう。お内儀、といったら失礼でござる、何とお呼びしたもんか?」


「そうですね、補佐官とでも名付けましょうか、なあ亜希子?」

 妻の名前をよんだせいか皆かおを見合わせている。

「あまり表面に出たくありませんので、その名前で結構です」


「では補佐官、ソロバンと複式簿記の手ほどきを大蔵省の吏員たちにお願いしたい」

「金倉の在庫確認する日から始めましょう」


「大蔵省の仕事は内向きの仕事だけでなく、外向きの職務もございます。天下布武の戦さは越後だけに留まらず、領外へ広がってゆきます。大勢の兵士が国ざかいを越えて戦さの場へ出てゆきます。かならず兵站の問題がついてまわります」


「食糧など現地で調達する方法が厄介事になるじゃろうなあ」

「適正な価格で買うならまだしも、乱暴狼藉で手にいれるとなると、景虎さまが掲げる義の戦さなど絵空事になります。民から見放された軍勢など長続きいたしませぬ」


「青田刈りは籠城をねらう城攻めには有効な手段でござる。城をビッシリと取り囲んで、兵糧を干上がらせて降伏を迫るのは、力攻めより兵の損傷はズッとすくない。お互いムダな命のやり取りをしないで済む。ただ農民に損害を与えるのは確かじゃ、補償する手立てを考えなきゃならないだろう」


「その為にも米の在庫管理や、出兵する数におうじた食糧など消耗品の補給計画を立てる部門が必要ね。前もって綿密な計画がたてられる人材を育成しなければ。そうなると軍師どのの職務にも関係しますね」


「話しはかわるけど、天文通宝をお披露目する儀式など必要なのかしら?」

「やはり景虎さまの臨席をあおぎ、主だった家臣のまえで大蔵大臣が宣言する形を取らざるを得ないだろうね。その先は家臣たちへ下ろしてゆく。領民については村役人をとおして主な名主へ通告して農民へ知らしめる。町民にたいしては布告という名で、立て札を主な四つ角に立てる。こんな方法かな」


「朝廷や幕府に対して手をうっているの?」

「景虎さまの家督相続について、京都の代官として先代から居住している神余 親綱氏をつかって献金をした。争いをおこさず平穏に家督相続がおわったので、問題なく認められた」


「通貨の件は形だけだが金貨を献金したから黙認してくれるだろう」

「大名たちも勝手に通貨を造っているのね」

「日本で最初の金貨は信玄の『甲州金』と言われているね。だから『天文通宝』は一般に通用する銅貨として最初となるね」


「一文銭銅貨は従前のままとすると、新しい十文銭銅貨と混在するわけね」

「銅は大事な資源だ、貨幣のため大量に使うなど資源のむだづかいと思う。銅貨から紙幣へ移行する時期を見計らっている。それに新通貨は今まで出回っていない単位の銭貨のほうが混乱が少ないと考えている」


「通貨を偽造されないよう、さまざまな工夫を凝らしているけど、試みる者は出てくるでしょうね。そうとう厳しい罰則をきめて抑止効果をねらうしか方法がないかしら」

「ただ当面は十文銭銅貨だ。手間と暇かけて偽造するほど割のある商売と思えんが...... 」

「法律は長尾 法務大臣の管轄ね。官職名と人名が慣れるまで混乱するわ」


 

 日をかえて直江 総務大臣と城下町の縄張りを協議する。春日山城の本丸が建つ敷地から城下町の予定敷地を見下ろす。九年前はなにもない山頂から市街地を見下ろしていたのだ。


 信長は五回も居城を移した。最初は那古野、ついで清須。ここは領国の中心地なので当然ともいえる。つぎに小牧山城へ移った。美濃にちかく情報が入りやすい理由としか思いつかない。美濃を攻略して稲葉城を手に入れたら、岐阜城と改名して本拠地とした。ここは山城で家臣たちは麓で暮らすしかなかったであろう。



 岐阜は領国の中心地でなく、かなり北西に寄っている。近江を攻略する意図をにじませる。そして安土城へ、領国が拡大したら最先端の領国へ城を築くという意思を明確に示している。最後は石山本願寺跡の大坂を目ざしていたかもしれない。秀吉がその意を汲んだのだろうか。


 景虎さまの意向を伺わないで勝手なまねは出来ないが、ここが仮の宿なら城を本格的に改修する必要はない。麓の小高い丘に館を建て政務をみれば良い。春日山神社の中門前の東に手頃な丘がある。明昌寺山と名が付いている。小山の部分をけずると南北百五十メートル、東西二百メートルほどの平坦地を造成できる。


 南が急峻な崖で、北方もきつい傾斜地である。東方向は細い尾根が張り出しているが、その先は沼地で人馬が足を踏みいれるのに躊躇する地だ。西方向に尾根がダラダラ続いていて、もう一つの小山がある。ここを整地すると一回り小さな平地が出来るので二ノ丸の機能を持たせれば良い。


 位置的に直江津へ向かう道路と、春日山城の正面にとりつく大手道の交差部にあたる。直江津へ向かうのも信濃国へ向かうにもアクセスは申し分ない。標高が六十メートルなので城下町と五十メートルほど比高がある。


 城下町は南に関川に注ぐ正善寺川と、春日山神社と林泉寺の間を流れ大きく北へ向きを変えて流れる御館川に、はさまれた平地に展開する。南北一キロ三百メートル、関川まで二キロ強の広さがある。西の端あたりを南北に加賀街道が走っている。


 基本的にふだんは平地に住み政務をとる。一朝 事あるときは、山頂に駆け上がる。どのていど整備するのか判断がむずかしい。信玄の「人は石垣、人は城」と歌にあるが、躑躅ヶ崎館つつじがさきやかたの主郭は二重の水堀に囲まれた堅固な構造である。


大手道の城にちかい南側を武家屋敷にする。北側を商工業地域とする。できれば府内まで町並みが拡大して一体化できれば申し分ない。武家屋敷の配置が難しい。地位の上下関係を持ちこまれたら対処にこまる。高度な政治的判断が必要になる。



こうして曲がりなりにも新体制のもと越後の国は動き出した。

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