第百十八章 執 政

 軍師殿と亜希子がくわわって懇談する場をもうける。

「平六との戦いで、今でも騎馬による突撃の悪夢でうなされることがある。ドッドッと地鳴りがして地面がゆれる。騎馬武者のうらがえった雄叫びがつんざく中、なす術もなく無言で見つめている。踏み潰されるな、と覚悟したところで目が覚める」


「あなたが体をモゾモゾうごかして、強張らせている寝姿を何回かみたわ。そんな夢を見ていたの」

「よく実戦経験もない長柄槍部隊がふんばってくれたと感心するよ。軍師殿の日ごろから教えこんだ訓練がまさしく功を奏したね」


「まあ、あそこまでやってくれるとは、正直なところ思っていなかった。一段目には俯きかげんにして周りを見るな。向かってくる馬の胸だけ狙っていろと、口を酸っぱくして言い聞かせた。二段目と三段目には、抜かれたら馬の足に槍を絡ませろ。馬の突進さえ止めれば、あとはどうにでも料理ができるとな」


「景虎さまにソッと聞いてみたの。主人や軍師殿が落ち着きはらった態度を褒めておりましたよって」

「ほおう、何とお答えなすったかな」

「孫子のことばを唱えておった、とこっそり教えてくれたわ。『軍にしょうたるの事はせいにして以ってゆうなり』。 私には分かるようで分からない一節ね」


「戦さに望む将軍の心がまえを教えておる。『静』とは常に沈着で冷静にふるまえ。たとえ味方が危機に瀕しても、心の動揺を顔に表すなとの戒めでござる。不安な顔を見せたり、心の動揺を顔にだしたら。またたく間に全軍にひろがる。『幽』とは、かすかなこと、奥がふかくて計り知れないという意味でござる」


「あわせて解釈すると、一軍の将は、どのような難局に対峙しても、常に冷静にして、心の動きが相手に悟られぬよう霞のごとくおぼろげな佇まいでいるべきだ。となろうかのう」


「景虎さまも必死になって心を抑えていたんでしょうねえ」


「戦さは臆病者ほど強い、ということわざがある。臆病者はいつも最悪の事態を想定して対策をねっておる。戦さの前から細心の注意をはらって準備し、戦さのさなかでも周りの状況をつねに気をくばっておる。ともすれば何とかなるさ、と突撃したがる者どもの方が多いでのう」


「臆病を恥ずかしく思う必要がないということね。男の人って、臆病者が最大の侮辱と捉える人が多いでしょう。まあ表に出さず内心に留めておくほうが良いのでしょうね」



「話しは変わりますが、宿願であった景虎さまの国主が見えてきた。領国の運営という問題にそくざに直面します。どういう仕組みで動いているのか見当もつかない。とうぜん最後は景虎さまを加えての協議となるが、今日は取りあえずたたき台をつくるとの意味合いで考えましょう」


「室町幕府は崩壊のじょうたいで参考になりませぬなあ。わしの主筋だった海野家も豪族に毛のはえたくらいの規模じゃ。比較するなら、武田家か北条家となろうかの」


「前の世であったシステムで、取り入れたほうが良い職名を上げておいて、じっさいに乗りこんださい比較検討して取捨選択したらどうかしら?」

「そうだね、理想のすがたを描いておき、すり合わせする方が考えやすいね」


「まず三権分立、法をつくる立法権と法に沿って政治をすすめる行政権そして法律違反を罰する司法権、これらを別々の機関がぶんたんする仕組みだね」

「絶対王政なら三権とも国王に集中しているんでしょう?」


「会社の組織図に倣うなら社長のポストに景虎さまが入って、あとは全部ぶら下がりになるね。三権分立するほど民度が成熟していない。ラインとスタッフ制にするなら、われわれはは横並びで景虎さまと並ぶ仕組みだね」


「そうねえ、ラインに入ってゆかない方が良いとおもうわ。入れるにしたら直属のシンクタンクにして、新技術開発チームを立ちあげたいの」


「一つは二十一世紀までの人類の知恵を、記憶が残っているうちに全部を書き出して整理しておきたいの。あらゆる分野にまたがるから膨大な量になるわ。ほとんどは表面だけの知識だけど、原理は説明できる。指針にしてもらいたいわ」


「二つ目は課題を実行してくれる研究機関の設立ね。稲や綿の品種改良とか、新兵器の開発や工具の改良など与えたテーマをコツコツ実験してくれる組織よ。私たちで、すべてをやるのは不可能だし人が育たないわ」


「うん、わかった。ぜひ立ち上げたいね。じゃあラインに移ろうか。まず防衛大臣だが、景虎さまが戦さにかんする全てを掌握することになるね。大臣が必要なのか、考えを整理しなきゃならんね」


「必要としたら、前の世ではないんだから国防大臣でもかまわないけど。陸軍とすると海軍はどうなると面倒になるから一括りにした方がいい」


「軍師殿は参謀総長でスタッフとして景虎さまと直属の組織となろうね。諜報機関も傘下に入る」


「思いつくまま上げていいなら、法務大臣。刑事や民事の法律を定めるべきね。三国志で悪役になる曹操のエピソードが好きなの。戦場にむかう途中で、麦を踏みつける者は誰であろうと許さん、と厳命するわ」


「兵士はみな馬から降りて、歩いて進軍。曹操の馬がとつぜん暴走して麦畑にはいって踏みつけるの。側近に自分を罰をくだせ、と命令する。側近はリーダーが自ら作った法を破ったとき、罰を与えることはできません、と答える」


「自分で法をつくった法を自ら破ってしまっては、部下が付き従うはずがない、と名言をはくわ。そして剣をとって髪を切りとるの。部下の前に膝まずいて、これで許してくれ、と頭をさげた。法の前には誰であろうと、平等にあつかう姿勢を自ら示したのね」


「信玄にも似たような話しを聞いたことがある。次は道路、河川、建築、運輸を統括する国土交通大臣だね。農林水産大臣もあるし。経済産業大臣もだいじだね」


「財務大臣より大蔵大臣の方がこの時代に似つかわしいわ。文部科学大臣と厚生労働大臣と外務大臣は、びみょうな立ち位置ね。総務大臣も庶務とおなじで、残りぜんぶを統括してくれるかな」


「大臣にふさわしい人物を、どう見つけるのか。まあ一気に発足する必要もないか。じっさい運営してみて、実態を把握してから決めても遅くはない。今日は考えを提示したということで収めましょう」


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