第百十七章 天文通宝

 為景さまから家督相続は、来春との意思表示をいただいた。それまでに準備をしておかねばならない一つに銅銭の鋳造がある。春日山城の財政状態がまるっきり分からない。支払いが滞って常備軍の維持ができないなど想像もしたくない。


 史実では謙信が急死したあと、春日山城の金倉に蓄えられた遺産の調査が行われた。そのさい作成された「春日山城内惣在金目録」によると、総額は二万七千両と報告されている。


 内訳は大きく二つに分類される。一つは貸付金・買い入れた金・運上金など合わせて一万一千両。二つ目は貯蔵用で一万六千両、と巨額な金銀を溜め込んでいた。


 謙信が家督を引き継いでから三十年間で蓄財した結果である。ゼロから出発しても、単純に平均すると年間九千両を積み増す計算になる。一両を四貫文とすると、三万六千貫になる。



 世界でさいしょに紙幣が使われたのは北宋時代の交子こうしといわれる。銅の産出量が少なかったので鉄銭をつかわざるを得なかった。鉄銭は重く持ち運びに不便なので、鉄銭をあずかり預かり証書を発行した。


 これに目をつけた北宋は官業として独占し、兌換準備金として三十六万貫をそなえ、発行限度額を百二十五万の交子を発行した。これによって手形から紙幣に変わった。


 この試みは発行額が止めどもなく増えつづけ、価値の下落につながって破綻した。


 元王朝にかわってから発行したのが交鈔こうしょう 元寇でゆうめいなクビライ皇帝は兌換を保証するため銀一万二千錠を備えて発行した。発行額が漸増してインフレによる価値が減少する局面はかわらず、なんども紙幣の改定を行わざるを得ない羽目に陥って破綻している。


 紙幣はヨーロッパでも珍しいようで、マルコポーロの東洋見聞録に驚きをもって紹介されている。


 日本でも後醍醐天皇による建武の新政において、乾坤通宝という新貨を銅貨と紙幣で発行すると宣言した。取り入れようと試みる先見性はあったのだ。足利 尊氏による武家政権の樹立によって構想は挫折する。


 こう考えると一足飛びに紙幣を発行するのは、結果の善し悪しが大きすぎる。受け入れやすさも考えると、銅銭から始めたほうが無難なようだ。さいわい日本は有数の銅出産国だ。


 銅貨の鋳造法は古来から変わらず、基本的におなじ方法で造られる。溶かした金属を鋳型に流しこむ鋳造でつくられた。鋳型から取りだされたばかりの銭貨は、木の枝に葉や実がついたように見えるので「枝銭」と呼ばれた。枝から銭貨を切り離して、各個ごとに磨いて完成させる。


 この枝銭を「金のなる木」に見立てて、七福神の恵比寿天や大黒天といっしょに描いて縁起物として庶民に人気があった。


 すでに南蛮吹きで棹銅から銀を抽出させる作業は、九郎殿が取りしきって始まっている。そのとき為景さまと蔵田 五郎左衛門のふたりへ銅銭の鋳造について詳しい説明をしてあった。


 五郎左衛門に私鋳銭しちゅうせんを製造している親方か職人を探してもらった。あちこち手づるをつかって探索した結果、近江国の坂本から職人二人を見つけてきた。


 亜希子と軍師殿の三人で銅銭のデザインを考える。


「名前はどうしましょう?」

「奈良時代は『和同開珎』《わどうかいちん》、かいほうと呼び名が論争をよんでるね。江戸時代は『寛永通宝』と年号をつかっているわ。今の年号は天文ね、『天文通宝』になるの?」

「なにか安易すぎる決め方だね」

「今のところ越後の通貨として使用は限定される。先々、日の本に流布させるなら、元号の方が受けが良いじゃないかのう」


「銅銭は長期間つかうと思っていないんだ。いずれ銅の産出量で行き詰まるだろうし、大事な資源だ、べつな用途に使いたい。紙幣へ移行するまでの暫定と考えている」

「一時的な使用なら『天文通宝』で良いじゃないかしら」


「良し、名前はきまったね。形は丸い形に四角い孔をあけるで良いよね」

「孔に紐をとおして持ち運びするんでしょう。使い勝手が良いから、この形を踏襲してきたと思う。形をかえる理由が見つからないわ」


「わかった。つぎに一時的な使用といった言葉に矛盾するんだけど、発行額面の種類はどうしょう? 一文銭ばかりだと高額になると勘定がたいへんだ。江戸幕府も、四文銭とか十文銭、百文銭を鋳造している」


「一種類つくるだけでも手間は相当かかりそうね。受け入れてくれると思うけど、あるていど流通の具合から判断するのはどうかしら?」

「これで良かったら、生産に取りかかる。景虎さまのお披露目までに数量を確保しておきたい。正式な許可を頂いてから発行する手順になると思います」


「デザインは『寛永通宝』にならって裏表とも外周を二重円とする。その内側を凹まして、表は天文通宝の四文字を右回りに配置する。裏は中心の四角に外周と同じように縁取りをする。凹んだ部分は何も手を加えない。こんなところですが、変えたい部分はありませんか?」


「では試作品をつくって確認していただきます」


 鋳造では形を保持する山砂の良否が、できばえを左右する。職人は山砂をもとめて各地を探しまわった。三条城の東北十三キロにある羽生田砂、平六を破った蔵王堂城から東に位置する麻生田砂、そして小千谷の東にある小千谷砂の三候補にしぼった。


 採取した山砂をなんども水をくぐらせて粘土分を洗い流す。そして通気性や耐火性そして突き固め強度を測っている。通気性と耐火性は小千谷が優り、突き固め強度は羽生田砂と麻生田砂が優る。三種類をまぜあわせて合成砂として使用することにしたらしい。


 種銭ができたので他の二人に確認してもらう。


 この先は職人の作業を見守るだけだ。種銭のコピー百二十個を鋳写して、まず母銭を作った。型枠のなかに砂をしきつめ、四本の湯通棒を並べている。両側に母銭を十五個ずつ並べてゆく。これで四本の湯通棒と百二十個の母銭が砂のうえに配置された。


 裏表の鋳型をかさねて踏み固めている。これで母銭と湯通棒の型を写しとった。そして湯通棒と母銭のあいだに、溶けた金属が流れこむよう道をつくる。


 鋳型から湯通棒と種棒を取りだした。あらためて表裏の鋳型をあわせて、しっかりと固定している。鋳型を立てて、上部の口から溶かした金属を注ぐ。


 冷却後に、鋳型から枝銭をとりだす。百二十枚の銭貨を四角い木の棒にとおす。この棒を固定して動かぬようにしてから、銭貨の側面にはみ出しているバリをヤスリで削り取る。紐を通すためだけの孔では無いのだ。


 中央の孔をヤスリで四角に整える。木の枠に一個一個おいて、表面や側面を砥石で研磨する。そして紐を通して、銭さしをつくる。


 何工程も要する、これだけの作業を経て銅銭ができるとは思いも寄らなかった。原価を考えると十文銭を最低の単価にしたい。製造工程をみせて了解してもらった。


 

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