第百十三章 高梨父子

 月があけて七月、軍師殿と馬を駆って信濃国を目ざした。おおよその足跡だけを記すと、まず宇佐美殿と会談した安浄寺を目ざした。寺は信濃川の西にあたる段丘にある。ここで一泊した。


 段丘のうえを走る市川通りとよばれる街道を南へ下る。信濃川からみると上流へさかのぼる。高田街道や三国街道へ通ずる街道と交差し、また信濃川の水運の要所として栄えた小千谷おじやを左手に見ながら通りすぎた。関東と国境いになり、分水嶺ともなる谷川岳から流れくだる魚野川と信濃川が合流する地点に着く。


 信濃川と合流する前後の川は、両岸の山地をけずり、ヘビが泳ぐようにクネクネと大きく曲がりくねっている。合流地点から魚野川にそって三国街道がはしり、とちゅうに問題の人、長尾 房長・政景の父子が拠点とする坂戸城が屹立している。


 そのまま信濃川の左岸を上流へ進む。千手の交差点にぶつかり東へ行くと十日町、西へ曲がると春日山城に到達する。謙信が関東へ出兵するときは、この道を大軍が整然と行進していったであろう。十日町で二日目の宿をとる。


 三日目は十日町、寺石、青倉とすすむ。青倉が越後と信濃のほぼ国境いになる。青倉を越えて六キロほど千曲川をのぼると西大滝、ここで三日目の宿とした。次の日は桑名川、戸狩、飯山、と川をさかのぼり替佐に到着した。


 このまま八キロほど真っ直ぐ進むと、信州の旅で帰り道に通った神代宿へ通じている。右へ曲がると野尻湖の湖畔に出る。左に曲がって東南東の方角にすすむと高梨氏舘に行き着いた。


 東西百三十メートル、南北百メートルの方形で郭は一つしかない。周囲は高さ三メートルほどの土塁が張り巡らせている。土塁の外側に、さらに幅三メートルほどの濠が掘られ防御を固めている。


 正面の小高い山に詰め城である鴨ヶ嶽城がみえる。一キロ半ほどの距離だろうか。尾根に沿って曲輪が連なっている。防御用の堀切をけずった崖面が土肌を見せている。


 西の虎口に控えていた門番に、主の面会を乞う。案内人を先頭に舘内へ入る。この広い敷地に八棟ほどの建物が見えた。いちばん南側にある舘に着いた。四周はせせらぎの流れで囲まれ、建物は瀟洒な佇まいを漂わせている。客殿に導かれたようだ。


 南面に庭が眺められる広間に案内された。縁側をとおして豪華な庭園がひろがる。大きな池がつくられ、東南のかどに石組みから滝が流れおちてくる。池の護岸は大小の山石や河原石で固められている。みぎわに岬が突きでており、池のなかに岩島が浮かぶ。


 高梨氏が京の流行をいち早くとりいれる鋭敏さと財力の裏付けをうかがわせる。垢抜けた書院造りの広間も趣味のよさを示しており、久しぶりの目の保養となった。


 五十台はじめと三十台半ばの男性ふたりが入室してきた。武将らしい粗暴さやガサツさを感じさせず、物腰がやわらかで好感がもてる。


 おたがい名乗りをあげると、二人は父の澄頼と子の政頼だった。

当主の政頼が

「さる平六との合戦、初陣ながら見事な大勝利をかざり、年が明けても喜びは消えぬ。あらためてお祝いを申す」

「有りがたきお言葉、景虎さまも さぞかしお喜びになろうかと拝察いたしまする」


「その方が平六を奸計で釣って、合戦にもちこんだ策士か。孔明の再来かと噂が流れてくるぞ」

「恐れいった次第。まだまだ未熟者でござりまする」


隠居した澄頼がつづけた。

「出藍の誉れ、と申すか、為景殿も息子の采配ぶりを頼もしく思っておるじゃろう。軍才は弟が血を引き継いだのかもしれぬのう」


「さすれば景虎さまを当主に推戴すべきとの声が、各地の国人衆から澎湃ほうはいと巻きおこっておりまする。越後のまわりは大きく波立ち、動乱のじだいを迎えようとしておりますぞ」


「たしかに、そうじゃ。当家はいま村上家の侵略に手をやいておる。心配はその南におる武田家よ。当主の信玄が諏訪を手中におさめ、矛先を村上の本拠地である佐久や小県ちいさがへ向けておる。先がみえぬ村上は本拠地を守りもせず、北信濃へ血眼になって出張ってくる。困ったもんじゃ」


「恐れながら申し上げます。晴景さまは言葉が悪ろうございますが、万事に成り行き任せの面がございまする。万が一高梨家が助力を求める事態に陥っても、すぐさま決断が出来ぬでありましょう。武田家は強力な軍事力と緻密な知力をもつ恐るべき存在でござる。高梨家、村上家、長尾家が一体となって、ぶつからなければ倒せる相手ではござらぬ」


「村上家を説得するのは我らではムリじゃ。長尾家が頭になって動いてもらわんと、あの頑固頭の義清めを考え改めさせるのは難しかろう」


「はい。それで話しが戻ります。越後の当主は英邁かつ軍才を有するお方が必要不可欠でございまする。幸いにも景虎さまという珠玉の珠がねむっておりまする。伏龍がまさに天に昇らんとしております。賛同くださる有志の方々から推戴状に署名花押をいただき、為景さまにお届けせんと我らが動いておりまする。是非ご同意をいただきたく存じます」


「おお、それはこちらの願いでもある。喜んで同志として参加いたそう」

「ご賛成をいただき感謝の言葉もございませぬ。では推戴状は日をあらためて参上つかりまする」


 夜は歓迎の宴をひらいてくれた。ライトアップといかないまでも、石灯籠に火がともりチラチラ瞬いている。池に映えて揺れる炎を見やりながら、越後の未来を考えていた。


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