第百三章 蝦夷地

 十三湊から津軽半島の突端となる龍飛岬まで直線で二十六キロしか離れていない。龍飛岬から大間町の距離は六十五キロ、大間町から北海道東端の恵山岬まで三十六キロほどの距離がある。


 いちばん潮の流れが速いのは、龍飛岬と大間町の沖で四ノットで、やはり海峡の幅が最もせまい箇所だ。青函航路がはしる中間部と、大間町を超えた辺りは、二ノットで西から東へむかって流れている。


 ざっと計算すると十三湊から龍飛岬まで四時間、龍飛岬から大間町の沖まで六時間半、そこから恵山岬まで三時間、合計で十四時間かかる。


 四月の末における日の出は五時ごろ。四時半には明るくなり始める。日の入りは十八時二十分ごろ。恵山岬まで到着できなくとも最大の難所を越えている。薄暮になる前に岸辺に寄って投錨すれば良い。


 次の朝、東の空があかるくなったころ、錨を上げた。今は無風なので櫂を漕いで沖へだす。弥平がパイロットを務めている。龍飛岬のあいだに、西に向かって岬が一つ飛びだしているそうだ。


 たしかに十二・三キロで大きく岬が突き出していた。岬をかわして北上する。右手に津軽半島の突端になる龍飛岬が見えてきた。風はありがたいことに追っ手の順風だ。岬を大きく避けてから海峡の中央へ帆先を向ける。


 流れに乗ったのかスピードが速まる。ゆったり右、左と傾きながら北東へ進む。龍飛岬が後方に見えてきたころ、船速が落ちてきた。一番目の急流箇所を越えた。徐々に針路を北へむけて、潮の流れから斜めに横切って北海道寄りへ抜け出す。


 龍飛岬と大間町の中ほどで昼食のおにぎりを配る。次にくる大間町の沖合いの急流まえに腹ごしらえをしておきたい。


 左手に函館山が見えてきた。そろそろ大間町に近づいてきている。船足が速くなってきたように思える。左前方に山並みが霞んで見えてきた。恵山岬へつづく連峰だ。

船速が上がったのが分かる。右手の陸地は下北半島だ。


 日がだいぶ傾いてきた。船のスピードがふたたび落ちてきた。大間町沖の急流を越えたようだ。難所が過ぎたので取りあえずホッとする。無理に恵山岬まで届かなくても良い。明るいうちに、岬のてまえにある くびれに錨を下ろした。


 夜が明けて停泊地を出発した。恵山岬を一時間ほどでかわし、噴火湾をめざして北上する。陸地を左に見ながら三時間ほど進むと、富士山のような秀麗な独立峰が見えてきた。駒ヶ岳だ。このあとの大噴火によって山頂部分の六百メールがぶっ飛んで、台形の形になってしまうのだ。


 十時間ほど海岸沿いを進む。すでに噴火湾の入り口にさしかかっている。岸辺をみると高台に十五軒ほどの小屋が固まって建っていた。川がわきを流れて海に注ぎこんでいる。小屋は茅葺きの屋根と、壁は茅と熊笹でおおわれている。


 そのまま北上する。海岸へ近づき、浜辺と平行に進む。黒っぽい砂浜に変わってきている。二時間ほどすると、海岸に奇妙なかたちをした岩が並んでいる。黒岩奇岩と呼ばれている。ここまで幅が百メートルほどの平地がずっと海岸にへばり付いていたが、漏斗の口のように一気に幅七百メートルの平地に変わった。


 平地の先は二十メートルほどの急斜面の崖となり、緩い傾斜地が上がって山麓を形成している。この奇岩から二キロ弱先にある川が、めざすルコツ川だ。川の手前に

五軒ほどの集落がかたまっていた。家のつくりは先ほど見た小屋と同じものだ。


 日もだいぶ落ちてきた。まず集落の長に挨拶をせねばならない。とつぜん大型の和船があらわれて、ビックリしているだろう。伝馬船を下ろして米俵三俵を積み込む。

金津主将、小島副将、六人の屈強な兵、弥平を伴って上陸する。


 携帯会社のCMで有名になった真っ白な北海道犬がさかんに吠えまくっている。アイヌ民族の狩猟犬で、国の天然記念物に指定されている。中央に広場があって、それを囲むように五軒の家が建っていた。


 広場の正面にまわりより一回り大きな家がある。これが長の家であろう。それぞれの家のまえに家族そろって立っている。長は一目でわかった。長いあごひげが胸ちかくまで垂れ下がり、髪は長髪で縮れている。あたまに茅でつくった飾り物を被り、アイヌ民族特有の文様がはいった着物を着ている。


 かたわらに立つ女性は妻だろう、唇のまわりに入れ墨を入れている。子どもが母にまとわりついて、こちらを興味深そうに見ている。


 弥平が前にすすんで長と言葉をかわした。こちらを紹介しているようだ。こちらも一同そろって頭をさげる。長が家へ入るよう言ってるようだ。


 間近に建物を見ると、屋根と外壁はクマザサを重ねて積みあげている。クマザサを三本ずつ束ねて葉を外へむけて葺いている。鳥の羽のように重なりあって雨水の浸入をふせぐ仕組みだ。


 入り口に入ると土間で、玄関と物置をかねていて四メートル四方くらいの広さだ。

垂れたムシロをめくって母屋に入る。幅六メートル五十センチ奥行き七メートル五十センチの矩形をしている。


 幅三メートル奥行き一メートルの土間があり、その先は一段高くなって敷物を敷いている。中央に炉があってチロチロと火が燃えている。火は年中とおして絶やさないので土間に熱が蓄えられ、厳寒期には熱が放射されて室温の低下を防ぐ。


 正面に神窓があり、ここから神々が出入りする尊い窓とされる。窓の向きは川の上流か東の方角に設けられる。南面のかべに二箇所の窓があって、ササで編んだ戸がついている。


 神窓の下に漆塗りなど宝物が飾ってあり、炉とのあいだは上座として尊ばれる。上座に向かって左側に、長の夫婦がすわった。自分たちは向かい合って右側に座る。三人の護衛というか運搬係は外で待つ。


 通詞に

「海岸にある黒い砂がほしい。手に入れたら直ぐ帰る。長くても十日くらい。取ったあとは元通りに平らにする。困っていることがあれば、お手伝いをする」

 このような趣旨を話すよう促した。

 

 長はだまって聞いていたが返事をかえしてきた。

「話しはわかった。ただ皆の了解をとって回答する、と言っています」

 尤もなことなので頷く。長は部屋から出ていった。


 しばらくして戻ってきた。通詞へ話しかける。

「皆から了解を貰ったそうです。どうぞ好きなだけ黒い砂をお取りなさい、と言っております」

 通詞へ伝えるよう言った。

「ありがとうございます。おもての米俵は、心ばかりの贈り物です」


 広場へもどると人々が集まったままだ。離れたところに小熊が飼われている檻が見える。アイヌの「イヨマンテの夜祭り」で生け贄となり昇天してゆくのだろう。隣りに高床式の倉がある。食糧などを保存しているのだろう。


 アイヌ民族は採取生活から農耕へ移らなかった。文字をもたず鉄も製造しなかった。この善良で平和的な人たちと、どうやって共栄・共存ができるのか、課題が待っている。


 そのまま歩いてルコツ川へ北上する。水を汲むためか踏み固められた道が川まで続いていた。冷たい清水の流れだった。人が歩く道路は北へずっと続いている。浜辺から二百メートルほど離れているだろうか。


 ルコツ川から国縫川の六キロ区間に砂鉄の層が続いている。ただルコツ川側のほうが砂鉄の層が厚かった。川の傍は水を汚すので避けたい。川から二百メートルほど離し、木がまばらな地点を選ぶ。自分が決めるしかない。作業は山側へ五十メートル四方の表土めくりから開始する。


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