第九十章 陣 形

 弟に任せて悪いと思ったのか、為景さまが苦情の書状を出したのか分からないが、六月初めに春日山城から六百二十名の兵が到着した。人数は期待していなかったので、早く着いたことだけでも喜ばしい。持てる駒を最大限いかして戦うしか無いのだ。


 さっそく軍師殿は次の日から教練に参加するよう命じた。昨年の末までに入った者百六十六名は、組頭を任せられるまで成長した。訓練の過程で、各人の適性を見きわめてきた。


 槍は八割、弓と馬がそれぞれ一割ずつと人数を配分とした。弓と馬は技量が問われる。運動神経がするどい者は上達がはやい。いくら練習を重ねてもセンスがない者は、すぐ頭打ちになる。


 しかし槍はそれまで武器をあつかった経験がなくとも、体力さえあれば愚直に教練を繰りかえすうちに動きを覚えてしまう。一つの部隊は組頭の命令によって全員が同時に前進や後退をする。


 槍の扱いも突くだけでなく、上下に叩く、薙ぐ。後退するときも、柄の端をもって引きずりながら下がる。穂先があるので、足元があぶなくて敵は付けいってこれない。


 教練は槍隊が横に一列にならぶ。陣笠は鼻の辺りまで深くかぶる。右肘が肩の上にくるまで張り曲げて、槍の柄を脇にかかえるくらいに構える。槍の穂先は地面に接するくらいに下げて、視線を穂先に集中する。これで前方の敵はいっさい見えない。


 あとは組頭が打つ陣太鼓による号令で、足並みを揃えて前進後退をくりかえす。指揮者が掛かれ!と、合図したときは、敵は眼前に迫っている。無心に突き入れるしかない。陣笠を深めに被るのは、臆病者がいると隊列を崩し、そこが弱点となるので、歩調を崩すのを防ぐ意味もあった。


 槍隊による集団戦は、これまでの戦いを一変させるであろう。槍衾は騎馬による突撃を阻止でき、刀剣をかざして突入してくる個人プレーでは隊列を崩すことできない。敵との間合いが長くとれて、しかも単純な協同作業をするだけで強力な攻撃力を持つ。


 槍隊はまさしく相手の陣形を切り裂く、文字通りクサビとなって切り込んでゆく。綻びができた すき間をこじあけて陣形をくずし、相手の混乱を広げてゆく。こうして相手の陣を順次 潰してゆく。


 当然ながら相手も対応策を考える。敵も同じ長槍の集団でむかってくる。「槍合やりあわせ」という、互いに槍を突き合うのでなく、叩き合いとなる。号令にあわせて敵の槍先より上から叩く。恐ろしさに耐えながら、ひたすら打つ続ける。浮き足だったら、二番手の列が突きをいれてゆく。


「水打ち」の教練も、技能と体力の向上を狙っている。合戦はそれまで一日二回だった食事を朝・昼・晩の三回に変えたといわれる。朝五合炊いて、朝餉あさげに二合五勺。昼は二合五勺炊いて、朝のこした二合五勺を食べる。昼炊いた二合五勺は夕方に食べる。夜は二合五勺炊いて、夜半の合戦に備える。


 兵士になれば腹いっぱい食べられる、の釣り言葉で応募してくる者も中にいるだろう。普段の日は五合の支給であるが、合戦に出るときは一日一升の支給になる。それだけの量を食べなければ、やっていけない重労働なのだ。


 人数がもっとも多い槍隊が敗れると、合戦はおおかた勝負がつく。槍隊の列を崩すために、弓兵が遠矢を射かけたり石礫いしつぶてを投げこむ。


 今は鉄砲が取得できないが、潤沢に使用できるようになると、戦法がガラリと変わる。槍隊と組んで連動するように戦うと、お互いの短所が補完できる。連射と近射によって相手の前衛を崩し、弾込めは槍部隊で時をかせぐ。


 軍師殿に提案して新しい戦法を考案してもらう。今年が鉄砲伝来の年である。連射をどう運用するか。雑賀衆、根来衆は、射手が一人に複数の銃を交換する手法を使った。弾込め専用の装填手を背後においた。その代わり銃や火薬をふんだんに用意しなければならない。


 田植えの時期がおわり、二百名弱の応募兵が集まった。これで四百九十名ほどの常備兵となった。この兵たちが景虎軍の主力となる。応援で駆けつける兵たちは、従前からの戦闘方法しか知らない。号令一下、采配通りの動きなど期待できない。まあ、これは敵の長尾 平六の軍勢にもいえることだ。


 日本では古来から中国から伝わった八陣図がよく知られてきた。魚鱗、鶴翼、雁行、彎月(偃月)、鋒矢、衡軛、長蛇、方円という和名が当てられた。三方ヶ原の戦いで、信玄が魚鱗の陣、家康が鶴翼の陣をくみ、家康がこっぴどく敗れたのが知られている。信長が朝倉・浅井連合軍と姉川の合戦で、雁行の陣をとっている。


 軍師殿はいちど陣形を組んで戦闘がはじまったら、戦いの最中に別の陣形に変えるなど出来るものでない。かえって現場を混乱させ敵につけ込まれるだけ。せいぜい雁行の陣で、敵軍に攻め込まれた場合に、前方の部隊を後方に下げることで、本陣のまえに防御の部隊を配置するくらいだ。


 前衛に長槍部隊、その後ろに弓矢部隊と投石部隊、遊軍として騎馬部隊を配置するのを基本とする。槍の練度をあげて、マムシの道三まで到達できなくとも、敵兵の弱点をねらって当てる確率を高くする。


 甲冑はブラインドのカーテンのようなもの。一枚一枚の鉄片をいかに厚く鍛えても、綴り合わせているのは太糸だ。喉輪のどわは首の前面、しころは日焼け止めに帽子の背から垂らしたようなもので、首の両側と背面を守った。いずれも糸が動けば空間が生まれる。


 腕を持ちあげれば脇の下が開く。草摺くさずりは腰をまもる短いスカートのような物だが、胴との境目は腰をうごかすため鉄板を入れられない。佩楯はいだては太股を守り、脛当すねあては下肢を守る。この間は歩くため開いている。


 具足のすき間が見えないときは、脛をはらったり腰など下半身をねらう。まず相手の行動を不能にしてから料理する。意外にも足の甲が急所で、叩かれると動けなくなる。足は武者草履で、ほとんどが足袋もはかず素足で戦う。古来から鎌倉時代まで裸足で戦ってきた。馬上の上級武士といわれる身分でも裸足で跨がっている。


 半長靴を開発しているが、このような時代背景では普及は難しいかもしれない。 



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