第八十九章 決 意

 亜希子が栖吉城での面会のようすを話してくれた。

「くわしい話しは悲しくなるだけだから、かいつまんで話すわ。やはり母上は武将の子、死の床にあっても毅然としていた。私には とても真似ができない」


「襖から足を入れないとの約束で、お会いしたの。景虎さまは、母上、と呼んだきり涙がポロポロとまらなかったわ。母上も見る間に涙があふれ出てきて、こちらも貰い泣きしてしまった」


「あなたが、お互いの消息をチョコチョコ伝えていたから、言葉に出さなくても気持ちは通じ合うのね。お互い 黙って見つめ合っていたわ」


 しばらくして、母から問いかけたわ。

「お虎よ、お前の夢は何じゃ?」

 じっと母を見つめていた景虎さまが声をふりしぼってね。

「戦さのない平和な国をつくりたい、そう夢みておりまする」


 ふうと、ため息をもらして答えられたわ。

「戦さのない平和な国。ああ、何と気持ちがいい言葉。お虎といっしょに見たいものじゃのう」

「母上、いつまでも お健やかで、お待ちくだされ。必ずや、ご一緒にご覧にいれまするぞ」

「わらわは、お虎の夢を聞いて、これほど嬉しゅうことはない。産んだ甲斐があったものよ」

 と涙がツーと頬を伝わって枕を濡らしたわ。


「お前の先生は優しいお方だ。いつも虎の話しをしに来てくれる。お虎にあげた『信』の文字を忘れずにな」

「虎は似せ絵といっしょに肌身離さず持っておりまする」


「最後に、母上が景虎さまに仰ったわ。『虎よ、大将と成るほどの人は、心を寛く持って、よく人のなすことを見て、家来の言葉をよくよく聞き分けよ』 これが母よりそなたに残す言葉じゃ」

 と念をおされて目をとじられたわ。


「気を張って精も根も尽き果てたのでしょう。息も絶え絶えになってきたわ。景虎さまに、そっと合図して、引き返してきたの。最後まで、じっとお顔を見つめていたわ」


「あれから、もう一度会ったのね。たぶん声を掛けられなかった程、お加減が悪かったかもしれない。景虎さまも覚悟はしていたと思う。」


「母上と会ってから、景虎さまは少しずつ変わってきたわ。何より病でやつれたとはいえ、お目にかかれて言葉も交わせた。長い間お会いできなくて屈折してた感情が、とぎほぐせたんじゃないかしら」

「それに母上は亡くなっても、身近に亜希子という姉のような存在が心を強くしているかもしれないね」


「それほど自分に自惚れていないわ。傍にいて安心させること位しかできないわよ」

「でも母上に会っておいて良かった。一生 恨まれるところだった」

「あなたが心配していた件、すぐ話題として持ち出せないと思うけど、少しずつ心を開いて話せるように努めるわ」

「そこは亜希子の判断に任せるので、お前の気の済むようにやってくれ」



 気持ちが落ち着くまでと、そっとしておいた。うまを駆って追い込んだり、ランニングで体をいじめている。無心に体を動かすほうが悲しみを紛らわせてくれる。


 木刀の組太刀の練習も再開している。真剣勝負で人を斬り殺した体験は、間合いの見切りにおいて一段の冴えをもたらした。踏み込むつま先の動きが精妙になった。

組太刀でこちらの剣先が相手の体に、微妙ながら届かないのに対し、景虎さまの剣先はじゅうぶん体に入ってくる。

 

 戦場で大将が剣をふるうなど負け戦の乱戦くらいだろうが、勝負の勘を養うには役立つ。戦気が横溢し采配をふりおろす。ここが勝負の勘どころ、との一瞬の見きわめる。個人と集団でも勝負を決する綾は同じだ。


 一週間ほど過ぎて、客間でふたたび三人の談義が始まった。改めてお悔やみを申し上げた。すると、


「母上とお会いしたとき、あまりにも やつれはて痛ましい限りであった。少しでもお元気になればと、われの夢を申し述べた。よろこぶ顔をみたい、その一心で打ち明けた次第だ」


「戦さのない平和な国をつくりたい。この言葉に母上は涙をながして喜ばれ、一緒に見たいものよのう、と呟かれました。産んだ甲斐があった、とまで仰って下さった」


「これは亡き母との約束でござる。それがしは命をかけて実現すべく所存である。未だ年もわかく未熟者なれば今後とも、お二方のご指導とご鞭撻をおねがい致す」

 と 頭を下げられた。


 突然のことでアタフタしながらも、そこは年の功、軍師殿が

「若君の胸の内、お明かしいだだき、如何ばかりかと、お察し申し上げまする。存念の次第、身どもら二人にお打ち明けいただき、恐悦至極の至りに存じます。この上は、お望みが叶うよう、ともども粉骨砕身お仕えして参る所存でござりまする」

 と 並んで平伏した。


「はっはっはっ! 心のうちを明かして、なにか晴れやかな気持ちとなった。母上の死は悲しき出来事なれど、われが進むべき道を確かにしてくれた大事でもあった。

われが何時までも悲しんでおられぬ。明日からまた陣頭指揮をとらねばならぬぞ」


 軍師殿と顔をみあわせると、しぜんに顔がほころんできた。

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