第八十二章 献 体

 馬を見張っていた、もう一人は護衛の者に倒された。すぐ二人は屋敷へ向かって走り出す。こちらも元いた場所へ戻った。庄屋を脅していた四人は既に勝負ありで、切り倒され転がっていた。屋敷のまえで軍師殿をはじめ九名が立っている。全員の無事がわかってホッとする。


 庄屋がまだ地べたに呆然と座っている。腰でも抜かしたのだろうか。庄屋たる者、そんなヤワであるまい。火は納屋だけでおさまったらしく鎮火したようだ。五人ほどがこちらに駆け寄ってきた。


「家族が人質にとられて、真田さまが説得しているところで...... 敵は屋敷の中にいる二人だけですので、安心してくだされとのご伝言でござる」

 そうか、庄屋が動転するわけだ。馬を手分けして屋敷へ引率して行く。火と煙りを見た周りの百姓がおおぜい集まってきた。不安げに屋敷のなかをのぞき込んでいる。


 軍師殿が顔を見るなり謝った。

「偵察が不十分で申し訳ござらぬ。大事なお方を危険な場所へ送りこんで、弁解の余地もござらぬ。何とお詫びしてよいやら......」

「よい、よい。余の我が儘を聞いてくれて、危険がすくない所へ配置したのじゃ。お陰で初陣を前に、敵を殺せたわ。いい体験をさせてもらった。先生と修行した剣の成果が発揮できて、師匠として鼻が高かろう」

と景虎さまがフォーローしてくれた。


 ぜったい安全な場所などないのだ。戦場では矢や弾が気まぐれに飛んできて当たることもある。指揮官が後ろの安全な場所で、あれこれ采配をふるっているばかりでは、士気はあがらない。時には最前線で自ら敵陣にとびこむ覚悟があるのか、部下は常に感じ取っている。

アレキサンダー大王は常に最前線に身を投じていた。


「それより、中の二人をどう始末いたす?」

「人質は何名でござるか?」

「庄屋の妻と幼いこどもがふたり」

「兵糧攻めにする時間の余裕もないしのう」


 庄屋がとつぜん近寄ってきて這いつくばった。

「どうか、命だけはお助けくだされ。大事な大事な家族でござりまする」

と地面に手をついて我々を拝んでいる。

「強攻を考えたが、人質が安全に救い出す保証は出来かねるのでのう」


 景虎さまが決断した。

「身の安全を保証するから武器をすてて降参させろ。母上に会った帰り道だ、これ以上の殺生はしたくない。見所があるなら部下として使ってやる、とでも言ってやれ」

 人質をとるなど性根が腐ってると呟いている。


 しばらくして軍師殿の説得で、両手をあげて投降してきた。妻子もぶじに解放された。庄屋が家族をしっかり抱きしめてオイオイ泣いている。村人たちもゾロゾロ入ってきて、無事で良かったと喜びを分かち合っている。


 亜希子が景虎さまへ声をかけた。

「こんな時になんですが、お願いしてよろしいでしょうか?」

「何なりと、かまいませぬが」

「あのう、この死体はどうなさいますか?」

「あとの処理は、百姓どもに任せて引き揚げるつもりじゃが....... どこかに穴でも掘って埋めるでしょうな。もっとも身ぐるみはがれて、素っ裸で埋められるでしょう」

「では、死体を四体ほど持って帰りたいのでございます。ぜひ手術の実験台に使わせていただきとうございます」

「ほう、手術とは......」

「ええ、弟子たちは人間の体を切り開いたり縫う技術をもっておりません。戦場では矢を抜いたり、切り傷を縫い合わせたりと、できるかぎり怪我をした人たちを助けたいのです。その練習台として使いたいと思っております」


「まあ、死んだ者だ。切ったり縫ったりしても、痛くも痒くもないでしょうな」

「これからも戦があった折り、死体を運んでいただければ弟子の腕は間違いなく上達します。ということは味方の兵が怪我をしたときは、迅速に手当を施せることにつながります。死ななくても良かったり、一生 不具の体にならずに済みます」


「余も、いつ矢が当たったり槍で突っつかれるやもしれんのう。承知いたす。大いに練習台に使ってくだされ。じゃあ、適当に見繕って四体を選んでくれれば、手下どもが馬に載せましょう。さいわい馬は十二分にある」


 残った死体は庄屋に任せた。巡回の範囲をもっと広げて、治安の維持に努めねばならないことに気付かされた。下手をすると報復を受けるかもしれない。


 景虎さまは巡回する隊の責任者へ、範囲を広げることと、戦闘になったさい死体を持ち帰ることを為景さまを通して命ずると約束した。


 昼時を過ぎていたが、庄屋が中食を用意してくれた。ささやかだが御礼の心づくしとのこと。先ほどの戦闘の余韻がのこり気持ちが高ぶった食事だった。さすがの亜希子も医者とはいえ、久しぶりに流血の惨事を見て青ざめた顔をしている。


 行くときは十頭だった馬が二十頭に増えて戻ってきた。投降した二人は、心根を確かめるため暫くようすをみることになった。景虎さまは為景さまへ旅の報告にいく。


 四体の死体は、すぐ医療室にはこばれ、献体として活用されることになった。もっとも死臭の問題があるので、長くは使えない。

 


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