第八十三章 教 練

 母と会ってから景虎さまは、いちだんと落ち着いてきた。ながねん鬱積してきた感情から解き放されたのか、明るい性格も見せるようになった。あかりや晋作とも屈託なく接している。あかりはともかく晋作に辛抱強くあいてをしている姿をみると子どもが大好きなのだろう。 あとは亜希子に任せて様子を見るしかない。


 軍師殿が正式に景虎さまの傅役となり、すぐ手をつけたのは、いわゆる士官候補生の養成だった。景虎さまをふくめて三人で話しあった。


「景虎さま、今後の戦は如何ように戦いますか?」

「如何ようにと言われても、各人が功名をかけて敵とたたかい、大将を倒すことであろう」

「さよう、意匠をこらした甲冑をつけ、色とりどりの旗をたて指し物をさして、遠目からでも目立つよう工夫をこらす。功名をあげる際に分かり易くするためですなあ」


「それのどこが悪いんじゃ? 戦の功名をあげるべく武芸に励んでおるんじゃろう」

「景虎さま、これからの戦いは個人対個人の戦いが積み重なって勝ちを得る戦法では負けてしまいます。大きな集団と集団が激突する戦いとなります。統率がとれた動きをしませんと烏合の衆に過ぎません。兵法で魚鱗・鶴翼・長蛇といった陣形は学んでおられると存じます」


「林泉寺の和尚から、そっと軍学書をもらったり、父上から習っておる」

「いくら机上でよんで知識があっても、実戦でただちに使うことは難しいことは予測できましょう。人間は動きを体で何度もたたき込まないと、戦場という場で直ちに反応できません。剣術の稽古と同じでござる。大将の采配で一糸乱れぬ動きをしませんと陣形は意味をもちません」


「それで人をあつめて集団で訓練を行うのか」

「さようでございます。ただ景虎さまは来年になって栃尾城に派遣される身でござる。大々的に人をあつめて訓練は出来かねます。そこで少数ながら精兵の指揮官を訓練いたしたい。指南は某が務めます。ときどき激励のため顔をみせて気合いをいれてくだされ。きっと景虎さまの為にと、士気がおおいに上がることと存じます」


 為景派である栖吉城の長尾氏、栃尾城の本庄氏、北条城の北条氏、安田城の安田氏を廻って為景さまの伝言を伝えた。晴景さまの手前、あまり大っぴらに出来ない。


 各城から下級家臣で長男いがいの次男・三男など家督を継げず、武芸に才能がある者を十名ほど三条城で召し抱えるという条件で募集をかけた。給金は年十一貫。これに三条城の山吉氏を加えると五十名ほどになる。


 八月末に五十六名が三条城に集まった。広場にみなを集めて軍師殿が訓示した。

「これまでは個人が功名をあげんとバラバラに戦う合戦であった。今後は集団で闘う戦争となる。大将の采配にあわせて、出るとき退くときを知り、一糸乱れず動くようにする。お前たちは今日からの訓練で、その要諦を知り、指揮官として部下を率いることになる。今後も二陣、三陣と新たな人員が続いてくる。花の一期生として誇りと自覚をもって訓練に臨んでほしい」


「ここで訓練の厳しさについて話す。孫子の兵法、の名前を知っている者もおろう。

孫子が呉の国王の前で、宮中の女官百八十名の指揮をした。『前』と言ったら正面を見よ、『右』と言ったら右手を見よ......と教えて命令を下した。女たちはクスクス笑って、言われた通りにしなかった」


「女たちの隊長は呉王が寵愛していた姫ふたりだった。王が隊長にするよう命じたのかもしれない。孫子は命令を分からせないのは大将の罪だが、分かったものをやらせないのは隊長の罪だ、と二人を斬り捨てようとした」


「あわてた国王は勘弁してやれと孫子に嘆願した。だが大将として一軍を預かるかぎり、君主の頼みといえども聞き入れないと、その二人を切り捨てた。その後は女たちは一人残らず言われたとおりにした、という史記にある故事だ」


「言った意味は分かるな。これからの訓練で、一人も斬り捨てたくないので、前もって話した。最初はマゴついてもいい。しかし何度やっても出来ない者は戦士に向いていないと判断して帰ってもらう。しかし訓練を見事やりきった者は、一隊をひきいる小隊長になる資格を与える。その後は戦い次第で一国の主も夢ではないぞ。気張って励め」


 次の日、昨日の話が効いたのか、誰も無駄口をたたく者はおらず、不安げに整列している。片手に青竹をたずさえて軍師殿が現れた。基本編成は弓隊と槍隊として、日によって武器を交替する。


 ホラ貝が響きわたって訓練がはじまった。右手にもった青竹をさっと振って、東っ、と合図すると、一斉に東をむく。初めのうちは皆まごついた。


 同じ方向に回れと命令しても、逆に回る者がいる。弓矢隊前へ、と言われて前に出るが、次列と交代するときに後ろの者と入り乱れてしまう。


 鎌倉時代までは武家が「弓矢の家」と称していたように騎射が主流だった。この時代に入ると、歩卒が集団で一面にすき間なく矢を射る矢衾やぶすまの戦法が敵を圧倒できた。敵陣へ雨のように矢を降らせ、突撃を押しとどめる戦術である。


 戦場では、いつも射っている矢頃やごろ、つまり射程距離は倍ほどに見える。勢いにのって仇矢あだやをするな。興奮して矢継ぎ早に無駄矢を放ってはならぬ。「あだやおろそかに」の語源はここから来ている。


 敵が槍や馬で突撃してくる。矢頃を見きわめ斉射の合図で一斉に射る。そして後ろに控える槍隊と交代する。乱戦になって左右に分かれるよう退避する暇がない時は、左に引いて敵の右翼側面から射る。騎乗の敵はまず馬を射る。動物愛護を言っていては自分が殺される。


 槍の動きは突くといっても右手は柄に添えて、左手が握った部分をはげしく動かして穂先を出入りさせる。基本はしごくという水平運動。敵に柄を掴まれたり内懐に斬り込まれるのを防ぐ。


 この槍術は、ともかく間合いを長く保つ、敵の弱点を正確に見抜いて、迅速に穂先を送りこむ事だけを教えた。


 マムシの道三の槍稽古が有名だ。「これからは槍が世を制する」と、三メートル以上の竹に太釘をつけて、軒先に糸で一文銭を吊った。銭の中央に四角い小さな穴が開いている。これを左右に揺らしておいて、遠くから突く。この練習を毎日 数百回くり返すうちに釘は百発百中、穴を貫くようになったという。


 槍の長さはどんどん延びて、六メートルを超える槍も現れた。材料も単一のカシで作れなくなって複合材になる。中央に木の芯をいれて割り竹で包む。ツタや麻で巻いて締める。漆をかけて固める。これを打柄うちえと呼んだ。


 槍の戦法は突くより叩いたり足を払う方が効果的だった。集団戦では突進してくる敵を十分引きつけてから、槍奉行の合図で一斉に振り上げていた槍を振り下ろす。叩いて叩いて、我慢できずに崩れたところから一気に攻め込む。大人数となると陣太鼓の音で進んだり退いたりする。


 槍を三段に並べて先を交差させると、穂先ばかりが密集して前面を覆い隠す。これが槍衾やりぶすまと呼ばれた。一段目は膝をつき、二段目は腰の高さ、三段目は頭上に構える。


 騎馬隊が突進してくると、頭を低くして石突きを地面に固定して槍を立てる。まず馬の胸を狙った。馬に突き刺さっても石突きは外さない。槍のしなりで、数百キロある馬体を騎乗の侍ごと跳ね飛ばす威力があった。


 槍の訓練は一糸乱れぬ動き、猛烈な叩き合いにひたすら耐えて、合図を聞き分ける度胸をやしなう点におかれた。


「水打ち」とよばれる訓練を日ごろからくり返す。太股までつかる深さまで川に入り一列に並ぶ。槍は四メートル半ほどの長さで先端にクッションをつける。これを大きく振り上げ、川の水面に打ち下ろす。すぐ持ちあげて、また降ろす。打つこと数十回、すこし休憩をとって、また繰りかえす。


 さすが軍師殿、よく弁えて訓練を重ねている。士官候補生を養成すると、倍々ゲームで精兵が増えてゆく。



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