第八十一章 龍飛剣

 景虎さまと亜希子の二人だけで虎御前さまの面会が行われた。離れ家で療養生活を送っているので、残りの我々は景信さまと館で待つことになった。平六の動きなど景信さまと話し合う。なかなか追随者が現れないので、最近は身の程を知ったのか、あまり目立った動きはしていないとのこと。


 ただ思い立ったように栃尾城へむかって、百姓どもに年貢を納めるよう強要したり嫌がらせをしている。援軍に出向くと、すぐ城へ逃げ帰ったりとゲリラ作戦をとっている。ただ三条城へ攻撃をする軍勢も集められず、川の右岸にある本成寺の門前町で気勢をあげる程度という。


 本拠地の城を攻めおとしたいが、晴景さまの腰がおもくて出陣してくれず、ヤキモキしているところだとグチをこぼしている。こんな状態なので晴景さまを見限って、景虎さまに大いに期待する一因となったのだろう。


 来年になると景虎さまが栃尾城に入って初陣を飾りますので、それまで我慢ねがいたいと宥めるしかなかった。軍師殿から軍事教練を予定しており、人選をして三条城へ送ってほしいと説明する。いわゆる士官候補生の養成をする。


 景信さまは良い考えだ。初陣のさいは活躍できるよう、しっかり教練で鍛えてほしいと話しに乗ってきた。二陣、三陣と追加のおねがいをしますのでよろしく、と軍師殿も逆に頭を下げていた。任せておけ、と景信さまの力強い言葉に顔がほころぶ。


 一時間ほどで二人は戻ってきた。長い時間の面会は病人の疲れをかんがえて、亜希子が判断したのだろう。景虎さまは血の気がうせた蒼白な顔面で入室してきた。先ほどまで泣いていたのだろう目は赤かったが、涙を見せることはなかった。


 「叔父上、母上をながらく看病していただき、お礼の言葉もございませぬ。誠にかたじけなく有難き次第でござります。これより後もよろしくお願い申し上げまする」

と両手をついて景信さまへ頭をさげた。


「何の、何の。かわいがってくれた姉であれば当然のことをするまでじゃ。姉もそなたの元気な顔、姿をみて安心したであろう。これで心置きなく、そなたの務めに精進できるであろう。それが母上の願いと心得て励むのじゃぞ」


「はい、恥ずかしながら母上に秘かな望みをお伝えいたしました。これで我が子を産んだ甲斐があった、と涙をながしてお喜びになられました。この望みは母上との約束と、心にかたくお誓い申しました。改めて母上からいただいたお守りの言葉を心に刻んで切磋琢磨してまいる所存でござります。叔父上には、今後もお力添えを切にお願い致しまする」


 まわりの者は声をかけるのをはばかった。ただただ景虎さまの心中に思いをはせ、目を潤ませ無言でうなずくだけだった。


 帰り道は来たときと同様に、一列に隊列をくんで北へ向かった。それぞれの思いが胸にふかく沈んで、周りの光景や道のようすなど目にとまらぬまま、馬の早足に身を任せて行く。


 軍師殿が選んだコースは平六が立て籠もる小栗山城と信濃川の中間あたりを走る街道だった。前の世では国道八号線の路線に近い。小栗山城をはるか東の山ぎわに見て北上してゆく。


 異変に気付いたのは先頭をはしる軍師殿だった。三条城の右岸に法華宗の本成寺の門前町が広がっている。とうぜん町は三条城の保護下にある。左手に火の手があがっているのを目ざとく軍師殿が見付けた。


 平六の部下たちで跳ね返り一派が気勢をあげに近くまで遠征にきたらしい。さすがに町のなかは守備兵がいるので、離れた名主の屋敷を襲ったようだ。


 年貢米の徴収先をどちらにするかで揉めたのかもしれない。見せしめのため、武力に訴えたらしい。三条城が領民の保護をするから、反対給付で年貢米を供出するのだ。見逃すわけにゆかない。


 街道をはずれて燃えてる方へ近づく。屋敷が目に入って全員が馬を止める。奥の方の建物に火がついているようだ。軍師殿ともう一人が偵察に走る。


 残った者は近くの木立に入り手綱を枝にしばりつける。テキパキと自分の役割をこなすのを見ると、さすがに護衛に選ばれただけあって手慣れた者たちと安心する。


 まもなく二人が戻ってきて状況を説明してくれた。やはり平六の兵で、見たかぎり六名ほどいる。納屋に火を付けて脅しの材料にしたようだ。話しをつけて、さっさと戻るつもりなのだろう。


 玄関のまえで庄屋を取り囲んで脅迫しているのが四人。門で見張りをしているのが二人。見えないが家の中で家族を見張っている者がいるかもしれない油断するな、と注意している。


 屋敷の方は九郎殿と護衛九名で片付ける。左右に二人ずつわかれ、土塀をふたりが協力して乗りこえる。正面を五人で襲う。


 馬で来ていると思うので、一人が馬番をしているだろう。それを護衛の残り一人と景虎さまが襲う手はずになった。景虎さまは残るよう軍師殿が指示したが、景虎さまがぜったい承知しなかった。


 自分は亜希子のそばで、不測の事態に備えるよう言われた。実戦の経験がない自分は、皆の足手まといになると判断されたと思う。


 戦いぶりを見たいので亜希子の手をひいて、木立の外れから草をそっとかき分けて覗いた。門のふたりは屋敷のなかをのぞき込んでいて見張りの用をなしていない。自分のすがたを見ているようで気が咎める。


 二人が背後から屈みながらジリジリと見張りに近づく。間合いが五メートルほどになった時、右からの一人が飛翔して刀を振り上げた。何かの気配を感じたのか、振り向こうをした首筋を一閃した。頸動脈を切断され、血の本流が噴き出した。


 もう一人の見張りは慌てて斬りかかろうとしたが、すでに背後から間合いを詰められている。後ろから袈裟切りで左肩から右脇腹へ切り裂かれた。


 着地した護衛はそのままの勢いで屋敷へむかう。切り倒した見張りにとどめを刺す。悲鳴を聞きつけた屋敷の四人は庄屋をおいて、こちらへ刀を振りまわし喚きながら近づいてきた。


 土塀をこえた一組は屋敷のなかを探索する。もう一組は四人の背後と側面に回りこむ。前後を挟まれた四人は、力任せに刀を振りまわして戦っている。剣術を習っているとは思えない。これは勝負あったと景虎さまを探しにゆく。


 土塀の角から離れた木立に馬がとめてあった。十頭を数えた。見えにくい場所なので偵察で見逃したようだ。しかし、こちらに見張りが二人いた。景虎さまと護衛が一対一で戦っている。不意打ちができなかったようだ。門前の戦いで気がついたのだろう。


 景虎さまは下段に構えている。相手は振りかざして、裏返ったような声で気合いをかけている。そして気合いとともに、真っ向から斬りおろしてきた。剣の峰を打ち下ろして突きを狙っている。


 景虎さまの剣が擦り上がって相手の剣をはじいた。返す力をつかって相手を斬りおとす。相手はふかぶかと切り裂かれ倒木のように崩れ落ちた。永倉 新八が得意とした必殺剣、「龍飛剣」である。


 林泉寺の裏山で、二人して木刀で練習を重ねてきた。その一つの型を真剣で披露してくれた。何度も練習した龍飛剣、本番でこれほど見事に打ち合うことができるか僕には自信がない。


 つい「七人の侍」の久蔵を思いだした。宮口 精二の一世一代のはまり役。武者修行中の果たし合い、久蔵は下段で構え、相手はおおきく剣をふりかざして吠える。下段から擦り上げて、相手と相打ちのように見えて、剣先は相手を切り裂く。黒澤監督は「龍飛剣」を知っていて使ったのか、と思ってしまう。


 遠くから見ても景虎さまは荒い息をしている。はじめて真剣で人を殺した。景虎さまにとって母上のこともあり、今日は忘れられない日となった。

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