第七十七章 医師団その二

 阿片の栽培は、いわゆる違法なケシを山菜採りの名人と言われる人たちに声をかけて探してもらった。条件は背丈が1m以上になり頑丈な感じがする。全体に白っぽい緑色で、ろう質が付着しており、ほとんど毛がない。


 葉は茎を巻き込むように付いていて、ギザギザが少なく、幅が広い。5~6月ごろ、10cm程度の一重又は八重の大輪の花を咲かせる。花の色は、主に赤、紫、白などで毒々しい色合いである。花の時期が終わると、円形又は長方形のかなり大きなケシ坊主をつける。


 しかし自生していないことも十分考えられる。そこで蔵田 五郎左衛門をとおして、海外交易を本業とする博多商人と繋ぎをとってもらった。棹銅の買い付けで、全国各地から集まる棹銅の問屋とは顔なじみが多い。それらの問屋のツテをつかって、貿易商人を紹介してもらう。彼らを通して阿片の原料となるケシの種子を取り寄せる。


 ついでにロウソクの原料となる蜜蝋を生みだすハゼの木の種子もいっしょに依頼する。史実では千五百九十一年に筑前の貿易商人である神屋 宗湛や島井 宗室によって中国南部から種子が輸入された。ロウソクが生産できれば、今の灯火による照明が一変する。


 もう一つ、トウモロコシの種子も合わせて探してもらった。日本への伝来はポルトガル人が千五百七十六年に、もたらしたが定説になっている。日本にくる前に中国へ伝わっている可能性が高い。トウモロコシの名前からして「唐もろこし」と中国を意味する言葉が重なっている。


 ハゼとトウモロコシは二年後、ケシは三年後にもたされた。やはりケシは越後で自生していなかった。栽培場所は厳重な管理が必要なので、やはり赤田城付近しかない。南方面にあたる二箇所の谷あいは、銅精錬所と硝石精錬所がそれぞれ稼働する予定にしている。


 城の近くが良いので、北方面の谷あいを選定した。有機肥料で地味を肥やす。リン酸が効くので九郎殿の養鶏所から鶏糞をいただく。十分な肥料与え日当たりの良い圃場ほじょうを作る。


 警備は為景さまをとおして赤田城から派遣してもらった。もっともケシの効用など誰も知らないので、今のところ巡回するくらいだ。栽培する農民は年貢の減免を条件に近くの農家が出張ってくる。


 秋に種を蒔くと、翌年の春に開花する。花が枯れて数日するとケシ坊主が稔る。まだ熟していない実の表面に浅い傷をつけると、白色から淡紅色の乳液が出てきて、しばらくすると粘りがある黒色に変わる。ヘラでかき集めて乾燥させると生アヘンができる。


 モルヒネを抽出するには、さらに一工程が要る。今の時代にできるのは、メタノール溶剤で抽出するしかない。メタノールは木酢液もくさくえきを蒸留して作る。幸いにも木酢液の製造は炭焼きの工程に組み込める。窯のなかで木材を焼くとたくさんの煙が出る。


 ただ直に窯と煙突を接続すると冷えにくい。三十センチほど離して吸い込ませる。煙突の長さは十メートルで三十度の傾斜をつける。煙が煙突のなかを上ってゆくうちに冷やされる。粗木酢液が滴となってパイプを伝わって落ちてくる。これを瓶に貯める。


 木酢液を蒸留してメタノールを製造する。この溶液のなかに生アヘンを入れると、粗モルヒネが抽出できる。これを精製してモルヒネとした。木炭は棹銅の生産でも使われる。九郎殿をとおして炭焼き窯に煙突を取り付けてもらった。


 トウモロコシは米と小麦をならんで、世界三大穀物の一つである。冷害につよい作物でもあり非常食になり得る。こちらの目的はペニシリンの培養液を狙っている。トウモロコシを水に浸す。ペーハー 6.5 に保つよう中和剤を入れて温度を二十度から二十四度に保つとペニシリンの増殖に最適な培養液ができる。


 ペニシリンは培養をはじめて四年目に、そこそこの効果をもつ株が見つかった。もっと効果がつよい株をみつける作業を継続しながら、当面この株を増殖して治療にあてる。トウモロコシの培養液にペニシリンの抽出液を垂らす。


 効果的な精製方法は、ペニシリンの培養液を氷点下にした状態で回転させること。

人力では限界があるので、動力源をみつけ取り付ける必要がある。思いつくのは水車だが、当然のことながら水のながれと高低差が必要だ。立地条件が限られてくる。


 冷やす方だが如何せん冷蔵庫やクーラーはない。十日町と野沢温泉の中間付近に位置する山伏山に風穴がある。夏でも残雪がのこり、五度くらいの低温が吹き出す。「神仙の水」が採取できる龍 ケ 窪から信濃川をはさんだ対岸の山で、北西七キロ半ほど離れている。


 うーん今の時点で、そこまでするか、との疑問をもつ。大量生産が必要になってから考えても良い。冬は雪が降るから大きな雪室を建て、おが屑や敷き藁で保温効果を持たせるか、手頃な洞窟でもみつけて雪を保管して、冷気を建物に引き込む。絶対に必要な条件でないので、効率が下がるのを我慢するか天秤の傾き次第だ。


 ペニシリン液の有効期間は冷凍にすると、ほとんど効力に変化はないが、今の時代で無理だ。室温では十日で三十パーセントまで効果が落ちてしまう。やはり粉末にしなければ長持ちしない。アルコールの脱水作用で粉末化を図る。すでに消毒薬として高濃度の消毒アルコールがある。これによって粉末化に成功した。


 あとは弟子たちの外科手術の訓練と薬効を確かめることだ。為景さまが全快してから、移転があるとの前提で身のまわりの整理を始めていた。亜希子にも状況を説明して準備をしておくよう話してある。八月に元服することは、為景さまから内々に話しを聞いていたので、栃尾城の改修は来年の春に延期した。代わりに三条城の改修に取りかかってもらった。


 診療所はもちろん、自宅のプランも亜希子がリードして進められた。どちらも仮り使用になる。とくに自宅は大まかなプランで妥協した。客間を外せない、景虎さまや軍師殿が泊まり込む公算が大きい。


 診療所は使い勝手を優先し、レイアウトを決めてゆく。従前の建物が倉庫なので長方形の矩形である。外周は動かさず内部の配置をどうするかの問題だ。あれこれ悩んでいたようだが、これしかないと決断した。こちらは現場監督の役目も加わった。


 八月の下旬に引っ越しが完了した。寺泊まで九郎殿にテント船三艘で送っていただく。寺泊には軍師が警護の者たちを連れて出迎えてくれた。荷駄用の馬を三頭つれてきたが、馬の背に載せる方法を別に考えなければならない。西部劇の幌馬車ではないが、荷車を馬に引かせた方が大量に且つ早く運べる。


 道路の悪さが最大の理由だろう。道幅がせまく雨が降ればぬかるみになる。山地が多いので勾配がきつく馬でもへばってしまう。河川は急流で橋を架けるのに苦労する。それなら水運を利用して安く大量に運搬できると、もっぱら船が使われたのだろう。


 国中が分国化されて安全保障の面から、道路整備に手をつけなかったことも多かったと思われる。小柄な馬がおおく、去勢されておらず暴れやすいという説もある。


 いちばんの戦略目標が信濃国なので、兵站を考えれば道路の整備が優先順位の

上位にくる。

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