第七十六章 医師団その一

 為景さまが腹を固めたようだ。来年の八月に栃尾城へ景虎さまを派遣するよう、晴景さまへ助言した。晴景さまはさっそく栃尾城を預かる本庄 実乃へ書状を送っている。本文につづいて追而書おってがきで、「来年は景虎を取りだす予定である。勝利は眼前であろう」


 景虎を援軍にむかわせると綴り、勝利は眼前と言わねばならぬほど、晴景は絶望的な気持ちであったことを物語る。景虎さまが出陣の意向を為景さまから伺い、自宅を移転することについて亜希子に相談する。


 一年足らずで戦の前線に出向くのだ。景虎さまの教育もさることながら、戦傷に対する備えをしっかりと整えたい。医師たちを戦場のちかくに置きたい。むろん野戦病院のような屋外では危険極まりないので、拠点とする城のどこかを改造して手術室と病室をつくる。


 今回のばあいは栃尾城となる。事前に為景さまから城主の実乃さまへ改装工事の着手に対して了解をいただく。負傷者の搬入を考えると入り口に近い方がよい。


 軍師殿が城の縄張り図を見せてくれた。為景派だったので、問題なく城内を精査してあった。千人溜まりと呼ばれる広い曲輪がある。この一画にある倉庫を改装することにした。本格的なものでなくて良い、一時的な施設だ。野戦病院のテント張りを考えたら御の字だ。


 現在の医師団のメンバーは亜希子と弟子の三人しかいない。弟子の三人は六年にわたって、じっくり亜希子が養成してきた。手術など実学の経験不足が一番の問題だ。清潔さについては、過敏になるほど躾けてきたので、すっかり身についている。


 消毒薬は酒の醸造所に出向いて杜氏から発酵の手順を教わった。自分たちで作る手間と時間はないので、醸造までをお願いする。とうぜん対価は支払う。


 連続蒸留を行うとアルコール濃度が九十度くらいの蒸留酒ができて消毒には最適だ。しかし設備が大がかりとなって、今の時点で高濃度のアルコールは必要ないと亜希子が判断した。


 単式蒸留でも六十五度から七十度のアルコールが作れる。これ位のアルコール濃度があれば殺菌の用は成す。さいわいに銅塊は九郎殿の南蛮吹きで大量にある。


 為景さまに具申して流用を認めてもらう。さすがに亜希子を命の恩人と崇めているようで、可愛い孫と思っているのかもしれない。ウィスキーの蒸留でよく見るポット・スチルを思いだして、加熱する銅製の大釜と冷却するための銅の細管をむすぶラインアームを注文した。


 三ケ月ほどで完成した。ウィスキー工場に据え付けられているような巨大なものでなく、九十リットルの容量と小さめだ。醸造を依頼した酒造所の酒蔵の一角を借りた。専任に蒸留する者を雇うほどの量はとうめん必要ないと判断し、酒造メーカーに委託して製造してもらう。


 酒造メーカーの契約は完成品の買い取り量を支払う形にした。必要な量を確保できれば良いので、酒造メーカーがアルコール濃度をうすめ新製品として販売するのはメーカーの才覚しだいだ。


 為景さまには一緒にスタッフの増員の許可をもらう。医師は長期展望にたって養成してゆかねばならない。今は秘匿の段階だが、景虎さまが国主になったら、医師の卵を募集が出てくる。見習いから養成するので、できれば十名は欲しい。


 縫合に欠かせぬ縫合針の製作はすでに手をつけていた。形状は二種類あって、半円形つまり百八十度の強弯と、内角が百三十五度の弱弯がある。針の先端の形も丸針と逆三角形の二種類がある。


 丸針は柔軟な臓器や血管など柔らかい器官を縫うときにつかわれ、逆三角形の針は硬い臓器や皮膚など針が通りにくい場合に用いる。逆三角形の形の方が穿通能力に優れているのだ。さすが九郎殿が推薦した職人、こちらの願いどおりの仕上がりで納めてくれた。


 縫う糸は絹糸の一択しかない。「けんし」という絹糸を撚った糸。繊維中に細菌が入りやすいデメリットがあるが、しなやかで結びやすいメリットの方が大きい。煮沸消毒を心がけるしかない。


 針に糸をとおす道具、持針器も亜希子の指示で作らせた。もっとも手術用のラテックスが手に入らない。ゴムの木はこの時代では無理。素手を念入りに消毒するしか今のところ手立てはない。


 包帯と傷口をおおうガーゼは木綿の生産が軌道にのったので供給できるようになった。これこそ地機じばたの出番で、織り子が織り方をコントロール出来る。亜希子が見こんだ織り子に専用で作らせている。


 これまでの時代の刑法は、大宝律令や養老律令が長く続いていたが、鎌倉幕府の三代執権である北条 泰時が制定した御成敗式目(貞永式目)が最初の武家法である。朝廷や公家は公家法、荘園領主は本所法と、それぞれの支配領域を対象として共存していた。


 戦国大名は家臣団統制と領国支配を目的として分国法を制定した。信玄の甲州法度之次第や長宗我部氏掟書などがよく知られている。あたらしく制定された概念が喧嘩両成敗法で、私闘・喧嘩による暴力行為は、その理非をとわず、双方に同等の刑罰を科している。前の世でもよく聞かれた文言である。


 伊達 稙宗が制定した塵芥集は百七十一条からなる分国法で、刑事法が三分の一を占めている。これらの分国法で特徴的なのは縁坐・連座で、親類や縁者を残らず刑罰の対象に含めている。予防という面を含んでいるが、見懲らしめる意味も当然あったのだろう。


 合戦が当たり前の時代で、刑罰は日本史上でもっとも過酷であった。死刑では磔、磔、串刺、鋸挽、牛裂、車裂、のような残虐なものが多数あった。討ち取った敵の首を持参して首実検で戦いの報償を得る。捕虜の斬首は一般的に行われた。見せしめのため、さらし首にする時もある。


 縫合の技術を向上するには実習が一番だ。畳の上の水練で、じっさいに自分の手で縫合針をつかって覚えてゆくしかない。今町では手術などの体験はできず、もっぱら耳学だった。弟子の三人には縫合の技術を身につけさせねばならない。


 最初は死体をつかって慣らしてゆく。そのために公開処刑した後の死体を使う。柏崎は繁栄した町で人口が多い。様々な人間が流れこむ。犯罪もおおく発生する。処刑は公開で見物人も押しかける。死体は無縁墓地にでも放りこまれるのだろう。


 杉田 玄白が罪人の処刑後に、死体の腑分け(解剖)を見学したイメージだった。しかし弟子たちにはキツすぎてトラウマに成りかねない、と亜希子が心配した。医者を辞めるなど言いだし兼ねない。それに刑死体をどのようにしたら手に入るのかも分からない。この案は無理っぽいと諦める。


 もっと軽い縫合から慣らしたほうが良いとなると、目の前で合戦をやっているのだ。平六の乱は未だ終息しておらず、その為に景虎さまが栃尾城に派遣されることになった。本格的な城攻めや決戦は行われていないが、散発的な小競り合いは続いている。


 戦死者や負傷者は当然ながら発生している。負傷者の手当で腕をあげながら、慣れてきたら敵の戦死者を解剖する。首を切りとられた死体だが、主眼は体の仕組みや構造なので支障はないだろう。


 最初の引っ越し先は三条城となった。景虎さまの派遣は来年で、教育の事がある。

亜希子や子どもの安全を考え、研修する弟子たちも近くに置きたい。三条城の選択肢しかなかった。二の丸にある一棟を改修して自宅とした。残念ながら五右衞門風呂は持ってこれない。


 今町の住まいは荒浜屋今町支店に管理を任せることとした。お菊も二十代の前半になっている。この年なら結婚していて不思議でない。年増と呼ばれても反論のしようがない。どこが気に入ったのか結婚話に耳を傾ける気配がない。亜希子とよく相談しないと我が家のお局さまになってしまう。


 医療所は大手門から入った三の丸の曲輪にある蔵の一棟を改修した。手術台や手術道具を収める棚や引き出し、消毒薬や麻酔薬などの薬品棚、包帯やガーゼなどの消耗品を収納する引き出しなどを取り付ける。


 清浄な水が必要になるので、片隅に煮沸用の釜と鍋も設置する。治療をうける者の控え室や手術が終わった者たちの病室など考えることは沢山ある。三人の弟子たちの部屋も一角を仕切った。


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