第七十二章 懸 念

 一週間ほど亜希子は経過をみていたが、本復と判断し弟子をひとり残して自宅へ戻った。弟子はぬか汁の抽出をつづけ、ビタミンB 1を摂取できるよう取り組んでいる。為景さまはすっかり元気となり、歩けるようになった。食事の内容を改めて、麦飯に変え多種類の副食物をたべるよう献立を見直した。


 自分は三条城にそのまま残って、軍師殿と今後の情勢など、さまざまな意見交換をした。まず目下の平六の乱の分析をする。平六が拠点としている城は小栗山城である。三条城と栖吉城の中間付近にある標高百十八メートルほどの山城。平六は確かに晴景さまの軍勢を蹴散らすほどの武力にすぐれた武将だが、軍師殿の評価では、お山の大将に過ぎない。


 のちに反乱を起こす黒田 秀忠や、柏崎の柿崎 景家などに呼応するよう呼びかけているが、積極的に動いているわけでもない。自分に頼んで、旗を掲げれば皆が付いてくると思ってる自意識だけがつよい頭しかない。兵を引き連れ、あちこちで気勢をあげているだけの、いはば空騒ぎをしているだけ。今は無理に力攻めをしなくとも良い、と冷静な判断をしてくれた。


 黒田 秀忠はなかなか腹の底をみせない人物で、彌彦神社から南へ一里たらず離れた山城の主。自分も越後の主になる資格を持っているとの自負心を秘かに隠しもっていると囁かれている。晴景さまの元で仕えながら、あわよくば取って代わろうと野心をもつ要注意人物との評価である。


 秀忠の父である胎田常陸介しょうだひたちのすけは、平六につくと旗幟を鮮明にした。三条城から南へ十二キロほど離れた山城に籠もっている。弟の金津 伊豆守は立場を明らかにしていないが、いつ同心してもおかしくない。


 柿崎 景家は今のところ日和見を続けている。晴景では頼りないし、為景も老い先短い爺だ。しかし平六が越後を引っ張ってゆける人物とも思えない、と決断を先に延ばしている。


 つい軍師殿に悩みを打ち明けた。「目的は手段を正当化する」について聞いた。

「そもそも侍は『つわものの道』をもつ者。戦や殺生を生業なりわいにしておりますぞ。観念論でなく現実で戦っている心構えでござる。武士は犬と言われようが畜生と罵られようが勝つことが全てでござる」


「戦では何でもあり、ということですか?」

「戦場では相手を出し抜くため平気で嘘をつきますぞ。謀略やだまし討ちなど日常茶飯事でござる」

「騙される方が悪い、ということでしょうか」


「謀略やだまし討ちは『兵の道』や『武略』のなかに当たり前に含まれておりますぞ。それに引っかかるお人好しの方が悪い、これが武士が元々もっておる価値観でござる」


「後世の武士道では、正義と潔さがを尊ぶ誇り高いイメージが定着しておりますが」

「それは泰平の世の世迷い言であろう。わが父からいつも『博打をうて、そら言をいえ、一時の内に七度そら言をいわねば、男はたたぬぞ』と言われて育ったものよ」


「葉隠れ」は「武士道というは、死ぬことと見付けたり」とのフレーズが一人歩きしている。武士の高潔な覚悟を説いた書とのイメージがつきまとう。中を読むと修羅場をくぐった者でないと言えない遺訓がある。肥前藩の始祖である鍋島 直茂の言葉が載っている。


「忠も孝も入らず、武士道においては死狂いなり。この内に忠孝は自ずから籠もるべし」 忠も考も考えず、ひたすら死に物狂いで戦うだけだ。忠考は結果として後からついてくるものだ、と教えている。


 この時代の武士は、戦で相手に勝つため偽計から謀略まで何でもありで、自分がやられたくなかったら常日ごろから武芸の鍛錬を怠らず、まわりから甘く見られないよう心がけて、油断なく暮らす。前の世では反社会的とおもえるような価値観である。

これが軍師殿の見解だ。


 全員が同じではないだろうが、戦国時代の武士のメンタリティーが理解できた。きれい事がとおる世の中でない。自分の欲望の達成のため、何でもするというバイタリティーあふれる者たちが闊歩している世界なのだ。自分の武士像にたいする甘さが分かっただけでも収穫だった。


 最後に軍師殿がつけ加えた。

「某と弟と、どちらが信濃国に残るか話し合った時。談合できずに最後はクジ引きで決めたわ。某がちょっとした細工をしてのう、某が勝ち申した。弟が悔しがってなあ、見抜けなかった眼力の甘さを嘆いておったわ。兄弟でもそんなものよ」


「ズルをするほどの魅力的な提案でございましたか」

「ウフフ、たしかに天下人の軍師とは、田舎でくすぶっておる者にとって、これを逃したら名を挙げる機会など二度とやってこぬわ」

「四人が力をあわせて天下を勝ち取ろうぞ」


「その意気じゃ。お主とご内儀そして某は、気心もわかって理解しあえる。天下取りに何が重要か合理的に判断できる。気がかりは、虎千代さまじゃなあ。輪のいちばん弱いところだ。某は一度も会っておらん。お主の見立てどおりの戦上手としよう。しかし戦にいくら強くとも天下取りは出来ぬ。お主もいろいろ心配しておるじゃろう」


「二つございます。一つは関東から管領の上杉 憲政が北条 氏康に敗れ、史実では十七年後に越後へ逃げこんできます。権威によわい虎千代さまは管領に就任し上杉の姓を名乗ります。その後は関東出兵という不毛の戦を永年つづけて天下をねらう時期を逸してしまいます」

「天下を狙う者にとって管領は幕府の役職にすぎぬと割り切れるかどうか。憲政の処遇をどうするかだな。窮鳥 懐に入れば猟師も殺さず、と言いだしかねないぞ」


「二つ目は一向一揆の対策です。加賀国は一向宗の本願寺の手が国を支配しております。さらに尾張の長島も一向宗の一団もあります。これらと対決したのが尾張の信長でござる。三度の長島の合戦で、門徒衆のおおぜいを虐殺し壊滅させました。さらに比叡山を攻撃し全山を焼き払います。加賀の門徒衆の多くは虐殺されて崩壊しました」


「うーむ、神や仏もおそれぬ所業じゃのう。目の前に立ち塞がるものは、世間から神聖なもので触れてはならぬものでも蹴散らすだけの覚悟をもった男だな」

「たしかに。信長をこれらを実行したから、宗教と政治が分離できたと、後世では偉業の一つに数えられています。我々も天下統一の過程で、いつかの時点で決断しなければなりまぬ。はたして虎千代さまが命令できるか、今は判断できません」


「それなら、やった者にやらせれば良いとの考えもあるな」

「えっ! 信長に。と言うことは部下にせよ、との意味ですか?」


「まあ姑息な手段と思うよ。自分の手を汚さずに他人に汚れ仕事を押しつけるわけだからな。暗黙の了解で黙認する形をとるにしても、それでも悪評が虎千代さまに降りかかるのは間違いない。第一義はお前の教育のよろしきを得て本人が決断することだ。無理なら誰かが詰め腹を切って、トカゲの尻尾切りにするか」


「謹慎処分くらいなら我慢もできますが、切腹ものなら割にあいませんね」

「徐々に勢力を削ってゆく方法もあるが千日手になりかねない。また劇薬であったればこそ、見せしめの効果で敵に恐怖心を与えたことも事実だろう」


「信玄は本願寺顕如と縁戚関係にあって、一向一揆をかげから操作して謙信を苦しめたのは有名な史実であります」

「ふーむ、信玄ぼうずはその手を持っておるのか」


「こうなると、虎千代さまを早く還俗させてお主の手許でじっくり教育した方が良いのでないか?」

「そうですね。あまりにも信仰にのめり込んでしまう懸念もありますし、武将の訓練は為景さまや軍師殿が傍で教育や薫陶もできますね。さっそく為景さまに申しあげてみます。大病をわずらって心変わりすることは十分ございます」


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