第七十章 君主論

 似絵にせえは鎌倉時代にさかんとなった肖像画だが、臨済宗の僧侶が弟子にわたす頂相ちんぞうも一派かもしれない。袈裟をまとった座像は、顔の特徴が的確に捉えられており、面影をよく残している。


 源 頼朝像はよく目にする肖像画で、藤原 隆信によって描かれたとされる。表情は威厳に満ち、内に秘めた性格さえも浮かび上がらせてくる。礼拝の対象として描かせたのであろうが、十分その意を体している。隆信は他にも最勝光院の障子絵で人物の面貌だけを手がけたという。


 子の藤原 信実は似絵の大成者として名を成した。後鳥羽上皇が挙兵前に描かせた「後鳥羽上皇像」は水無瀬神宮に伝えられている。斜め前からの座っている像だが、高揚した気分を一瞬の描写で写し取った傑作である。いずれも大和絵の手法で描かれたもので細密画とは違う。


 林泉寺は曹洞宗なので臨済宗とちがい肖像画などの慣習はない。虎御前の肖像画をえがく絵師は九郎殿が見つけてくれた。書院造りの建物が流行だして床の間に山水画、ふすまに花鳥風月など彩色画の需要がふえてきた。


 京から名の知れた絵師が弟子たちをつれて制作してゆく。弟子のなかから居心地が良くて住みつく者や、独立した絵師として身を立てる者が出てきた。


 柏崎で独立心のつよい俊英の絵師を連れてきた。今までの大和絵の作風に飽きたらず、独自の画風に挑戦したいと意欲あふるる人物と紹介された。問題はスマートフォーンの画像をどう見せるかだ。スマホをそのまま操作して画像を見せるのは抵抗がある。紙の箱をつくって画面のおおきさに切り抜いて見せた。隠しようがないので、いずれ分かることと割り切るしかない。


「ほう、これは!」

としばらく亜希子の高校生時代の肖像画に見入っている。 

「筆ではござらぬな。何で書かれたものでしょう」

シャーボを取りだす。

「鉛筆という道具でござる。本来は濃淡さまざまな濃さの鉛筆がござるが、これ一本しかござらぬ。筆力の強弱で表現せざるを得ないと存ずる。反対側に消しゴムがついておるゆえ線を消すことが可能でござる」

「これだけ正確な容貌を描くとなると、物の形をきちんと書く練習から始めねばなりませぬな」

デッサンの重要性を認識したようだ。

「時間はタップリあるが、道具は限りがある。替え芯のケースに残っておるのが無くなれば補充はできぬ。そこは心得ておいてくれ」

「本日はこの似絵をしっかりと記憶にとどめ我が家で練習いたしたく存ずる。自分なりに工夫をし納得できた暁に、改めて参上し描かせていただきたい」

「つかぬ事を伺うが、九郎殿から報酬の話しは聞いておるのか?」

「今回の仕事は某があたらしい画風を求めてのこと、活計たつきが賄えば十分でござる」

「では出来栄えを評価して、こちらで成功報酬として別途に支払おう。そちらの励みになれば嬉しゅうぞ」

「お心遣い忝くお受けいたします」


 鉛筆の原料は黒鉛だ、教育となると大量の筆記用具が必要になる。どこで黒鉛を採掘できるのか、山師と相談せねばならない。


 話しは変わるが虎千代さまの信仰に危惧を覚えている。林泉寺は曹洞宗の寺である。宗派でいうと禅宗となる。曹洞宗と臨済宗の二つの流派がある。一番わかりやすい区別は、通路の方をむいて座禅しているのが臨済宗。壁の方をむいて座るのが曹洞宗である。


 ダルマが宗祖で座禅が基本的な修行となる。禅宗は不立文字を原則として、文字や言葉の上には真実の仏法がないと説く。しかし謙信の信仰は禅が信仰の中核であったが、真言宗さらに善光寺如来や小菅などの山嶽信仰が混入していた。


 天室大和尚の後継者である益翁和尚から出された禅問答で、達磨不識の公案によって不識庵と号したほどの禅徒でありながら、密教的な諸神・諸仏にも祈って加護を期待した。武人として毘沙門天を崇拝し、春日山の鎮守たる春日明神にも奉じている。


 これは信玄にも通ずることだが、「現世利益」を現実的な利益を期待するので、祈願の対象となる仏神は霊験によって選ばれ、宗派に左右されない。前の世の宗教観に適合することで、日本人の融通無碍で教義にこだわらない性向は日本人の特質かもしれない。


 二度の上洛のさいには高野山に参詣し、四十一才から法名を謙信として、この名前が定着した。禅に特化し純化するのでなく、逆に真言の加持祈祷を徹底して取り入れ、比叡山や高野山への接近に努力したことは、保守性や後進性と評価されてもやむをえない。


 日蓮宗の本成寺、時宗の称念寺や専称寺に対する寺領の安堵・寄進・再興、そして石山本願寺の証如への多額の贈与などは信仰心によるものでなく、国主としての内政や外交の一環といえよう。


 人間の内心など推し量れるものでないが、殺生は仏教の最大の罪として最も禁じられている。釈迦は五戒を説いたという。殺してはいけない、盗んではいけない、不道徳な性行為を行っていけない、嘘をついていけない、酒を飲んでいけない、の五つである。


 謙信は五戒のうち不殺生戒、不飲酒戒は、自分は守れない。不偸盗戒、不妄語戒は、守ることができる。そして不邪淫戒を貫き通すことでバランスを善の方へ傾け、精神の安定と救いを見いだしたのかもしれない。


 自分も平和な社会を作るための大義名分をかかげ、日本統一を目指しているが、

目的は手段を正当化する、の命題に直面する。この箴言はマキャベリの「君主論」からと言われる。原文は「すべての人間の行動は、特に君主のそれは、結果によって判断される」とあって、もっとやんわりとした言い方である。


 このジレンマは倫理学で議論となる。「誰かを殺すことで世界を救えるなら、あなたは実行するか?」 ドストエフスキーの「罪と罰」のテーマでもある。殺人は明らかに非道徳であり、犯す者も非道徳である。しかし世界を救うことは道徳的で良い結末である。この論理は許されるのであろうか。


 虎千代さまと自分は帰するところ同じ悩みを抱えることになる。謙信は信仰と飲酒に逃げ場をみつけたが、自分は何によって立つのか? まさか哲学的な悩みに直面しようとは夢にも思わなかった。


 戦争とは縁のない平和な社会に生きてきた自分だ。戦争はゲームの世界であり、頭では悲惨さを分かるつもりでいる。しかし現実に会話をかわし教えてきた部下たちが、命のやり取りをして最悪のケースでは死んでしまう。将棋の駒が現実の人間になるのだ。それに耐えられるであろうか。


 我が身をまもる自衛の戦いで無い。意思を持って相手をころし倒すのだ。亜希子の愛読書は「罪と罰」と言っていた。主人公ラスコーリニコフは二人を殺している。戦争というおおきな殺人まで敷衍できるのだろうか。亜希子は折り合いをつけているのかどうか。クリスチャンでないので神の摂理など持ち出さないだろう。亜希子の見解を聞いてみたい。


 チャップリンは「殺人狂時代」の映画で「一人の殺害は犯罪者を生み、百万の殺害は英雄を生む。数が殺人を神聖化する」とつぶやいて死刑台にのぼる。信長は比叡山の焼き討ちや長島の一向一揆の撫で切り、さらに加賀の一向宗の虐殺によって、宗教が政治に関与するのを断ち切ってしまった。


 信長は既成宗教を利用して勢力の維持拡大に利用し、政権をおびやかす勢力に対しは徹底的に破壊尽くす合理性を持っていた。はたして自分に宗教戦争をおこす進言ができる覚悟はあるのか。荒療治をしなければ近代化を達成できないのだろうか。


 この点が虎千代さまと一番の対立点となることが予測される。機会あるごとに話し合いを続けてゆくしかない。


 


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