第六十九章 歴史のおさらい


 虎千代さまの教育は歴史の概説から始めた。武士が命をかける一所懸命なる土地制度が、どのような経過で現在にいたっているか大略でも歴史を知ってもらいたい。


 大和国家の成立や聖徳太子を通して天皇制の成立と律令政治をなぞった。まず天皇制が理解できないと今後の政策に支障をきたす。日本あちこちにある神社の最高神官だと簡単に説明する。政治から一歩引いて関与せず、もっぱら神事を司っている。今は第百五代の後奈良天皇が即位なされている。


 大化の改新によって公地公民の制度で国がすべての土地を管理していた。国ごとに国司をおいて徴税していた。しかし平城京と平安京の遷都そして東北への遠征で、農民に多大な税金が課せられた。税金を払えず逃げ出す農民は浮浪人となり世情が不安定になってゆく。やむを得ず自作農を増やして税収を確保しようと政策を変えた。


 それが墾田永年私財法で、自分が開墾した土地は永久に私有地とみとめることになり、公地公民の原則が崩れた。だが開墾できる人は貴族や寺院など富裕層にとどまり、逃亡した農民や浮浪者は小作人として、それらの私有地で働かざるを得なくなる。


 広大な多くの私有地が乱立するのを「荘園制度」と呼ぶ。国司は荘園から徴収しようとするが一筋縄では取れない。有力者は納税を拒否し、公家の名前をバックにして拒む。そこで国司は、有力者から取るのでなく、徴税を請け負わせ制度を取りいれた。これがうまくいって双方の関係は win-win の対等の関係となり機能するようになった。尤も取られる側の農民たちのくるしい立場は変わらない。


 こうして徴税事務を請け負った者は、脱税防止やトラブル防止のため武装化してゆく。納めた税金はすべて平安京へ送られるのが原則だった。しかし京へ運送する仕事をうけおった各地の富裕層の者たちは、税を横領して皇族や有力な貴族へ寄進して私腹を肥やしてゆく。


 さらにノルマが未達成だったり賄賂として渡してしまった税金を補填するため、他の税を運ぶ人たちを襲い始めた。これらは海賊と呼ばれた。


 国司たちは税金を横領する者、強奪する者に対抗するため傭兵を雇った。この傭兵の多くが俘囚ふしゅうという人々だった。平安時代の初期に東北で、朝廷と蝦夷の三十年にわたる大戦争があった。最後は朝廷が勝ったが、蝦夷たちを帰化させるため関東以南へ移住させた。この子孫が武士の登場におおきな影響を与えた。


 彼らは日本刀と騎馬をあやつる戦法に長けていた。平 清盛の先祖や義経の保護者である藤原 秀郷の先祖が初代の武士と言われる。彼らの戦法は弓矢による騎射で相手を弱め、馬上の剣で相手を切り倒す。強制移住させられたが、生活ぶりは前と変わらず馬で山野をかけめぐり狩りで生計を立てていた。日本人でも見よう見まねで武芸をおぼえ身を立てる者があらわれる。


 そこに起きたのが平 将門の乱と藤原 純友の乱で、朝廷に激震が襲う。将門は自分が関東一帯の支配者になる、と宣言して反乱をおこす。両者とも鎮圧されるが、将門はその後の武士におおきな影響を及ぼした。将門ができるなら俺たちでもと、武士たちに政権を掌握する可能性が芽生えたのだ。


 台頭する武士のなかで保元・平治の乱により平氏による政権の基礎ができる。清盛の太政大臣の就任で武士がはじめて政権をにぎる。清盛の死から源平合戦が勃発、勝利して頼朝が征夷大将軍となって鎌倉幕府がはじまる。征夷大将軍は朝廷の令外官の一つである。軍事権を握って天下の政務を執行する武人に与えられる。


 頼朝はその権限で守護と地頭をもうけた。もともと守護と地頭に身分の差はない。どちらも御家人で、地頭である御家人のなかで有力な御家人が、国ごとに言わば旗頭として守護に任じられた。守護は地頭職をしながら在国の軍事・警察権を与えられていたが、他の地頭へ介入する権限も裁判権もなかった。


 地頭は朝廷が管理していた土地や公家が管理していた土地を徴税をふくめ管理が出来た。承久の変に勝利したことで、朝廷や公家の土地をおおく奪うことで地頭の数は一気に増えた。


 武士が戦の論功行賞で土地の支配権を得られる世になった。勝ち組について奉公すると主君から土地を賜る。その土地を命がけで守る。一所懸命の言葉が発生した由来である。


 三代で滅びた源氏は北条氏が執権となって武家政権を継続する。元寇を乗り切ったが、その過程で基盤がよわかった西国に守護や地頭をおき、国中の支配権を確立してゆく。しかし幕府は戦費と恩賞の配分で、さらに貨幣経済の発達で経済的に弱体化してゆく。


 それを滅ぼしたのが足利氏。後醍醐天皇が建武の新政で公家中心の政権を打ち立てたが、昔の貴族政治をめざし武士の反感をかって失敗。足利 尊氏が京都に室町幕府を開く。南朝方と戦っていた幕府は北朝方の守護に、年貢の半分を地頭より優先的に徴収できる権限を与える。


 さらに地頭間の年貢をめぐる争いに介入して裁定をくだせるようにした。軍事警察組織だった守護に徴税権を与えたことが守護大名の勢力拡大につながる。こうして身分差がなかった守護と地頭に上下関係が生じ、守護は守護大名として立場を強化してゆく。地頭は国人衆と呼ばれるようになり、地頭の言葉が使われなくなった。


 越後では戦国大名への過渡期であり、各地で自立性の意識がたかい国人領主を国主の元に主従制をつよめ、いかに軍事力と権力の編成を図るか腕が問われる。


 



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