第六十八章 戦争論
「虎千代さま、越後の守護はどなたでござる?」
「府中にすむ上杉 定実さまであろう」
「さよう、しからば兄上の晴景さまの立場はご存知か?」
「守護代でござろう」
「では守護と守護代は、どちらが偉いとお思いか?」
「代という字は代わりという意味じゃなあ。守護の代わりとなれば守護が偉いことに
なる。しかし兄上は春日山城で大勢の家臣と共に政務をみておる。定実さまは府中の館でひっそりと暮らしておるぞ」
「そう思うに不思議はございません。政治の実権は守護代が握っておるのが現実。これは越後だけではござりませぬ。尾張の守護は
「守護は将軍さまが任命なさるもの。それでは武家の棟梁なる名前が泣くであろう」
「この時代は実力が物言う世界。いくら立派な名跡や位人臣を極めても、人は崇め奉りますが、その下で働きませぬ。この主人は戦に強い、奉公すれば働きに応じて公平に報償をくれる。そう思えばこそ神輿に担いでくれ、命をかけて戦います」
「正義の戦もあろう。私利私欲の戦などする気にもなれぬわ」
「盗っ人にも三分の理があると申します。虎千代さま、正義とは何でありましょう」
「それは...... 道理に適った正しいことであろう」
「では正義の戦いは如何なる戦いでござるか」
「正義の反対である悪との戦いでないか」
議論が堂々めぐりになってきた。
「虎千代さま、正義の戦いなるものは古今東西を通じてない、が結論でございます。
信じる教えを守るため、住んでいる土地を侵略から守るため、愛する家族を守るため、戦には様々な大義名分が掲げられ、その旗の下おおくの人々が戦って参りました。戦では敵味方とわず傷つき死亡する人々が大勢うまれます」
「その大義名分は尤もなことばかりと虎は思うが?」
「はい、これらは自衛の戦争であり正義の戦いとも言えるでありましょう。しかし所詮は降りかかった火の粉を払っただけで、根本的な解決につながりません。小手先だけの対応といえましょう」
「では大元を絶てというのか」
「そうです。虎千代さま、今の世で正義とはなにか? この戦乱の時代で、皆が平和で穏やかに暮らせる世の中を作り上げることではございませぬか。日本中のあちこちで自分の領土を守るため、また拡張するために隣国と相争う日々が続いています。
平和な社会をつくるため日本統一をめざすことこそ、虎千代さまの正義ではありますまいか」
「日本を統一する。これまた遠大な望みよな」
「戦いの半ばで大勢の部下を失うでしょう。戦に臨んで自分は無意味に死ぬのでなく、せめて より良い明日の世界に通じる礎になると常に教えこむ必要があります。戦いの最前線に立つ常備軍の士気をたかめる事が必勝につながります」
「虎は常に戦いの中枢で指揮をとるつもりだ」
「正義の戦がないのであれば、戦の意味をしっかり把握して目標とする日本統一に適う戦であるか問う必要があります。意味のない戦いに配下の命を掛けるなど もっての外、ましてや国主の名誉の為とか、頼まれたから義侠心で遠征するなど個人的な思惑で国力をそこなう戦は絶対にやってはいけませぬ。戦略はともに考え納得して進めましょう」
どこまで出来るか分からぬが釘を打っておかねばならない。
「戦上手の虎千代さま、越後の豊かな資源、それを活用できる知識をもつ某と医術をきわめた妻、時がきたればご紹介いたしますが戦略に秀でた軍師と卓越した四人がそろえば天下に恐れる者はございませぬ」
「そなたの言葉をきくと胸がふくらむ思いがしてくるぞ」
「今は雌伏の時でござる。しっかりとご住職のもと勉強に励んでくだされ。天下人は感情に流されてはなりませぬぞ。常に人の意見を聞き、冷静に物事に対処せねばなりませぬ。座禅を組み、平常心を養うことは良い修行と思います」
「虎の気短な性格はよう弁えておる。カッときたときは姉上の顔を思いだすようにしておる」
おお、亜希子を姉上と呼んでいるのだ。戦では狂気になる瞬間もあろうが、普段は穏やかな性格でいてもらいたいものだ。
「別の機会に日本の歴史をざっとお教えしますが、虎千代さまは天下人になるとの気概で事に臨んでいただきたい。礼は尽くさねばなりませんが、守護や管領であろうと否 将軍であろうと、虎千代さまがへりくだったり、崇めたてまつる必要はございません。尊大な態度をとることもありませんが、常に天下人の誇りを胸に、平常心で接していただきとう存じます」
「将軍さまにお目通りなど体が震える心地がするわ」
「おなじ人間でござる。母親の股から生まれたことに変わりはありません。喉が渇けば水を飲み、腹がへればご飯を食べる。下品な表現でござるが、屁をふって糞を垂れる人間でござる」
「糞を垂れる、とな。あっはっはっ。そうか、同じ人間か」
「人間の価値は肩書きで判断できませぬ。その人が何をしようとしたか、何をしたかで決まるものでございます。虎千代さまも上辺で評価するのでなく、意欲と実績で正当に判定してくだされ」
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