第六十七章 麻 薬

 「最後にハードルが高いと思うけど麻酔ね。痛みに堪えきれず失神して後遺症が残ったり、暴れて手術にならないわ。江戸時代に華岡青洲がチョウセンアサガオ、トリカブト、トウキなど六種類の薬草から全身麻酔薬を完成して乳ガンの手術をしたのが世界初の麻酔手術といわれているのよ」

「ふーん、江戸時代に全身麻酔をやっているんだ。じゃあ、作り方は分かるんでしょう?」

「この薬は実験台に母と妻を使ったの。母はなくなり妻は失明したわ。それで危険すぎると思ったのか秘伝書として後世に残さなかったわ。今の世ではまだ手に得られない薬草もあるから無理ね」

「すると何を考えているの?」

「笑気ガスなら何とか合成できるんじゃないかと考えているんだけど。難しいかな?

硝酸アンモニウムという物質で、火薬や爆薬の原料となるし、化成肥料の大事な物質だから、ぜひとも合成できないかと思ってる。前の世では硝安で有名だったわ」


「そうか、爆薬は採掘や土木工事に欠かせないから、武器としてより民政で活用する場が多いね。肥料や爆薬の原料となるなら挑戦してみたいなあ。名前からすると硝酸とアンモニアの化合物に聞こえるね」

「アンモニアの製造がネックになりそうね。アンモニアガスは自然界の腐敗するものから発生するけれど、チマチマ集める手間と時間では効率が悪すぎるわ。やはり工業的な生産でないと実用的でないし」


「硝酸は硝石からなんとか合成できそうだけど、アンモニアは高圧に耐える器具が必要だし、シーリングが難しいだろうね。どちらも今の加工技術では手に負えない。しっかりした工作機械を作るところから始めなければならないと思う。時間を要するね。笑気ガスの代替品は他にないの?」


「阿片からモルヒネ投与ね」

「うええ、麻薬か? 確かに前の世では麻薬として禁止薬物だったけれど、医師の監視の下で治療の一環として使用するのは許容範囲と思うけどなあ。患者の苦痛を考えれば人道的な見地からも許されると思うし、管理を厳重にして医師のコントロールの元で使用するのは構わないと思うよ」

「あなたと私の二人で負うべき責任として分かち合うしかないのでしょうね」

「隔離した畠で、身元がしっかりした者が栽培する。モルヒネの在庫管理を厳重にして横流しなど起こさぬようにセキュリティを強化する、このくらいの対策しか今は考えられないけどね」


「ケシの花を捜さなければならないね。ケシの実から阿片を採取するんでしょう」

「見分け方があって、葉が平べったくて太いもの、葉や茎に毛が生えてないものが禁止されているケシよ。花が散ったら『けし坊主』といってプックリと膨らむわ。九郎殿に山菜採りの名人でも紹介してもらって探してもらいましょう」


「それに看護婦も養成したいけれど、世間は女性を生む機械としか考えていないわ。尤も前の世でも大臣が失言してクビになるくらいだから、日本人の意識は五百年経っても変わらなかったのね。せっかく一人前に育てても親の言いつけで、結婚する子が大部分と思うわ。なにか賽の河原を積みあげる気分になると思って手がつけられないわ」

「それでも徐々に世の中の意識も変わって行くんじゃないかな。亜希子が先駆者として開拓者として光り輝く存在として評価される日がきっとくるよ。自信をもって二人で歩もう」

「ありがとう。理解ある夫で感謝しております」


それまで黙って聞いていた軍師殿が口をひらいた。

「拙者の娘いまだ幼子でござるが、ぜひご内儀のもとで教育させたいと常々思っておりました。まあ本人の素質や気持ちもありましょうが、傍から拝見しておりまして、世のため人のために尽力する姿に敬服しております。我が娘も一助になれば、これに過ぎたる喜びはござらぬ。先の話しになろうが、気に留めておいてくだされ」


「これは、これは忝いおことば、まことに嬉しゅうございます。真田さまも愛しい娘が幸せなお家庭との夢を見ておられると存じます。おなごの幸せは、愛する夫とかわいい子ども、これはいつも変わらぬ世の幸せと思います」


「今は戦乱の世の中、わたしも平和な世を作り上げる一助となればと越後に参りました。そこに一点の迷いもござらぬ。しかしながら真田の家をのこすのも当主の大事な務め、お先祖さまに顔向けが出来ぬことなど思いも寄らぬことと考えておった」


軍師殿の言葉が止まらぬ。

「結婚は家の都合、本人の気持ちなど斟酌する余地などござらぬ。家のため非情になれと言い聞かせてまいり申した。子どもたちにも、その心がけを命に刻むよう育ててきたつもり。しかしあなた方の夫婦をみて、別の道もあるのかと考えるようになってきた日々でござる」


「能力のある おなごは、その才能を花咲かせるべきでないのか。元より本人の能力と意欲しだいでござるが、それを見極める場が必要でないかと考えておるところでござる」と続けた。


「軍師殿、それが教育です。前の世では六才から十六才まで男女をとわず義務教育として学校へ通う仕組みがありました。勉強したい者はさらに三年、その上に四年と上級の学校へ進めます。この世界でも少なくとも六年、できればさらに三年を勉強させる仕組みを作ろうと考えております。虎千代さまが国主になられた時代に必ず実現して見せます」


「学校ができたら、きっとあらゆる分野に活躍する子どもたちが現れるでしょうね。大部分は農家の子どもたちでしょうから、貴重な労働力をいかに学校に来させるか、そこから手をうたないと絵に描いた餅になりかねないわ。真田さま、戦だけでなく国造りの戦略にも頭をお借りせねばなりませんよ」


「そうじゃのう、ただ拙者は戦働きの謀を求められてきたと思っておる。領国の経営は国を富ませる大事な策でござるが、当面は越後の国の統一に専念いたしたい。今後の戦の遣り方で一番変わるのは何じゃ?」


「はい二年後になりますが、種子島に南蛮船が漂着いたします。そして鉄砲という武器が伝来します。鉄砲は細長い鉄の空洞に鉛の弾を詰めこみます。火薬を爆発させて鉛の弾が目にもとまらぬ早さで飛んでゆきます」


「飛距離は最大で三百間(五百四十メートル)といわれておりますが、的に当てる有効射程距離は三十間から五十五間くらいでしょう。厚さ八寸(二十四センチ)のヒノキ板を十六間半(三十メートル)から狙って貫通する威力があります。手慣れた者は、この距離で五発の全部を的に当てる技量を持ちます。二十七間半(五十メートル)に延ばしますと五発うって四発という命中率を誇ります」


「さきほど軍師殿が鎧のはなしをされましたが、厚さ三厘(一ミリ)の鉄板を二十七間半の距離から撃って貫通しますので、二枚重ねるか工夫しませんと防御は難しかろうと思われます」


「うーむ、普通の鎧では防げぬということか......」

「はい、ただ欠点として連射が効きません。一度 弾を発射しますと弾込めに時間を要します。この時間差をいかに少なくするか運用の妙が問われると存じます」


 いまのところ実物を見ていないのだ。実物ができあがって数がある程度そろってから運用術が本格化するだろう。今から考えておくことも有効と思われる。



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