第五十七章 混 迷

 軍師から偵察して得た重要な事実を教えられた。転移してきた五年前の四月、三分一原さんぶいちはら合戦という越後国の覇権をかけた「天下分け目」の決戦があった。


 守護の上杉 定実の実家である上条一族の惣領である上杉 定兼が総大将。傀儡にすぎぬ定実の実権をにぎる為景をたおし、名実ともに守護たる地位をうばおうと挙兵した。宇佐美一類・柿崎一類、揚北衆らを糾合して春日山城をめざしていた。


 為景の専横に反発した国人衆の多くが呼応する。まさに越後は長尾方と上条方に二分され、全土が大乱の渦に巻きこまれた。為景方は各地で分断され、本人も上越で孤立してしまった。


 城攻めも視野に入れている上条軍は圧倒的な兵力差をもち士気も旺盛だった。しかし為景は兵力差をかえりみず迎撃にでて、春日山城にちかい三分一原を決戦場と選んだ。


 戦闘は四・五時間ほどつづいた。戦いの流れは上条側が圧倒していた。そこに奇跡の逆転劇が起こった。上条軍に従っていた平子 右馬允うまのじょうが、いきなり総大将の後陣に攻めかかり、上条 定兼および柿崎 三郎左衛門、宇佐美氏などを討ち取りはじめた。


 関ヶ原の小早川 秀秋を彷彿させる行為で、次男の右馬允が平子氏の惣領の座を狙った裏切りであった。百戦錬磨の為景が、この機会を見逃すわけがない。すぐさま全軍を突入、この裏切りで戦局は一変し、上条軍は総崩れに陥った。


 定兼は討ち取られ、為景が家臣へ渡した感状に「敵数千人を討ち取る大利を得た」と記すほどの大戦果を挙げた。


 平子一族は鎌倉いらい土着してきた名家である。惣領を裏切れば一族の名を汚す行いになる。手助けした裏工作に為景の布石があった。


 合戦の二ヶ月前に朝廷に働きかけて、国内平定の治罰じばつ綸旨りんじを拝命していた。さらに前年に「錦の御旗」の使用許可を貰っていた。公儀はこちらにあり、定兼こそ朝敵、敵を討つ大義名分を固めていた。


 為景の陣営には御旗が高々と掲げられていた。春日山城に立て籠もらず野戦に出たのも、平子氏の裏切りを遣りやすくするためと勘ぐりたくなる。


 総大将を失った上田庄や揚北地方は小競り合いが続いたが、各個撃破されて沈静化してゆく。為景は最後の政敵をたおすと、体制が盤石であることを示すため、守護代の家督を晴景に譲った。


 先ず平子 弥三郎はすでに脱落しており、当主を継いだ平子 右馬允は為景派となっていた。しかし上条 定憲、宇佐美 定満、柿崎 景家はじめ揚北衆は反乱のお咎めもなく、そのまま領地を保持している。この辺りが為景の地位の不安定さを示すもので、国人衆にたいする処遇の限界なのかもしれない。国人衆は誰も為景を主と思っていない、仲間の旗振りくらいにしか考えていないのだろう。


 為景は勝利しても休んでいられなかった。守護である定実の後継者を決めなければならない。そこで持ち上がったのが奥羽の守護である伊達 稙宗たねむねの三男、時宗丸を定実の娘婿とする考え。都合のよいことに稙宗の実母が定実の姉妹にあたる。越後の守護は上杉氏の血をひく男子がほしい要望にも適う人選である。


 時宗丸の母が揚北衆の中条 藤資の妹。為景は中条氏を懐柔するため縁談に乗り気だった。中条氏を引き込めれば揚北衆を分断できる思惑がある。


 案の定、他の揚北衆は全員が反対した。仲間の一人が守護の外戚になると仲間内のバランスが崩れる。まさに典型的な島国根性である。為景は策なったりと、あざ笑ったであろう。これで縁談は一年近くも滞った。ここまでは為景の計算通り。


 計算違いが起こったのは晴景の一手が切っ掛けとなった。千五百四十二年に長尾 平六の乱が勃発した。平六は過去に為景が討ち取った長尾 長景ながかげの子である。彼は「国中に武威を振るう」と評判をもつ恐るべき猛将であった。


 晴景が兵をあつめ鎮圧に乗り出した。為景から参陣するよう命をうけた真田 幸隆も赴いた。結果は鎧袖一触で、あっけなく敗退した。無事に帰ってから戦の様子を聞いたが、幸隆の進言に耳をかさず合戦に突入。指揮らしき指揮もとれぬまま、敗れさったという。


 戦いで勝てぬなら政治でと方向転換。まず守護の定実に、晴景に従う、との血判起請文を提出させて、晴景派を誓わせた。さらに遅延していた時宗丸の受け入れを固めて、伊達家に使者を送った。伊達家からの援軍を期待したかもしれない。


 平子氏や直江氏などが隠密姿で使者となった。引き出物は大いに奮発し、時宗丸には定実の一字「実」を譲り「上杉 実元」と名乗ることを約束した。気前のいい話だが裏に晴景の焦りや媚びが感じられる。


 頼みの綱の伊達外交は暴走してしまった。提案に気をよくした稙宗は、出発を六月二十三日に決定した。さらに家臣の中から特に優れた者に精兵百騎を付け越後に赴任させる、と言いだした。


 事態を知って為景は舌打ちをしただろう。時宗丸の入嗣と揚北衆の分裂は歓迎できるが、伊達家から領土侵犯を見過ごすことはできない。為景はジレンマに陥る。正式に伊達軍を討伐できないし、伊達軍を招きいれる中条氏も為景派なので手出しはできない。


 為景はまた奥の手を繰りだした。晴景に「治罰の綸旨」が下賜されるよう朝廷に働きかけた。莫大な献金工作を繰りかえした結果、六月に朝廷は私敵追討を認める綸旨を発給した。その効果は即座に現れた。


 稙宗と結託する中条氏の居城が、他の揚北衆の攻撃で陥落してしまった。もちろん裏から働きかけた軍師の存在を言及するまでもないだろう。


 さらに怪我の功名ともいうべき事件に波及した。伊達家の次代を担う晴宗は、譜代の重臣を根こそぎ越後に持って行かれては堪らない。時宗丸が出発する三日前に、鷹狩りから帰る稙宗を捕縛したのだ。


 稙宗は監禁先から脱出したが、この父子の対立が軍事衝突となって、六年にわたる「伊達家天文の乱」に突入する。伊達家は越後どころでなくなった。隣国の内乱はいつも大歓迎だ。


 だが影響は越後にも波及した。稙宗と晴宗が揚北衆にそれぞれ支援を求めたのだ。驚いたことに揚北衆は父子の要請におうじて、二派にわかれて抗争を始めた。平六の乱は手つかずで野放しにされた。越後は混迷を深めてゆくことになる。


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