第五十二章 面 会
さあ、本年最後のイヴェントと言って良い幸隆の説得だ。行程は七キロほど、二時間足らずで着くだろう。気合いをいれて出発。旅籠からすこし北へむかい、すぐ右に曲がって東へすすむ。
五百メートルも歩くと町並みはとぎれ、あたり一面は田畑となった。この辺りは山麓にゆくと、夏に麻をうえてお盆のころ収穫する。麻は重要な換金作物なので肥料を充分にあたえ大きく立派に育てる。麻の収穫はお盆のころから下旬までに刈り入れを終える。
終わったところからソバを蒔く。土壌に残った肥料分でソバが育つ。こんな遅く蒔いたソバでも、お彼岸には花が咲く。さぞかし満開のころは見頃であったろう。この地の伝承に「ハエが一匹止まったらソバを刈れ」という言い伝えがある。
熟してきた実が黒くなりかかったら、すぐ刈るが良いとの教え。刈って乾燥させている間に追い熟がすすむ。霜がおりる前に急いで収穫せよ、と言ってるのかもしれない。
これだけソバが植えられているなら、ソバ切りを教えて盛りそばや掛けそばを食べたいものだ。お浜さんに教えて店の名物料理にすれば良い。九郎殿には、このくらいのお返しでは足りない仕事をやってくれている。
道なりに五キロほど歩くと左手に急峻な山が迫ってきた。ここが砥石城の山麓だ。
信玄が生涯に、二度いくさで敗北している。いずれも相手は村上氏との戦闘だ。二度目の敗北が、ここ砥石城での戦だった。「武田の砥石崩れ」の名で名高い。
この戦にぜひとも介入して武田軍の戦力を大きく削ぎたい。できれば壊滅的な打撃をあたえて、しばらく信濃から目をそらさせたい。その為にも真田を陣営にぜひ引き込む必要がある。
城の東を流れる川が神川。真田 昌幸がこの川を利用して秀忠の軍勢を悩ませ混乱させた。さすが真田が経営する領地、橋が架かって濡れずに横断できた。この谷あいの平野を三人が分割統治していた。神川の左岸一帯を真田氏。右岸一帯は横尾氏。神川の支流である傍陽川沿いを曲尾氏と、三人が棲み分けて暮らしていた。
そこに侵略の手を延ばしてきたのが村上 義清、真田ら三人の旗頭である海野氏を
海野平の戦で壊滅させた。真田は上州の箕輪城主、長野 業正をたよって落ち延びる。そして真田領をふたたび我が手に取り戻すため武田に仕える決断をした。
橋をわたって北東の方角二キロ半ほどに真田の館がある。田畑がひろがる平地を道なりにひたすら歩む。前方に小高い丘が見えてきた。周囲は土塁で囲まれている。
敷地は東西にながい長方形のような形状をしていて、五百メートルほどある全周は土塁が築かれていた。南面に石垣で築かれた大手門、北面に搦手門。北側に大沢川がながれ自然の堀となっている。
大手門で門番に面会を請う。林泉寺のパンフを渡すよう頼む。話しの取っかかりに、これ以上の物はない。運良く主がいたようで案内される。雲水姿は、こうした際に警戒されない。大手門と搦手門は通路でほぼ直線につながっており、敷地は二段の曲輪で東西に分けられていた。東曲輪のいちばん奥にある館に案内される。振り返ると、西の土塁越しに砥石城がみえた。
踏み石で足をそそぎ、杖と網代笠を板間に置いて、奥へ導かれる。十畳ほどの対面所らしき部屋で待たされる。しばらくして奥から足音がして襖が開く。精悍な顔つきの二十代中ごろと覚しき青年武将が入ってきた。
残されている肖像画はいずれも中年以降の正座している姿だ。一文字にあがった眉毛、細めでするどく切れ上がった目。笑っていないのに目尻の皺、口ひげ・あご髭・頬ひげがたっぷり蓄えられている。小太りのガッシリした体格。するどい眼は見抜くような突き刺さってくる。はげ上がった頭は側頭部に薄い毛しかない。額の皺も二・三本ふかく刻まれている。
松代町にある長国寺にある肖像画は、髭がなく素地の顔を描いている。左前方からの横顔で、俳優の仲代達矢に似た風貌をしている。バリカンで刈ったように五厘刈り、切れ上がった広い額。額と目尻の皺は変わりなく、鼻筋のとおった高い鼻、しゃく気味のがっしりした顎は自己主張が強そう。頬にも縦の皺がある。するどい見据えた眼は変わらない。おちょぼ口のような小さな口元がしっかり閉じている。
会った印象は後者に似ている。
「永倉 新一と申します。突然の訪問にお会い下さいまして御礼申しあげます」
と両手をついて挨拶する。
「うむ、真田だ。かような物を何処で手に入れられたのか?」
とパンフを広げる。変化球でなく、ストレートで きた。
「あなたのような頭脳明晰なお方に、隠し立ては不可能と存じます。私の正体を知っているのは林泉寺の住職と副住職、それに妻の四名だけでございます。お他言ご無用でお願いいたします」
「話しによってはな」
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