第五十三章 言わず語らず
「この小冊子は凡そ四百八十年後につくられたものでございます」
「その意味することは、お主が未来から来た人間と申すのか」
「はい、林泉寺を見学中に突如、雷神におそわれ風神のふくろに吸い込まれ、気がついたらこの世界におりました」
「おとぎ話の世界じゃないか」
「ご不審をいだかれるのは当然と思いますが、当の本人がいちばん困惑しております」
「目の前にいるのだから、ゴジャゴチャ詮索せずに認めろというのか」
「事実は小説より奇なり、との言葉もございます」
「まあ、それもそうじゃ。幽霊で無いのは足があるから確認できるか」
もう一押し。スマホを取りだして、画像や動画を再生する。さすが、これには呆然としている。断って本人を撮影して画像を呼び出す。
「ややっ! わしがこんな小さな箱に」
「これで私の正体をご確認されたでしょうか」
「このような摩訶不思議な物を見せられたら、頷くしかないわ」
「未来から来たということは、これから起こる出来事を知っていることに通じます」
「如何様、そうなるのう。うん? わしに懸念材料でもあると申すのか」
「はい、いまから六年後にこの一帯は侵略をうけ、海野棟綱ら滋野一族は破れ、鳥居峠を越えて上州へ落ち延びてゆきます」
「誰が攻め込むというのじゃ」
「真田さまなら推察できましょうが、敵ははるかに狡猾でございます。奪い取った領地の配分まできめて、武田信虎・村上義清・諏訪頼重が攻め込んだ参ります。多勢に無勢、上州の上杉軍もたよりにならず、壊滅したのが史実となります」
「数年の期間があれば、こちらも準備をととのえ撃退してみせるわ」
「それが武将の誇りと矜持でありましょう。しかし冷静に情勢を分析しますと、大勢を覆すのは難しかろうと思います。まず援軍の関東管領である上杉 憲政は名うての戦下手。このあとも小田原の北条氏と連戦の戦を重ねますが、すべて負けてばかりで、最後は越後に落ち延びてしまいます」
「うーむ、あの管領の出来の悪さは、しばしば聞こえてくる」
「一方の武田、当主の信虎は息子の晴信に当主の座を乗っとられて甲斐から追放されます。この晴信が一代の傑物、天下をねらうほどの強大な甲斐国を作り上げます」
「晴信の野心は信濃国を我が手にすること。滋野一族を追いやったあとは諏訪氏を滅ぼし村上氏も越後へ逃げこみます。自分の利になるときは同盟を結びますが、用がなくなればポイと捨てる男でございます」
「そのような男にムザムザ敗れるとは」
「敵は万余をこえる軍勢であります。あなた方が集められる人数など知れたもの。謀や知略で対抗できる相手ではございません。残念ながら
信玄相手に桶狭間の戦いができるとは思えぬ。
「それでお主が訪ねてきた理由は何じゃ? 勝つための戦を指南にきたとは思えんが」
「真田さま、天下人の軍師になろうと思いませんか」
「天下人じゃと?」
「今はまだ六つの幼子である虎千代さま、いずれ越後の当主になられ覇を称える人物であらせます。いま日本の国は各地で大名が
足利幕府の威信は地に落ち、実力も持ち合わせておりません。代わりに天下人を目指すに足る人物と見定め、及ばずながら力いっぱい支援すべく覚悟を決めております」
「まだ六つの幼子がそんな人物になるとは? そうか、お主は未来から来た男か」
「ええ、虎千代さまは武田 晴信と戦上手では、天下の双璧ともいうべき後世の評価を受けております。しかし惜しむらくは、戦術は一流でも戦略がございません。武家の棟梁たる足利将軍を頂点とする体制を守る考えから抜け出すことができなかった」
「戦上手だけれど無益な戦をやったとでも言うのか?」
「天下を取るには、どれが最善の手か、つねに大局観で見る目が必要でございます。そこに真田さまのお力をお借りしたい。私は戦には、まるっきり向いておりません。国を豊かにし、兵や物資を潤沢に送り届ける術しかできません。どこから攻略するか、力攻めか調略で降伏させるか、その見極めが軍師に求められます。戦場においては、大将のそばで最善手を進言せねばなりません。その役割をお願いしたい」
「話しは戻りますが、天下統一に一番ちかい者は、どなたとお考えか?」
「今の世で天下をうかがえる者は三好 長慶、なにせ畿内と阿波をおさえておる。地の利と実力を兼ね備えておるしなあ。この三兄弟はいずれも傑物と聞いておる」
さすが幸隆、片田舎に住みながら中央の情勢にも気を配っている。
「近くには今川 義元、こやつも天下の野心を隠さぬ。いずれ京を目指すやもしれぬ」
うん、冷静に分析している。
「真田さま、意外にも天下を目前まで引き寄せたのは、尾張のうつつけ者と阿諛されている織田 信長という者でございます。そして天下をとったのは藤吉郎という百姓上がりの者です」
「百姓の出が天下を取るじゃと?」
「まさしく戦国時代と言われるだけあって、最下層の人間が己の才覚と努力で天下人に成り上がれる時代に生きているのでございます。百姓が天下人になれるなら、誰がなっても不思議でない。いままでの古い価値観を捨て、新しい考えを推し進める人物こそ天下に覇をとなえることができます」
「わしに、その手助けをせよ、と言われるのか?」
「藤吉郎は周りに軍師をあつめ的確な助言を得ました。若いころは竹中 半兵衛、そして黒田 官兵衛がそばに仕え、後世で大きな評価を得て人気がございます。失礼ながら真田さまのお子さんやお孫さんから傑出した人物があらわれて、五百年後の世界でも称賛されております」
「ほう、わが子孫に、そのような者が現れるとは嬉しいのう」
「真田さまにも竹中 半兵衛や黒田 官兵衛と同じような評価を後世の人たちから得ていただきたい」
「わしの名誉欲に訴えるとは、お主も弱いところを突いてくるのう。確かに田舎でくすぶっておるのに鬱積した思いはある。天下に名を轟かせたい思いは武将なら誰しも思っておるだろう。しかし、わしも小さいながら領主の立場だ。
仕えている者たちや慕ってくれる百姓どもを捨てて、ハイさようなら、とは言えぬ。しがらみを捨てて、新しい世界へ飛び出すほど自由な立場でない。そこは分かってくれ」
「もちろん、そのような無責任な方とは微塵にも思っておりませぬ。ただ真田さまの生き方を見てきまして、ある処世術に感心しております」
「ほう、どのような点じゃ?」
「はい、全部の卵を一つの籠にいれません。かならず分散して卵が割れる確率を減らしております」
「そうか、まあこれは小さな豪族にとって生き残りの必須のやり方でなあ」
「そうでございます。将来の敵味方を見極め、どちらかが生き残って真田の血筋を絶やさない。ご兄弟や親類が何人いるか存知あげませんが、誰かが武田側について保険をかける...... うーん、これはお勧めしませんね、選ばれた人が可哀想だ」
「あっはっはっ、相当 武田は見限られておるなあ。すこし時間がほしい。これから越後は雪の季節だ。雪が溶けるまで身動きが出来ないだろう。春までじっくり対処しよう」
「あっ、忘れておりました。こちらは長尾 為景さまの親書でございます。隠居の身でございますので、これが現在のところ精一杯の処遇でございます。ご一読ください」
と書状を差し出す。
「では空手形にならぬよう某も精一杯のご奉公をさせて貰うぞ」
これは暗黙の了解とうけとって頭をさげる。
「わたしも立会人であり交渉人でもあります。必ずやご期待に添うよう頑張ります」
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