第二十一章 仁

「わたしは横浜市立大学医学部で八年間勉強してきた。いちおうストレートで医師免許を取ったわ。専攻は整形外科よ。父が国家公務員で大金など縁がなく、開業医はできるはずもなく、大学付属病院の勤務医をしていたわ。珠算にハマって小学生のころ塾に通っていたわ」


「ふーん、僕とは まるっきり頭の出来がちがい過ぎると思ってた。受験塾など必要なかったんだろうなあ。医者を志望する、なにか切っ掛けがあったの? こんなこと聞いて何だけど、身近な肉親とか友達が病気になったとか」


「医者になる動機は、気恥ずかしいけどコミックの『ゴッドハンド輝』ね。小学校の高学年のとき、友達から借りたのが切っ掛け。十年間も連載がつづいたから、いっしょに成長したみたいなものね」

「ああ、僕も夢中になった。テレビドラマになったから、別な面白さがあったね」


「まもなく『JIN-仁-』も連載が始まり、ますます外科医の道に、はまってしまったわ」

「ああ、南方 仁もドクターだったね。あれっ!こっちは江戸にタイム・スリップする話しだね。古倉さんとダブってしまうんじゃない?」

「言われてみると、時代は違うけど同じ状況ねえ」


「仁もテレビドラマ化されたけど、花魁の野風を演じた女優が、古倉さんの雰囲気に似ているなあ」

「まあ、そんなにジロジロ見つめないで...... 」と恥ずかしそうに俯いた。


「そうだ、仁があるねえ。ストーリーは覚えているでしょう」

「ええ、外科医が江戸で西洋医学の知識を活かして、病気の人を救っていく話しね」

「古倉さんも、その腕で病気の人や、怪我をした人を助ければ良いんじゃない?」

「確かにね......」


「今は戦国時代。戦に明け暮れる日々がつづいてゆく。矢や槍での刺し傷、刀での切り傷、手当はどうやっていたんだろう? 漢方医では手をこまねいているしかないね。外科医なら傷を縫ったり、大量出血には輸血など手術ができる」


「まだ研修医であまり手術の経験はないんだけど..... 」

「そのうち前の世の外科医が一生かかっても経験できない数の手術例を、こなさねばならない現実に向きあうことになると思うよ」


「わたし旅行に行くさい、緊急セットをバッグに入れる癖をつけてきたの。飛行機や新幹線の機内放送で、緊急の患者がでて医者の要請があるでしょ。いくら未熟でも患者が発生したら対処しなければならない覚悟はもっているわ。たいした物でないけど、愛用のメスや傷を縫う道具一式と、痛み止めの麻酔など応急措置に欠かせない用具を詰めこんだパックよ」


「さすがプロに徹しているね」

「子どもが異物を喉をつまらせることがあるわ。吐かせる方法はいろいろ有るけど、どうしても取り出せないときは、気管を切開しなければならないケースも出てくる。そういう一刻を争うさい、最小限の手術ができる道具を持ち歩いているの」


「今後を考えると外科医は何人も必要になるね。養成機関をつくらないと早晩ゆきづまってしまう。蘭方医でも、これは江戸時代か。漢方医をあつめて教えこまなきゃならないね。素人考えだけど外科手術なら、度胸があって手先の器用な人の方が向いているんじゃない?」


「どっちみっち素人から育てるんだから、その考えもありかも......」

「僕は血を見ると貧血をおこす質だ。逆に、この時代の人なら、血は日常茶飯事で身近なものかもしれないね」


「話しは戻るけど、仁のドラマではペニシリンの作製が大きなテーマだったわ。細かいところまで覚えてないけど原理は同じ。青カビを培養する工程は変わりはないわ。傷口から感染して敗血症をおこす症例は多いでしょうね。その時はペニシリンを投与するしか助ける手段はないわ」 


 そして続けた。

「大出血で輸血が必要となる場面も多々あるでしょうねえ。輸血となると血液型を事前に把握する必要があるわ。これも大変な作業量になるけど、普段からコツコツ積み重ねるしかない手を打ちようがないわね」


「検査する技師の育成もあるし、データベースの作成など、やることは多方面にわたる。でも、これらが動き出すのは虎千代さまが当主になられてからだ。それまで出来ることから始めるしかないね」


「じゃあ、ペニシリンの開発から手をつけます。外傷には、いちばん即効性のある薬だから。まず青カビを集めて培養する。お餅や柑橘類に発生しやすいわ。寒天が培養する原材料だから、次に手に入れなきゃならないわ。寒天は天草テングサやオゴノリの海藻だから、地元の海で採取できる。市場で手にはいるかもしれないわ」


「さいわいにも海に面している国だから助かるね」

「そして培養してペニシリンを抽出する」


「だけど容器の、あれ何て言うんだっけ?」

「シャーレーね。ガラス製品など作れない時代だから、陶製のフラスコで代用するわ。ペニシリンでノーベル賞をもらったのは、発見者のフレミングでしょう。そして、さまざまな伝染病の治療効果を発見したチェーンとフローリーの三人が千九百四十五年に受賞しているの。フローリーがガラスのフラスコでなく二百個ちかい陶器製のフラスコで培養する方法を考案したのよ。陶器ならこの時代でも作れるわ」


「ふーん、時間はタップリあるから、あとは根気と幸運を願うしかないか」

「運なんかに期待しない! 絶対やり遂げるわ」

「君がその覚悟なら僕も全面的に応援する。ぜったい必要な薬だもね」


「抗生物質は耐性菌との戦いだから、未来を先取りして後世の研究者にツケを廻す

ことになりかねないけど。目の前で苦しんでいる人を救うことが医師の使命と思うしかないわ」


「すると実験室が必要だね。仁でも蔵を使っていた」

「困ったときの荒浜屋たのみ? 空いてる倉庫でも探して貰いましょう」

「お手伝いさんも要るね」


「そうねえ、出来れば漢方医の卵でも見つければ申し分ないんだけど。手順をしっかり覚えて貰いたいの」

「僧侶って菩薩行を修行する一環として、医療にも携わっていなかったのかな?

林泉寺の住職にも当たってみよう」

「さし当たり、このツテをつかって探すしかないわね。どうせイロハから教えるんだから、気の利いた子でも良いから広く当たってみましょう」


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