第九章 荒浜屋宗九郎
幅が二間で奥行きが六間ほどの土間がある。すぐ左に十畳ほどの一段たかくなった部屋、格子越えに番頭や手代と小僧が机にむかって座っている。小僧が立ち上がって板敷きの部分に出てきて座った。
「いらっしゃいませ」と手をついて頭をさげた。
「私は永倉 新一と申します。林泉寺のご住職から書状を預かってまいりました。ご主人にお渡し願いたい」と懐から書状を手渡す。
「かしこまりました」と襖をあけ奥の部屋へ向かった。
しばらくして三十代中ごろと思われる精悍な顔つきをした男性が現れた。
「奥の間で話すとしよう。こちらへ参られよ」
小僧がすすぎの小桶を持ってきた。草鞋をぬぐと水膨れができつつある。帰り道が案じられる。土間と和室のあいだに奥へつづく板間の回廊がある。建物の一番奥にある座敷に案内された。八畳の座敷で二面に縁側がまわしてある。
床の間を背にして座った主人にむかって
「初めてお目にかかります。永倉新一と申します。突然まかり出ましたが、お会いくだされ有難うございます」と頭をさげた。
「これは丁重なごあいさつ、荒浜屋でございます。ご住職さまの書状には、ご用件に触れておりませんが......」
と不審げな顔つきをしている。やはり現物をみせてから話しを進めないと信用してくれないだろう。
「まず、これをご覧ください」
と懐から時計をとりだす。包んでいたハンカチを広げて手渡す。
「これは!」と声を出したきり、目を皿のようにして見つめている。
「どうぞ、手に取られて存分に検分なさってください」
恐る恐る手にとって裏表をじっくり眺めている。
「これは如何なるものでございましょうか?」
「時を計るカラクリ仕掛けで腕時計と呼ばれています。このように腕にはめます」
とバンドをつけて腕につける。
「ただいまの刻は?」「暮れ七つ半あたりでしょう」
もう一度手渡す。
「まるく書き込まれている文字は南蛮人が使っている数字です。一から十二の数字を割り振っております。十二支と考えて結構です。頭が
「一番ながい針が早くまわっています。これが一回りすると二番目に長い針が一目盛り進みます。この針が一周すると、短い針が順に十二支を進んでいきます。この短い針が十二支を一巡りすると半日経ったことになります。いま短い針は辰の目盛りを指していますので暮れ七つ半とわかります」
時刻の数え方は益翁さんから教えてもらってある。
「この時計は常に同じの早さで進みます。そのため夏至と冬至の日没の時間が違います。夏至は午の刻、冬至は卯の刻と、一刻と四半刻の差が生じます。日が昇ると起き、日が暮れると寝る生活では、今のやり方で不便はないでしょう。しかし、夜になっても昼とおなじ明るさの世界では、この時計のほうが便利です」
「失礼ですが、そんな世界がございますか?」
「今のところ私の口から何とも申せません。腕時計を見て信じてもらうしかありません。もう一つお見せしましょう。水をいれた小さな桶をお持ち願えませんか」
「ああ、失礼しました。これ!これ!」
と手を叩いた。すぐ小僧が障子を開けた。
「お客さまへお茶を出しなさい。それと水をいれた小さな桶を持ってきなさい」
と命じた。
女中が湯のみが二つ乗ったお盆を持ってきた。それぞれの前に置いてゆく。小笠原流といわないまでも作法はきちんと躾けられているようだ。
「さあ、どうぞお飲みください」
「頂戴いたします」
中身は煎茶でなく抹茶だった。抹茶は回転寿司で飲むくらいで普段は煎茶を飲む。煎茶はいつから飲み始めたのだろうか? これも特産品のひとつになるかもしれない。もっとも越後がお茶の産地とは聞いていない。
小僧が小桶を運んできた。下ったところで、桶のなかに時計を沈める。バイト代を
貯めて買ったので、こんな危ない実験はやったことは無い。一応は耐水百メートルを謳っているのでプレゼンテーションの一環。
耐Gショックは止めておく。万が一、壊れたら直しようがない。桶のなかに落とす。底まで沈んだところで時間をおく。おもむろに引き上げる。
「ご覧のとおり動作に変わりはありません。深い水のなかでも時計のなかへ水が染みこませない仕組みになってございます」
「いかなる技を使っているのか見当も付きませぬ」
「荒浜屋さん、これは話しの前置きのようなものです。私が信用できる者か判断できますよう、ご覧に入れました」
「これだけの品物をお持ちの方、信用するもしないもございません。ぜひお話しをお聞かせ願います」と頭をさげた。
「荒浜屋さんが私を信用するかということは、私が荒浜屋さんを信頼できるかとの
問題にも通じます。重大な秘事ですので滅多なことを申せません」
とジッと相手の眼を凝視する。
むこうも真っ正面から、こちらの視線と交わらせる。信用できるか、できないか...... まだ二十代はじめの僕が人の性格を見極めるほどの人生経験はない。付き合ってきた友達をとおして、少ない数ではあるが性格をみる目を間違ったことは少ない。それを信じて瞳の奥をみつめる。
「あっ!はっ!はっ!」
二人が同時に笑い出した。
「如何でござるか、拙者のお見立ては?」
笑顔でこちらを見ている。
「こちらこそ、見定めいただけましたか?」
と笑顔で返す。自分の直感がはずれて裏切られても自分の見る目がなかったと思うしかない。ほかに頼る人はいない。ここは自分の直感を信じて突き進むより道はない。
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